第10話

 食後の一息で気持ちが萎えてしまうことは、暁斗としても避けておきたい。穏やかな時間を楽しむために異世界に来ているわけではなかった。


「じゃぁ、ドワイトさんって人に鍛えてもらいに行こうか。」


 十分な休息も取り、空腹も解消されている。メイアの治療のおかげで怪我の影響も特には見られない。


――調子は悪くないんだ。現段階で、どこまでのことが出来るのかな?


 現在の強さを知らずに行動してしまったことで、暁斗は命を落としかけた。同じ過ちを繰り返さないためには、どの程度のことが出来るのかを知らなければならない。


「……アーシェは、ミコットさんのお手伝いをお願いね。」


「また、お出かけなんですか?」


「今日は一緒に寝られるから大丈夫だよ。……いい子で待っていてね。」


 アーシェはメイアに帰宅した時と同じようにギュッと抱きついた。

 暁斗は、そんな様子を黙って眺めている。どんなに気持ちが急いでいたとしても、この時間を邪魔することはしたくなかった。


 しばらくアーシェの感触を確かめてから、メイアは立ち上がる。


「お待たせしました。……では、行きましょうか。」


「……もう、いいの?慌てなくても大丈夫だよ。」


 メイアは少しだけ複雑な表情を見せていたが、微笑みながら暁斗に頷いてくれた。

 出かけていく二人をアーシェとミコットが見送ってくれている。見送ってくれている二人は手を繋いで仲良さそうな様子だった。

 それは家族としての姿だった。メイアの家族についての情報が追加されたことになる。


 見た目の年齢としては15、6歳くらいのメイアは、この国で指折りの術師であるらしい。この少女についての情報は、それだけしか得られていなかった。


――ジークフリートの話からすると、術師と精霊石は関係があるみたいだな。


 この世界で術師の価値がどの程度かも暁斗には分からず、精霊石との関係も不明な点が多い。

 現実世界のように科学が進歩している世界でなければ、精霊石は生活に欠かせない道具になっているはずだ。現に、暁斗も至る所で精霊石を目にしてる。

 治療や通訳として使えることは暁斗自身が実体験済みであったし、照明器具の代用品として使えるらしいことも分かっていた。


 もし、一般家庭にも精霊石の照明があるのなら、術師はかなりの人数が存在していることになる。


――でも、俺が言霊の精霊石を使えているのは何でだ?。


 暁斗が言霊の精霊石を身に着けて効果を得られているのであれば、術師と精霊石の関与は否定されてしまう。


――発動させる術みたいなものでもあるのかな?……メイアも安心して眠るために術をかけてたって言ってるし。


 メイアに直接質問してしまえば解決できる問題なのだが、メイアの立ち位置が分からない中で多くを聞くことは難しい。


 ドワイト家で姉妹仲良く幸せに生活できるのであれば、暁斗に関わらせない方が良い。本来、巻き込まれただけの暁斗が、この世界の人間に世話を焼いている場合ではないが、不幸な展開は見たくなかった。



