第15話 『街』


 周囲の空気が音を立てて、遥か後方へと流れていく。

 否、空気ではない。

 高速で動いているのは、慶次達の方である。

 

「……あー、酔いそう」


 修学旅行のバスみたいだ、と。

 慶次は高速で流れていく周囲の風景を仰ぎ見ながら、そんな感想を抱いていた。


「………」


 哀澤慶次は振り返る。

 この僅かな時間で体験した、実に様々な超常を。

 実に筆舌に尽くし難い、経験を。

 

 慶次達の通う、桐谷高校の卒業式の朝。

 学校の門を潜ったその瞬間、彼ら3人は、突然、異世界へと転移した。

 否––––––正確には、慶次は他二人がこの世界に来ているか、確固たる確証があるわけではないが、何故か漠然と、確信めいたものはあった。

 竹川竹人––––––彼が生粋の英雄であったように。

 藤原篝––––––彼が生粋の正義の味方であったように。

 彼らが、かつてのあの世界で主人公であり続けたように。

 きっとそこには、別の物語がある筈だ。

 彼らそれぞれの、彼ら二人を描いた、彼らの物語が。

 そしてそれはきっと、今の自分とは、交わるところにはないことを慶次は確信していた。

 

 ならば、それは最早どうでもいい。

 物語が分たれたのならば、それは今の自分にとって、関わりのないことだ。

 今の自分の運命を左右するものではない。

 きっと彼らは彼らで、壮絶な運命を突きつけられつつも、なんとかそれを乗り越えていくのだろう。あの世界でもそうであったように。

 彼らはどんな世界においても、彼らの生き方を貫くのであろう。

 

 であれば、自分もまたそうするのみ。

 ただ、自分を貫くのみ。

 異世界、超常、異能、神に怪物、なんでもござれだ。


 哀澤慶次は拳を握る。

 先程妖精に叩かれた、己の拳を。

 かの神とぶつけ合った、自分の魂を。


 じんわりと、握った拳の奥に熱を感じる。

 それは、手の平に通った血管を流れる血潮の熱ではない。

 それは、もっと奥底から滾る––––––。


「………」


 ぐっと握りしめた拳を緩め手を開くと、手の平から湯気のような細い煙が立ち昇る。

 意識すれば手の平の表面に留まったり、指先に集めることの出来るその煙こそ、慶次がかの神との相対の中で覚醒し身に付けた、この異世界の力。

 力の使い方は分からない。それに、あの神とぶつかり合った時程の、量も濃さもない。

 しかし紛れもなくこの力は、慶次がこの世界に抗いうることを示す証拠の一つである。

 そう、自分は決して無力ではない。

 ただ一度とはいえ、紛れもなくこの世界の理不尽を退けた拳を、慶次は握りしめる。


 ––––––やるさ。やってやる。

 ––––––そうだ、何も難しい話じゃあない。

 ––––––神だろうがなんだろうが、全部まとめてぶん殴ればいい。ただそれだけの話だ。


 しかし、ただ一つ分からないのは––––––、


「––––––なあ」


 慶次は握った拳から、視線を目の前を行く背中に投じる。


「………んだよ」


 声をかけられた妖精は億劫そうに、首だけを背後の慶次へと向けた。

 振り返ったその顔は疲れの色が滲み、どこか諦観している風ですらあった。

 

「いい加減教えてくれたっていいだろ。俺らは今、一体どこに向かってるんだ」

「着きゃわかるさ」

「着けば分かるって、さっきからそればかりだな。少しは教えてくれてもバチはあたらないんじゃないか?」


 何せ。

 バチを与えるのは、お前ら「神」とやらなのだから。

 と、そう言って食い下がる慶次の言葉にも、妖精は軽く肩を竦めて返すのみ。

 ふと視線を妖精の横を歩いているバンダナの青年に向ければ、返ってくるのは腹立たしいニヤケ面である。

 ふん、と鼻を鳴らして、慶次は「なら––––––」と言葉を続けた。


「あんたら、これから俺に何させるつもりなんだ?」

「……………」

「あの猿は確か、『神前試合』と言っていたな。一体なんなんだ、その神前試合ってのは」


 俺は一体、何と戦えばいい。

 と、言外に言い含めた慶次の言葉。

 その言葉に、妖精はしばし思案し、そして口を開く。


◆◇◆◇◆◇


 霧の森の神、アルゲンは内心溜め息を吐く。

 ––––––全く、何度目だ。

 内心嘆息しながら、アルゲンは素早く手印を切って、木陰から伸びる『見えざる手』を払い除ける。無論、実際にそれは手の形をしているわけではない。

 今自分達に向けられているのは、呪いや毒、呪詛や禍というものの類。

 それらを一つ一つ指先で払いながら、あまりにも切りのないその作業に辟易する。

 

