第三章 トロッコ問題

第11話 宇宙

 ロケットに乗り込むと、最初のエンジンで最大値まで加速する。その時のGが身体にかかり、めまいがする。

 そのあと、大気圏に到達すると、ブースターを切り離し、目標のスペースコロニーまで一気に加速。

 さらに一段のブースターを切り離し、残ったエンジンで宇宙を航行する。

 ついたコロニーでは滅菌がされ、俺たちは七日間の隔離生活を余儀なくされる。これもウィルスや細菌、そしてスキアへの対策らしい。

 スキアはウィルスのように致死量の毒をまきながら、増えていくのだ。その媒介は人間。形のないウイルス群によって構成された存在――それがスキアなのだ。

 宇宙から見る地球は黒かった。


 ザザザッ。

 またも世界は変わる。

 この頭痛さえなければ問題ないのに。

 いや莫大な量の情報を焼き付けているのだ。処理しきれないほどのデータがあっても不思議でない。そんなんだから頭痛がする。

 森深き洋館。そこに住んでいるのが俺、理彩、玲奈、葵。となっている。

 いや、どうしてそうなった。

 俺は不思議と首をかしげていると、後ろから衝撃を感じる。

「よ! やっているかい?」

「理彩か。元気いっぱいだな」

「あたぼうよ。わたしはいつだって元気百倍なんだかね!」

「理彩はあいかわらずだな」

「さあ、行こう。我らの洋館へ!」

「えー。ああ、分かった」

 記憶を掘り起こしてみるが、むちゃくちゃな設定だった。

 俺の両親が移り住み、それを追いかけてきた三人が一緒に住むことに、と。

 俺でももっとマシな設定を思いつくぞ。これはデータを作っている人が悪い。小説家や脚本家にはまったくと言っていいほど、むいていないだろう。

 話の整合性を持たせるための努力が感じられないのだ。

 三人とも好きであると分かっているのに、主人公が鈍感系で一緒に住む? は、できが悪すぎる。

 しかし、なんで今更こんな設定なんて持ち出したんだ? 何かデータを得るために必要なのか?

 それに玲奈の〝死〟の記憶はどうなったのか?

 疑問は残るが俺は洋館の中へと足を踏み入れる。

 堂々とした振る舞いで玄関を開けるとそれぞれの部屋に向かう廊下が広がっていた。エントランスには二階に行ける階段と手すり、その横に花瓶が添えられており、絵画なども飾られている。

 そうとうなお金持ちになっている設定らしい。学業もオンライン講座で受けているらしい。

 必要物資は甘村あまそんの輸送車で来るらしい。

 しかし――やることがない。

 この世界の俺はまだ学生だが、日曜ともなると暇になるらしい。

「ふぁあぁあ。眠い」

 眠気が増し、俺は洋館にあるベッドで休むことにした。


※※※


 ゴボゴボと泡立つ音がする。

「起きたか! 半間くん」

 保が顔を覗かせカプセルの蓋を外す。

「ここは! 外の世界ですか?」

「ああ。我らG1-Ⅰコロニーじゃ。よく帰ってきた。お主を調べてみたところ、興味深いデータがとれた。よくやった」

「俺はなにも……」

 実際にやったことと言えば、夢の世界で三人といちゃいちゃしたくらいだ。褒められることは何もしてない。

「半間くんのサイコ粒子を解析して、彼女らの無意識下にコピーさせてもらった。お陰で〝死〟への恐怖から解放された」

 保は嬉しそうにうんうんと頷くが、俺にはさっぱり分からない。

「ところで、戻ってこれなくなるかもしれなかったんですよね? なんで戻ってこれたんですか?」

「半間くんの無意識下にある〝生〟への執着が要因と思われておるが、詳しいことはさっぱりなのじゃ」

 結局わからないことだらけじゃないか。

「しかし君はすごいな。こんな検体は初めてだよ」

 うんうんと感心した様子の保。

「で。ここは本当に俺が生きている世界なんですか?」

「ほう。この短時間でそこまで気が回るようになったか」

 この世界がもし五分前に作られたのなら、激痛があってもおかしくない。ということはここは真の世界なのかもしれない。

「いや、夢の世界で三日は経っていたような気がするのですが」

 困惑している俺に、保は高笑いをする。

「ふむ。それは思考の加速を行っていたからのう。君が数十年生きている感覚になったのも、実際は16歳じゃし」

 蓄えたひげを触る保。

「俺、今16なんですか。それよりもこっちが本当の世界だと証明する方法はありますか?」

 震える声で訊ねる。

 もし本当にこっちの世界でなかったら、俺はどうすればいい。この終わりのない五分前を生き続けるのか?

