第9話
「……あら、そちらの方?」
見慣れない存在に気が付いて、ドアの外で成り行きを眺めていた暁斗の傍まで近寄ってきてくれる。
「あっ、この人が、お願いされてたお客様です。」
「えっと、ツキシロ・アキトです。……よろしくお願いします。」
突然に話題が自分のことになり、慌てて自己紹介をすることになってしまった。改めてのことで、暁斗はくすぐったい感覚になってしまっている。
「あら、こちらこそ、よろしくお願いします。ミコット・コーウェンです。」
わざわざ姿勢を正して挨拶をするミコット。比較するまでもないことだが、つい先ほどのロドリーの態度との違いに納得させられてしまう。
人としての向き合い方は、こうあるべきなのだ。メイアがあの屋敷での食事を避けたかった気持ちは正しかったことになる。
「荷物は、二階の貴方の部屋に運び込んでありますよ。」
「……俺の部屋?」
「半年間は、ここで暮らすんですよね?」
暁斗はメイアの顔を見てみると微笑んでいた。そういうことになっているのは間違いなさそうだった。メイア本人も話忘れていたことを思い出していたかもしれない。
――ちゃんと説明しておいてくれよ……。
朝食を済ませて、ドワイトから稽古をつけてもらう以外の説明は聞かされていなかった。もっとも、あのロドリーが管理する屋敷で半年間を過ごすことの方が苦痛ではあるので問題ない。
「……えっと、お世話になります。」
「食事やベッドは迎賓用のお屋敷の方が良かったかもしれないけど、メイアがどうしてもって言う……。」
「ミコットさん!」
メイアが遮ってしまったことで、ミコットが何を伝えたかったのか明確にはできない。ただし、慌てた様子のメイアは初めて見れたかもしれない。
ミコットは笑いながら『ゴメンなさい』とメイアに囁きかけた。
「あっ……ただ、服は血まみれで汚れが落ちなかったの。大きな穴も開いていたし。」
「あぁ、スイマセンでした。……捨ててしまう物ですから、気にしないでください。」
「あれだけの怪我をしていたのに、無事で良かったわ。」
安物のパーカーでしかない。刺された時の血と穴が修復されるとは思っていなかったし、別に困ることもなかった。
だが、そんな痕跡の話を聞くと、今の自分が生きていることを複雑に考えてしまう。
――あの場に、メイアが来てくれなかったら……。
そして、ポケットの中に手を入れて、水の精霊石を握りしめていた。
メイアと話をした時に、精霊石を見せてもらったまま返し忘れてしまっていた。ほとんど役目を終えている精霊石だったので、メイアも気にしていなかったのかもしれない。
「……アキトさん?……大丈夫ですか?食べられますか?」
暁斗は、惚けてしまっていた。
「ごめん、大丈夫。……俺もお腹空いてるんだ。」
二人はミコットに導かれるまま奥へと進んでいった。すると、階上の部屋からドタドタと音が聞こえてくる。
「姉さま、おかえりなさいです。」
声と共に、小さな女の子が階段を駆け下りてくる。
転がり落ちてきそう勢いだったので、心配になった暁斗は慌てて受け止める態勢を整えた。
無事に階段を下り切った女の子は、待ち構えていた暁斗を不思議そうな顔で見ている。
「……どちら様ですか?」
急な展開で、暁斗の頭が状況に追いついていなかった。女の子が転ばなかったことに安堵してしまい、目の前にいるキョトン顔の女の子から質問されたことを分かっていない。
「コラッ!……アーシェ、ご挨拶が先でしょ。」
「初めまして、アーシェです。……えっと、どちら様ですか?」
メイアからの注意を受けて挨拶が先にはなっているが、大した変化はない。それでも、このやり取りの時間で暁斗の状況把握は済んでいた。
「初めまして、ツキシロ・アキトです。……よろしく。」
メイアと同じで赤い髪だが、若干ピンクに近いような感じ。しかも、瞳の色はエメラルドグリーンである。全体的に健康的なポチャッとした印象が幼さを強調してはいた。
――このチョーカーは似合わないよな……。
ツインテールに可愛らしい服、せっかくの調和を黒いチョーカーが台無しにしてしまっている。小さな石が付いているチョーカーだったが、子どもに装飾品は不要である。
自然なままで十分に可愛らしいのだ。
――この石、精霊石か?