 ––––––しかしま、可愛いもんか。


 先程からアルゲンが跳ね除けているのは、アルゲン達霧の森の神にとってみれば取るに足らない程度の、言ってしまえば、霧の森の﹅﹅﹅﹅神としてまだ未熟な﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅アルゲンですら跳ね除けられる程度の呪詛に過ぎない。

 つまりその時点で、今自分達に向けられる呪詛が単なる『嫌がらせ』の類に過ぎないことは明白である。

 まったく、暇な奴らだ––––––と心の中で辟易しつつも、言ってしまえばその程度。

 自分達を脅かしうるものでは到底ない。要するにこれは、突然目の前に新しい『玩具』をぶら下げられた、人外の力を持っているだけの子ども達の戯れに過ぎないのだ。

 そして同時に、アルゲンは自分達に向けられるそれらの呪詛が、ただの戯れの範疇を越えないことを理解していた。


 また一つ、呪いを指先で跳ね除けながら、アルゲンは視線を前方へと投じる。

 

 アルゲン達の前方を行く、一つの背中。

 ギリギリ視認できる位置を行くその背中こそ、まさにこの世界における最高の盾。

 

 この霧の森の守護を一手に司どりし、グラディアノス氏族を束ねる主神。

 『守護神』ヴォルテス・ミスティア・グラディアノスの背中がそこにはあった。


 –––––––まあ、手を出したくとも出せねえわな。


 守ること。

 ただそのためだけに存在するこの神を前に、何人も、その庇護下にある自分達を侵すことは叶わない。


 それに–––––––と。


 アルゲンは飛来するハエの如き形の呪いを、ヒュンッと手刀で切り伏せて、水でも払うかのように手を振るう。


 –––––––可愛いもんさ、あれに比べりゃな。


 それは、目下アルゲンの抱える最大の不安要素。

 瞑目して、アルゲンは未だ鮮明に網膜に焼き付く、女の吐いた呪詛を思い出す。



【時は遡り、『拝謁の間』】


「届くぜ、俺は必ずお前の元まで––––––そん時が、お前らの最期だ。霧の森の王」

「フン、随分ト矮小ナ拳デハナイカ」

「届かせるさ––––––精々それまで君臨しておけ、旧き神々よ」


 そう吐き捨て、その場に背を向けたアルゲン。

 しかし、数歩––––––否、数羽進んだところで、アルゲンの体を掴むような強烈な殺意が撒き散らされた。

 それは触手のように、波の如くアルゲン達を絡め取って、その足を阻む。

 内心舌打ちしながら、アルゲンは億劫そうに背後を振り返った。

 振り向くと、殺気に当てられて強直する人間がまず視界に入り、次いで肩を竦めてこちらにニヤケ面を向ける相方の顔が––––––そしてその向こう側に、殺意の源がいる。


 殺意の源。

 蟲の神の眷属、蜂の神––––––アピス・ミスティア・ケンティスは、地に押し付けられたままの顔は動かさず、しかしその双眸だけは血涙を流しながら、真っ直ぐにアルゲン達を見据えて呟いた。


