第26話 保の記憶。
「ようやく着いたね。記憶転写室」
中に入ると、そこには荷台のカプセルと、事務用の机・椅子が並んでいる。
カプセルはいつもの奴と同系統だ。
「そうだな。これからが本番だ。やるぞ」
保を椅子に座らせると、机に残されたマニュアルに目を通す。
「左のカプセルに保を、右には俺が入る。そのあと正面にあるボタンを押し、転写が開始される、らしい」
「戻ってこれるよな。そうだろ?」
理彩が不安そうな顔で、こちらを見やる。
「もし、保博士の記憶に嫌なことや、博人の人格を破壊するかもしれない。わたしは不安でいっぱいだよ」
「理彩さん、落ち着きなさい。殿方の決めたこと。私たちにはどうすることもできないわ」
諦観した様子の玲奈。
こっちの性格を分かっているのか、止めようとはしない。
だが、きっと心の内は不安でいっぱいのはず。それをおくびも表に出さないのはさすがと言うべきなのか。
「玲奈はもう少し理彩を見習った方がいいかもな」
「どういう意味かしら?」
眉根をピクリとつり上げる玲奈。
少し怒らせてしまったらしい。
帰ってきたらプリンの一つでもおごろう。
「理彩も玲奈の冷静さを見習うべきだな。うん」
「ごまかそうとしていないかしら?」
玲奈がしつこく聴いてくる。
「あー。もっと感情に素直になれ、って意味だ。気にするな」
俺は軽口を叩き、カプセルの蓋を開ける。
「無理よ。感情のままに生きるなんて。だって私はずっと前から半間くんが好きなんだからっ!!」
作業している手を止め、俺は玲奈を見据える。
「あ。ええと。これはその、に、人間として好きって意味で……」
言葉の切れが悪くなり、目を泳がせている玲奈。
さっきのは本心だったのだろう。
そう言えてしまえるのは格好いいと思うのだが、どうなんだろうか?
「その応え、帰ってきてからするよ」
保をカプセル左に入れると、俺はその隣に鎮座してあるカプセルに入る。
「よしいくぞ。保を、葵を取り戻すために」
「本当にいいのかしら?」
「大丈夫だよ。博人は強いもん」
玲奈の不安を取り除くように理彩が微笑む。
「そう、ね。確かに強いわね」
得心いったのか、玲奈はクスクスと笑い始める。
「それじゃあ、行くわよ」
玲奈が真ん中のレバーに手をかける。だが理彩も一緒に手をかける。
「ふたりでやろ? ね?」
「……分かったわ」
もし失敗したとき、責任を分散できる。
もし成功したとき、その勝利を分かち合える。
もし壊れたとき、責任を分散できる。
もしかしたら、意味のない行為かもしれない。
だが、二人の間に確実に芽生えたものがある。
それを俺は知っている。
――友情。
二人は今、友情を感じ取っている。
そんな二人が慎重にレバーを下ろしていく。
すると、高周波感度のセンサーが俺の頭を、全身をスキャンしていく。
ザザッ。
ノイズが走る。
頭痛がする。
「こうすることにより、体細胞にある記憶のデータを活性化できる」
俺は手を上げる。
「質問です。この技術はどのように役立つのですか?」
「良い質問だ。この技術により、魚の育った環境の記憶を維持できる。つまり、高温・低温の水中でも魚を育てることができる。
ようは慣れだからな。慣れた時の記憶を引き継げるのはいいことだ」
右だけがハゲ、左の髪を右に覆い被せる仕草をする先生。
慣れ。
環境に適応できるのがうまいのが生物本能の真の姿だ。
だからその前にできた記憶をもとにして産まれるのは成長の早さ、品質の良さを維持できる。
個々の細胞に記憶があることが発見されて久しい。
以前、移植手術を受けた人が移植前の患者の記憶を見ることがある――なんてホラーかと思っていたが、それは体細胞(全身の細胞)の一つ一つに記憶のピースが埋まっているからだ。
もちろん海馬のように記憶を専門的に扱っている細胞もあるが、それだけではまかなえないワクチンなどの抗体や育った環境までもを追体験できる。