 そんなのは嫌だ。

 リセットされる人生なんて歩んでいる意味がない。努力の意味がない。

「ついてきたまえ」

 俺は保の後をついていくことにした。

「君はトロッコ問題というを聴いたことがあるかね?」

「ええ。一応。確かレールの上に人が数人いて、レールの切り替え先にも人が十人ほどいる、そして切り替えするべきかどうか。という問題だったはずです」

 簡単に言えば「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問題だ。

「君ならどうする? 少数派と多数派、どちらを助ける」

「そりゃ、大勢の人を生かす方のが当たり前じゃないですか?」

 この問題の意図がつかめずに眉を寄せる俺。

「だが、少数派が君の家族だとしたら? 多数派が病気で数ヶ月で死ぬとしたら?」

 生唾を飲み込む。

 このじいさんは何を言っているんだ?

 理解できるがしたくない。

 そんな問題は問題にならない。

「それを理由にするのはずるいと思います」

「ほう。やっと君の本心が聞けた気がするよ」

 保はからからと笑う。

 額に冷や汗を掻く。それはこれから起こることを予見しているようで、恐怖心を抱いたのだ。

「ほれ、このエレベーターで宇宙港うちゅうこうに向かうのじゃ」

「宇宙港? みなとですか?」

 聞きなじみのない言葉に疑問符を浮かべる俺。

「そうじゃ。ここでは様々な物資が搬入されている」

 エレベーターに乗り込むと、コロニー内部、中心部に向かって動き出す。

 遠心力の及ばない中央部に行くと、身体がふわりと浮き上がる浮遊感を感じる。

「シューズの裏に磁石があるから、それで歩くんじゃぞ」

「分かりました」

 俺はエレベーターを出て試しに靴を床に押しつけてみる。

 が、すぐに離れ、中に浮かぶ。

 通路が狭いこともあり、背中を天井にぶつける。その反動で床へと戻る。

「これが無重力か」

「どうじゃ。すごいじゃろ?」

 得意げに話す保。

「まあ、はい」

「それじゃ、今度は宇宙をその目でみてくれ」

 保に案内されるがままに、とある部屋に入る。

 そこはロッカールームになっており、入り口には『更衣室』と書かれていた。

「ここで宇宙服に着替えるんじゃ」

「宇宙服か」

 確か重さが何十キロもあるボテボテとした衣服だろう。

 そう思ってロッカーを開けると、そこにはスマートな衣服がしまってある。

「え。これが宇宙服?」

「そうじゃ。科学の進歩の結晶じゃな」

 着てみると案外軽く、背中の生命維持装置だけが重く感じるが、全体的に動きやすい。

「ほへー。すごいもんですね。こんなに軽いとは」

「最新の素材を使っておるからのう。ナノカーボンと言ったか」

 保も宇宙服に着替え、奥にあるドアに案内する。

 そこは二重扉エアロックになっており、空気が逃げない構造になっていた。

 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。

 何せ初めての宇宙だ。

 一応、夢の世界で経験してはいるが、本物じゃない。

 これから向かうのは空気も重力もない、透明で暗い宇宙だ。

 緊張からか、手もとが震える。

「なんじゃ、そんなに震えなくとも安心せい」

「は、はい」

 空気が抜けると、エアロックの二枚目の扉が開く。

 その先は宇宙。

 何もない空間。

 俺は飛び出した。

 後ろを振り返ると筒状のスペースコロニーが見える。そしてその下には黒く染まった地球が覗いてみえる。

「これが宇宙か……」

 未だに信じられない気持ちでいっぱいだ。

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