「ただで済むと思うな。蟲の氏族が黙ってはいないぞ、愚か者ども」


 手首を後ろ手に拘束され、地に顔を押し付けられていようと。


「––––––報いを受けるがよい」


 霧の森の神の一柱は、その瞳から黒い血涙を流しながら、満遍なく殺意を漲らせ、神としての祟りの言葉を紡いだ。

 その傍には、小首を傾げて笑いながらこちらを凝視する、あどけない黒髪の少女。


 視界の端で、極めて辟易とした顔で、エイギスが肩を落とした。

 まさに今この瞬間、確定したからだ。

 この瞬間、今後アルゲン達の為さんとする目標において、間違いなく彼女達がその障壁となることが。

 霧の森に存在する、十三の神の氏族––––––その内の一角、『蟲』の氏族、インセクタル。

 霧の森最多勢力を誇る彼らが、明確に、具体的な敵として、己の行手を阻むことが。


「––––––ハッ」


 しかしアルゲンはその事実を、彼女達の視線を受けて盛大に一笑する。

 この世界の神を敵にして、向こうに回して、それでも不敵に笑って。

 アルゲンは体を翻して、彼女らの視線を己の視界から除外するように、背を向ける。


「報いなら受けたさ–––––––十二年前にな」


 そして今度こそ––––––お前等の番だ。

 そう言外に言い含めるように、アルゲンは彼女等の前から姿を消した。

 深い霧の中へと。


【現在】


(あの様子じゃ、すぐにでも殺しにかかってきかねない剣幕だったが、ま、そこまで馬鹿じゃねーか––––––だが)


 ぼんやりと先程のやり取りを思い出しながら、アルゲンはまた一つ、羽虫の如き姿をした呪詛を指先で跳ね除ける。

 ビリリと痺れる指先に、アルゲンは鬱陶しげに眉を顰めた。


(––––––いやらしく時折強い呪いを混ぜてやがる。俺等は良いとしても、人間相手なら即死もんだな)


 はあ、とため息を吐いて、アルゲンは剣呑な視線を前方のヴォルテスの背中へと投じた。

 おそらく意識的に、かの守護神は比較的弱い––––––神を滅すほどの呪い以外に関しては、見逃している。分かっていたことではあるが、つまりそれは、


(自分で守れってことかい………別に良いけどな)


 別に良いけれど––––––。

 チッと内心で舌打ちをしながら、アルゲンは横にいる相方に視線を飛ばす。


 ––––––お前も働けや!


 あの女の言葉を借りる訳ではないが、それでも守護神の端くれか。

 なんて、アルゲンの隣で何もしないで気楽な顔で口笛を吹いているエイギスに憤怒の表情を向けていると、背後から声が投じられる。


「––––––なあ」

「………んだよ」


 そんなこともあって、アルゲンは不意に投じられたその声に、重々しく振り返った。

 

「いい加減教えてくれたっていいだろ。俺らは今、一体どこに向かってるんだ」

「着きゃわかるさ」

「着けば分かるって、さっきからそればかりだな。少しは教えてくれてもバチはあたらないんじゃないか?–––––– 何せ、バチを与えるのは、お前ら「神」とやらなのだから」

(––––––なんて、随分皮肉なことを言うじゃないの)


 アルゲンは何も言わず、慶次のその言葉に気怠く肩を竦めて返した。

 こんな時、言葉を向けられたのが自分ではなく隣のエイギスであったならば、「キハハッ、バチはバチでも、お前が当たるのはとばっちりってやつだろうけどな」なんて更に皮肉めいた軽口で返すのだろうが、生憎とアルゲンにはそんな気力はなかった。

 しかしそうしてはぐらかすアルゲンの態度に、その人間は立て続けに疑問を口にする。


「あんたら、これから俺に何させるつもりなんだ?」

「……………」

「あの猿は確か、『神前試合』と言っていたな。一体なんなんだ、その神前試合ってのは」


 問われた––––––その言葉。

 その言葉には、言外に「俺が戦わされる相手は、一体何だ?」とアルゲンに問うていた。

 勿論、この人間にとってはアルゲン含め、瞳に映る全てが敵であろうが。


 しかしそう問われて、アルゲンはふむと考え込む。

(そういや、こいつあの時は気絶してたんだったか)

 であればさて、どこまで説明すべきか––––––或いは、何を言わないか。

 この人間がこれから相対すべき敵––––––この森の戦士達について。

 彼らについて、そして、自分について。


「それは––––––」


 故に暫し思案したアルゲンが、その問いに答えようと口を開き、


「貴様ら、無駄口はその位にしておけ」


 ピシャリと、その続きをエルフ姿の女––––––クリスが阻んだ。

 横合いから言葉を遮られたアルゲンが背後のクリスへと怪訝な視線を向けると、クリスは顎をしゃくって前方を示した。

 釣られ、前方に視線を向けたアルゲンの視界に映ったものは、変わらず目の前に見えるヴォルテスの背中。しかしその背中は、先程より大きく見えた––––––とは、別に目の前の兄なるものへの憧憬などでは断じてないが。