それが記憶転写の強み。
しかし、この段階では記憶を引き継ぐには体細胞を使ったクローンが友好的だ。
そこで思いついたのが意図的にウイルスに感染させる方法だ。
クリスパー・キャス9の応用で、記憶結晶を分断・再構築させることで記憶の改ざんができるようになったのだ。
なるほど。面白い。これなら全身の細胞に新しい記憶を定着させることができる。
「しかし問題がある。この記憶はあやふやですぐに消えてしまうときもある。まあ、定着するにはまだまだ課題があるということだな」
右の髪をかけわける先生。
ザザッ。
ノイズが走る。
「サイコ粒子。すごい発見じゃないか。これでこの国の未来は明るい。君はよくやったよ」
「この研究は危険すぎる。この論文はシュレッダーにかけるわい」
「なっ! そんなのもったいない! 今までの研究成果を無駄にするとおっしゃる」
助手のワトソンが悲鳴に似た声を上げる。
「ここまで来たんだ。これは人類の希望の光になる。それを分かっているのですか?」
「だが、それと同等、いやそれ以上に危険な発見だ。人の精神、魂に関わる粒子の発見なんて……」
保は震える声を押し殺し、論文をシュレッダーにかける。
「そんな! 扱う人次第で、人間の強さを知っている保博士らしくない!」
「まだ、その時期じゃない。精神差別などあってはならないのだ」
未来を見通した保の発言にワトソンはうろたえる。
ザザッ。
ノイズが走る。
「貴様、提出してしまったのか……?」
「もちろんです。他局の質問で面白いのがありましたよ。その名もスワンプマン計画。人の意識・魂をクローンの、しかもテロメアを克服したクローンに移植、これで永延の命が得られます。人類の夢ですよ!」
ワトソンは得意の早口言葉で自分の成果を語り出す。
「じゃが、永延の命など、ただの暇な人生じゃ。終わりあるから、輝けると知るべきじゃ」
「そんな理屈、時代遅れです。これからは新しい未来が切り開かれるのです!」
「若いな。それでは新たに産まれたクローンはどうなる?」
「試験管で適齢年齢まで育てればいいじゃないですか! これは売れるぞ!」
ワトソンの物言いに不安を覚える保。
「まさか、お主。これをビジネスと捉えているのかえ?」
「お金は大事です。これからこのスワンプマン計画をもとに永延の命を! 人類の希望です」
スワンプマン。
それは一度死んだ者と、生き返った者は同一人物であるのか? それとも違うのか?
それをテーマにした思考実験だ。これを名付けた者は皮肉のつもりでつけたのだろう。
だがワトソンには効かなかった。
彼はその計画を立案し、論文にまとめたのだった。
そこから保の人生は狂った。
毎日くるマスコミの集団。
それに伴い妻と子へのいじめ。
もう別れたいと言った妻の顔は今でも覚えている。泣きじゃくる子の名前はもう忘れてしまった。
執拗ないじめや報道に保の精神は疲弊していった。
そんな彼を支えたのがワトソンだった。
「この研究が本当なら、人はテレパシーだってできるようになります!」
「そう、じゃな。だが、それは本当に人類が望んだことか?」
保の言葉には以前のような自信がなくなっていた。
それは民衆がサイコ粒子を受け入れたのと同時。彼らは早速その技術を応用したクローン人間の制作や魂の解析を始めた。
そんな中、不要になったサイコ粒子を破棄するようになった。
そのサイコ粒子の塊がスキアとも知らずに。
宇宙に捨てたはずのサイコ粒子は放射線を浴び変異。一つの生命体となり、なんの因果か、地球へと戻ってきたのだ。
すべては人間のやったこと。
自然破壊も、地球温暖化も、資源の枯渇も、食糧問題も、人口爆発も。
そして五代目となった保はサイコ粒子の可能性を示唆した。
新たな環境に適応した新人類の誕生である。
サイコ粒子は変異する。
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