暁斗が見てきた石よりもサイズはかなり小さ目だったが、石の輝きから精霊石だと感じていた。明確な根拠はない。
宝石かもしれないが、ただの宝石では感じられないモノを暁斗は感じ取っていた。
「……アーシェは、もう食事済ませたの?」
「ハイ。もう済ませて、ご本を読んでいました。」
アーシェはメイアにギュッと抱きついていた。暁斗の治療でメイアと離れている間、寂しかったのかもしれない。
それから、ハキハキと丁寧な言葉で一生懸命に答えながら奥に進み、アーシェも食卓に着いた。
「スープを温め直すから、少し待っててね。」
暁斗は、この場に顔を見せないドワイトの存在が気になっていた。この屋敷の家主であるだろう人物が、未だに姿を現していないのであれば不在の可能性が高い。
「……ドワイトって人はいないのか?」
「ドワイトさんは、お食事の後すぐにお出かけしました。……身体を温めておかないと、って言っていました。」
暁斗の質問に答えてくれたのはアーシェだった。
元近衛師団長である男が準備運動も万全にして本気を出されてしまっては、暁斗も困ってしまう。もっと気楽に始めてくれても暁斗としては一向に構わない。
「そうなんだ、ありがと。……でも、そんな本気にならなくてもいいんだよな。ハードルが上がってるようで緊張しちゃうよ。」
今度はメイアが不思議そうな顔をして、暁斗に語りかけた。
「『ハードル』……ですか?」
異世界にはハードルが存在していないらしく、言葉が伝わらなかったのだろう。これまで不自由なく会話できていたので、暁斗は異世界であることを忘れて言葉を選んでいなかった。
「あっ、ゴメン。……えっと、ハードルが上がるってことは、難易度が高くなっているってことかな。」
「……難しいことになっているから、緊張してるんですか?」
「そんなところ……かな。」
言葉を確認されながらの会話は流れが悪かった。暁斗は首から下げている言霊の精霊石を取り出して眺めてみた。
――この精霊石も万能じゃないんだな。……元の世界でしか使わない単語は気を付けないとダメかもしれないな。
暁斗は今までの会話で自分が使った単語を思い出そうとしてみたが無理だった。普通に会話が成立していたので、単語のことなど気にも留めていない。
「……どうしたんですか?」
「ん?……いや、伝わらない言葉もあるんだなって考えてたんだ。……これなら椅子に縛られた時に、『メイアはSだ』って、独り言を漏らしても平気だったかもしれない。」
例え『S』の意味を聞き返されたとしても誤魔化してしまえば大丈夫だと思い、暁斗は笑いながら答えた。
「……アキトさんは、そんな風に私を見ていたんですね。」
「えっ?」
少しだけムッとした表情のメイアが座っている。
「私、最初に言霊の精霊石を説明した時、『言葉に込められた意味が直接心に届く』って教えました。……そのことをアキトさんが覚えているか確認してみたかっただけです。言葉は言葉としてだけではなく、意味を持って相手に届くんです。」
そうであれば、『ハードルが上がる』も理解していたのだろう。理解していたにもかかわらず、意地悪を仕掛けてきたことになる。
にも関わらず、暁斗が冗談交じりに言ってしまったのは、選りに選って『S』だった。
「いや、『S』って言ったのは、メイアは意地悪だってことで深い意味はなかったんだ。」
「子どもの前で変な言葉を連呼しないでください。……それに私は意地悪でもありません。」
アーシェは二人の間で交わされる会話を不思議そうに眺めていた。確かに『加虐嗜好』についての話を聞かせるべき相手ではない。アーシェの表情を見ている限り、意味自体が難しくて理解はできていないかもしれない。
――でも、メイアは絶対に『S』気質だ。
口にすることは出来ないが、暁斗は確信している。
そんな微妙な空気が漂う中、ミコットが食事を運んできてくれる。
「さぁ、どうぞ召し上がって。……?どうしたの?」
「あっ、何でもありません。いただきます。」
異世界での最初の食事は気まずい雰囲気の中で始まってしまう。それでも、異世界の食べ物に身構えることがなかったのは、この会話のおかげかもしれない。
食事は普通に美味しかった。空腹だったから美味しいと感じたわけではなく、本当に美味しかった。使われている食材に大きな違いもなく、パンに目玉焼きでウィンナーも添えられている雰囲気は同じだった。
アーシェはジュースのような物を貰い、二人が食べ終わるまで一緒にいてくれる。メイアの傍にいたかっただけだろうが、アーシェの存在が暁斗には有難かった。
――言霊の精霊石を過小評価した罰が当たったのかな……。
静かだが、温かい食事を終える。
「……ご馳走様でした。」
ミコットに御礼を言い、食べ終わった食器を片付けようと立ち上がったが、アーシェが代わりに片付けてくれる。
「さぁ、アキトさんは修練の時間ですよ。」
メイアの容赦ない言葉が飛んでくる。
「まだ食べ終わったばかりなんだから、少しゆっくりさせてあげれば?」
「……アキトさんは強くならないといけないんです。大丈夫ですよね?」
「ハイ、大丈夫です。」
暁斗としては早く身体を動かせる状態になることを望んでいる。そして、もう一度心の中で確認をした。
――メイアは絶対にSだ。
最初、椅子に静かに座っていた時のメイアを思い出しながら懐かしんでしまっていた。
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