 単にそれは、先程から微妙に開いていたヴォルテスとの距離が狭まっていたことを示していた。

 軽々と木々の枝々を跳躍していたヴォルテスは立ち止まり、その更に前方からは森の中には似つかわしくない程の色とりどりの眩い光が窺えた。

 その色とりどりの光にアルゲンは目を細め、密かに舌を打った。

 つまり、その光が表すこととは––––––、


「––––––到着したぞ」


 ヴォルテスの立ち止まった巨木の枝の上に降り立ちながら、クリスはそう告げた。


◇◆◇◆◇◆


「貴様ら、無駄口はその位にしておけ」


 妖精の声を遮って、女エルフが刃物の如き鋭さを帯びた声音でそう言った。

 そう言って––––––女エルフは、それまで担いでいた﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅慶次を﹅﹅﹅、着地した木の枝の上にぞんざいに投げ下ろす。

 地表から三桁メートルはあろうかという巨木の枝の上に降りたからと言って、それを着地と表現できるかは議論の余地があるが、それでも、慶次はそこでようやっとの解放の機会を得た。

 下ろされた時、「グヘェっ」なんて無様な声など決して出していないが。


 兎にも角にも侮蔑混じりの視線を女エルフに向けられながらも¬––––––ご丁寧に慶次を担いでいた側の肩を汚物でも払うかのように手ではたきながら––––––解放された慶次は、強かに打ちつけた腰をさすりつつ、立ち止まった金髪エルフの背後からエルフの見渡す光景に目を向ける。


 そして、視線を向けた先––––––その光景に、慶次は思わず息を呑んだ。


「––––––到着したぞ」


 金髪エルフは隣に並んだ慶次に一瞥をくれながら、眼下に広がる光景に顎をしゃくった。

 それに導かれるように、慶次はその光景に視線を落とす。

 そんな慶次の背後から、女エルフの侮蔑まじり、皮肉まじりの声が突き刺さる。


「フン。ようこそ、と言うべきか––––––それとも惜別の言葉を送るのが正しいか」

 

 艶やかな金髪を掻き上げながら、女エルフは慶次の背中越しに覗くその光景に目を細めつつ、薄らとその口角を持ち上げ、告げた。


「人間、とくとその瞳に刻むがいい。この街こそ、貴様のような流人、罪人の行き着く果ての街––––––ル地だ」


 女エルフの言葉の通り。

 確かにそれは、街だった。

 しかし、その街を目にした印象は、女エルフの言葉から連想するものと反対である。


 様々な様式の家が立ち並び、道に人々が行き交う––––––華やかな夜の街。

 さらに、それらの建物が立ち並ぶのは地面にだけではなかった。

 巨大な木々の突き出した枝や根の上に。

 木と木の間に橋のように架った、太い蔓の上に。

 そして、街の間を流れる、鏡のように透き通った水路の中に。

 ひょっとすると、慶次の立つ枝の下にも。 

 上下左右––––––見渡す限りどの場所にも、家々は立ち並んでいた。


 淡い橙の光が家々の窓から漏れ出し、縦横無尽に張り巡らされた街路は丁度その上に沿って架けられた紐に無数のランタンが吊るされて、うっすらと青緑がかった光が照らしている。


 その光に照らされた道を行き交う人々は、それぞれに肌の色も異なれば、目の前のエルフの如く耳の尖ってるのから小人ほどの背丈の者、水路から頭だけ出している人魚のような者まで、みんな衣装も違えば種族すら異なるような者達ばかりだった。


 そんな幻想的な街並みに、慶次は思わず、目を奪われる。


 そう、目の前の広がるその光景こそまさに、慶次が思い描く異世界の姿そのものだった。

 御伽話の舞台。

 ファンタジー伝記の1ページ目。


 そして––––––長い冒険の始まりを思わせる光景が、そこにはあった。

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