「なぁ、この王国を治めてるのって、昨晩俺が会ったダリアス王なのか?」


「えっ?勿論ですよ。……何だか変な質問ですね。……アキトさんも、ダリアス『王』って呼んでるじゃないですか。」


「まぁ、そうなんだけど。……あんまり優秀そうな人物には思えなかったから。」


「アキトさんの世界では、優秀な人が国を治めてるんですか?」


 意外な質問がメイアから返された。改めて質問されてしまうと考えさせられてしまう。


「……いや、優秀な人物ではないかな。」


 暁斗はニュースで見る政治家たちのことを思い出しながら判断していた。

 地位と名誉、そして得られる金。それだけしか考えていない人物像しか思い浮かばない。利己的な野心家の集団。


――どこの世界でも同じなのか……。でも、それなら尚更……。


 上に立っている人間は、下にいる人間が見ることの叶わない景色を見たいだけだ。

 別の景色を見るためなら、迷いなく切り捨てて下の人間を犠牲にしていく。それさえ出来れば優秀な人物である必要などなく、人間として優秀なことは却って邪魔でしかない。


 そんな国王の命を受けて暁斗の世話係をさせられているメイア。暁斗としては、自分の前を歩いている少女が味方であってくれることを望むしかなかった。



 ドワイト家を出発して5分ほど歩いただろうか。

 細い道が続いてはいるが、木々が立ち並び自然溢れる景色には変化が見られない。それでも、メイアは迷いなく進んでいく。


「……空気が綺麗だね。」


「ふふ、空気が綺麗って言い方、初めて聞きました。……でも、確かにアキトさんの世界の空気は綺麗じゃなかったです。」


「あっ、そうか。……俺が元いた世界に来てるんだよね?」


「ハイ、短い時間だけでしたけど。……身体は重いし、呼吸は苦しいし、大変でした。」


「この環境と比べたら、そう思われても仕方ないな。」


「あの、ゴメンなさい。悪く言うつもりじゃなかったんです。……アキトさんが生まれ育った世界ですもんね。」


「構わないよ。……ありがとう。」


 生まれ育った場所だとしても、愛着があったわけではない。呼吸が苦しいと感じたのは世界の違いが原因ではないのだ。

 現実世界の昔も、この場所のように澄んだ空気が満ちていたのかもしれない。本当は、『空気が綺麗』という表現は生まれてはいけない言葉だったはずだ。


「……でも、この世界も、ずっと昔は今より空気が綺麗だったみたいなんです。」


「えっ!?……今よりも?」


「だから、あまり偉そうなことも言えないんです。」


「……結局、世界が違っても本質は同じなのかもしれないな。」


「そうですね。……でも、身体の重さは昔から変わっていないと思いますよ。」


「あれだけ沢山食べられるメイアだと、重く感じる世界だったら苦労してたかもしれないね。」


「女性に体重の話は厳禁です。……ミコットさんの食事が美味しいのが悪いんです。」


 今回は笑いながらの注意で済ませてくれた。メイアの機嫌も直ってくれているらしい。修練の場に向かっていることを除けば、楽しい一時になっている。


 所謂、赤髪美少女の『ツンデレ』であってくれれば良いが、今のところ『ツン』よりは『S』の表現が正解。

 おそらくメイアは、空腹の時や眠い時に突発的な『S』が発症する体質なのだろう。


「さぁ、もうすぐ目的の場所に到着しますよ。」


 そんな言葉と共に少しだけ開けた場所が見えてきていた。



―※―※―※―※―※―※―※―※―



 少し広めの原っぱ。それだけの場所に人が立っている。


 身長は暁斗よりも僅かに高めで180センチ弱。頭を覆っている銀色の髪と顔に刻まれている皺が歳を感じさせるが、貫禄を感じさせる体躯だ。

 何よりも、その男を覆ている空気感が異質だった。


――あの人が、ドワイトさんか……。


 その男まで、かなり距離があるが暁斗は緊張している。ドワイトを通して魔獣の強さをイメージしてしまっていたのかもしれない。

 この世界で戦うことを生業としてきた人種が放てる気の様な物を感じていた。


――元近衛師団長……だったよな。……やっぱり、ちょっと舐めてたのかもしれない。


 どちらかと言えば、異世界転移を楽観的に捉えていた節がある。

 ドワイトと互角以上に戦うことができなければ、魔獣の相手は難しいのだろう。


――あそこまで鍛えないと魔獣とは戦えないのか?


 科学的な根拠だとしても身体能力が上がっていることで簡単に強くなることもできて、魔獣とも戦えると考えていた。


――あれで現役じゃないんだから、簡単にはいかないな。


 人間とは別の生物に近づいているような錯覚がある。暁斗の歩く速度は自然に遅くなっていた。無意識に警戒している。


 メイアは元気に声をかけて走り寄っていくが、メイアの声が暁斗には聞こえていない。ドワイトから意識を外せなくなっており、全神経を集中させた。


「やぁ、メイア、おかえり。……私の準備は整っているが、そちらの方かな?」


「あっ、そうですよ。……アキトさん、こちらがドワイトさんです。半年間、アキトさんの先生になってくれる人ですよ。」


 メイアは暁斗にドワイトを紹介してくれた。そして、暁斗とドワイトの視線が一瞬だけ重なる。


「国王からの頼み事とは言え、現役を退いてからも面倒事を押し付けられるとは……。無駄に長生きなどするものではないな。」


「……無駄に長生き……。」


 暁斗の表情が変化していた。これまでも緊張した面持ちではあったが、今はドワイトを睨みつけるように見ている。

 当然、ドワイトも暁斗の瞳の変化には気付いていた。


「アキト殿、でしたかな?……貴殿に戦闘経験はないと思いますが、如何かな?」


「そうですね。戦ったことも訓練を受けたこともありません。」


「やはり。……それでは、改めまして、私はドワイ……。」


「あっ、自己紹介は結構です。俺の名前も覚えて貰う必要はありません。……無駄に長く生きてるだけの人の名前を覚える気はないし、俺の名前を貴方の人生に刻んでほしくもないので。」


 この反応に一番驚いていたのはメイアだった。深刻そうな表情に変わり暁斗に近付いてくる。


「アキトさん、どうしたんですか?」


「ん?どうもしてないよ。……大丈夫。」


 暁斗は熱くならないように気持ちを落ち着けている。冷静さを失って、返り討ちにあってしまった時と同じでは意味がない。

 異世界でも変わることができるなら構わないとして、ダリアス王からの依頼を受けたのだから感情をコントロールしようとした。


「……だって、この人は『無駄に長生き』している、無意味な時間を過ごすだけのってことでしょ。俺の相手が面倒なことは認めるけど、嫌々なら断ってもらった方がいい。」


 淡々をした口調でドワイトを侮辱していた。暁斗は、冷静なままキレている。


「目上の者に対しての礼儀を知らないようですな。……残念なことです。」


「目上の人だから礼儀を示す訳じゃない、尊敬できる人だから礼儀を示して敬うんですよ。……俺も残念です。無駄に生きている人を尊敬する要素が見つけられない。」


 力の差は歴然だろう、まともに戦えば一瞬で勝負は終わる。

 それでも暁斗はドワイトから視線を外すことなく、睨み合っていた。


 メイアは、暁斗の予想外過ぎる言動に戸惑っている。暁斗もメイアの大切な家族に対して失礼な態度を取っていることは分かっていた。だが、譲れないこともある。

 何気なく交わされる会話でもよく聞く、他愛無い言葉だが暁斗には許せなかった。ドワイト自身、自嘲気味に言ってみただけで気にも留めていなかっただろう。


 ドワイトは地面に置いてあった長い袋から木刀の様な物を二本取り出して、暁斗に近付いてきた。

 その一本を暁斗に差し出してくる。木刀と言っても、洋刀を模した造りで馴染みがある物とは違っていた。


「それでは、貴殿が、私の長く生きた時間を無駄ではないと証明してはくれませんか?」


「……俺に、そんなことは出来ません。……でも、貴方の無駄な長生きを終わらせてみせますよ。」


 ドワイトは暁斗に強さを誇示することで、騎士として生きてきた時間の長さを証明しようとしている。散々侮辱するような態度で応じている暁斗に怒っているのかもしれない。

 それでも、暁斗としては強がりで対抗するしかなかった。


 メイアは泣き出しそうな顔で二人のことを黙って見ていた。

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