第7話

 小柄なメイアが布団に覆われて隠れてしまっていたことや、暁斗が眠っていたベッドを他の誰かが使っているとは考えていなかったことの油断があった。

 完全に見逃してしまっていたらしい。 


 こんなにまじまじと女の子の寝顔を見るのは人生初の出来事かもしれない。

 椅子に座って話をしている時とは全く違った印象で、無防備に眠っていた。真っ白な肌と赤い髪のコントラストが綺麗で、心を奪われそうになる。


――鍵もかけてない部屋で、こんな無防備に寝てるなんて……。


 呆れているのではなく、心配になってしまっていた。

 メイアが自分の持っている魅力に気付いていないのであれば、こんな状況は絶対に避けなくてはならない。この国で有力な術師だとしても、眠ってしまえば女の子でしかない。


――?……もしかしたら、俺が気付いてないだけで誰かに警護されてる?


 エリスと呼ばれる得体のしれない人物は、全く気配を感じさせずに現れることが出来た。

 そんな存在が異世界には多くいるとすれば、無防備に眠っているのではなく守られていることになる。そんな状況には多少の興味が湧いてきた。


 暁斗は静かに手を伸ばし軽く頬を抓ってみたが、阻害されるようなことは何も起こらなかった。

 ただ単に、寝ている女の子のプニプニの頬を抓っただけでしかない。冷静になってしまえば、恥ずかしさと後悔を残こす行為でしかなくなっていた。


「……何をやってるんだ、俺は。」


 元の世界では絶対に経験する事のない瞬間だったはずで、これはこれで異世界を満喫していることにもなるのかもしれない。


 暁斗はモテなかったわけではない。学生生活では、恋愛を楽しむ選択肢もそれなりに用意されていた。しかし、それを敢えて遠ざけることで自分が幸せな時間を過ごすことを避けてきた。


「……俺も、もう休むか。」


 このままメイアの寝顔を見続けていることが怖くなっていた。

 美少女が無防備に眠る可愛らしい姿を見ていると、暁斗が心の奥底に封じ込めていた淡い感情を揺さぶられているようで不安定になってしまう。


――休むにしても、ベッドは占拠されてるし……。


 部屋の中にベッドは一つしかない。


――こんな状態のメイアを一人残すのも心配だし、かと言って起こすのも可哀想だし……。


 他の部屋に行くことも出来ない。そもそも、この部屋以外に行っても大丈夫か分かっておらず、確認したくてもメイアは眠っている。この世界で出会った数人以外からは不審者としてしか見られないかもしれない。


 ジークフリートの話が本当であれば、暁斗の寝顔に八つ当たりしたくなるほどメイアは疲れていたらしい。暁斗の治療のために眠ることが出来なかったメイアを起こすのは躊躇われた。


 残された場所は、床か椅子。


 綺麗に掃除されているとは言え、床の上で寝ることは気が進まない。となれば、残された場所は椅子だけ。

 眠れるかは別にして、暁斗は再び椅子に座り直すことにした。


――この世界に来てから、どのくらい時間が経ってるんだ?


 部屋の中に時計らしき物はなく、時間的概念があるのかも不明だった。

 ただ、メイアと最初に話をした時に窓の外は明るかったが、今は暗くなっている。昼と夜の区別はあるのだろう。


「……とりあえず、メイアが起きてくれないと、何も分からないか……。」


 椅子の脇に置いてある小さなテーブルには分厚い本が置いてある。暁斗が目を覚ますまでの間、メイアが読んでいた本だ。

 暁斗は椅子に座ったまま、テーブルの上に手を伸ばして本を開いてみる。


――やっぱり読めない……。


 言霊の精霊石も、文字に対しては効果がないらしい。

 見たこともない記号の羅列にも見えるが、本の形状は同じであるので書かれているのは文字で間違いないだろう。メイアが使っていた栞も挿んである。


――時間を潰せそうな物は……、何もないな。


 メイアは眠っているが、この部屋に一人ではない。不安な気持ちは和らいでいるが、余裕が出来たわけではない。手持ち無沙汰な状況でも、再び考え事をする気も失せていた。

 それは、18歳の健全な男としてのソワソワした感覚が原因になっている。


 暁斗は、もう一度寝顔を見たい衝動をを抑えていた。

 元いた世界で恋愛感情を誤魔化せていたとしても、メイアと比肩するほどの魅力的な異性と出会ったこともなかった。


 結局、暁斗の出来ることは外界との遮断だけだが、目を閉じていれば眠ることが出来そうだった。まだ身体が睡眠を欲しているのであれば、今後のことも考えて要求には従った方が賢明だ。


――こっちの世界に来てから、寝てばかりだな……。


 自分自身に対しての愚痴を言いながら、暁斗は眠りに落ちた。

 あの女のことも再び会えるかもしれないと期待していたが、なかなか期待通りにはいかないものだった。



―※―※―※―※―※―※―※―※―



 椅子に座ったままの姿勢で眠るのは、身体が痛くなる。

 だが、眠っていた姿勢だけが痛みの原因ではない。


「……!?……んっ?」


 暁斗の身体と足は、椅子に縛りつけられていて動けない。


 眠っている間に襲撃でも受けたのかもしれない。寝惚けている間もないほどに焦りが生じている。

 これまで穏やかな展開が続いたことで、完全に気を抜いてしまっていた。暁斗も部屋に鍵をかけるのを忘れていたのだった。


――ヤバイ!


 眠る前の室内と変化はなく、移動させられたり荒らされたりの形跡は見当たらない。


――メイアは!?


 椅子に縛られたままの位置からベッドで眠るメイアを確認することは出来ない。ベッドの状態を見る限りは、メイアは眠ったままである。小さく膨らんだ布団の形状はメイアの存在を知らせてくれていた。


 周囲は明るくなっており、こんな危険な状況にも関わらず二人は朝まで眠っていたらしい。


「……メイア!……起きろ、メイア!」


 ベッドの様子だけではメイアが無事か分からない。今の暁斗に出来るのは必死に声をかけることだけ。


――『血の匂い』はしてないから大丈夫だ。


 微かにだが布団がゴソゴソと動いている。暁斗の声に反応していた。


「メイア、起きてくれ!」


「……んんっ……。」


 メイアは上半身だけを起こして、目を擦っている。何とも緊張感を感じられない様子だったが、危害を加えられたりはしていなさそうだ。


「……あっ……。アキトさん、おはようございます。」


「そんなことよりも、無事なのか?」


「えっ?……おかげ様で、よく眠れました。」


「無事なんだな!?」


 暁斗の慌てた様子を見て、言葉を出せなくなったメイアは頷くだけだった。


「……そうか……、それなら良かった。」


「……どうしたんですか?」


 メイアの無事は確認出来たことになるが、問題が解決されたことにはならない。この状況を作り出した人物の意図が分からなければ、安全になったとは言えないのだ。


「でも、それならどうして俺は縛られてるんだ?」


「……私が縛ったんですけど……。」


 メイアの発言を即座に理解することが出来なかった。暁斗は、寝ぐせで髪の毛が少しハネたメイアを見ながら、


「えっ……?今、何か言った?」


 間抜けな聞き方になってしまう。冷静に考えれば、こんな状態になっている暁斗を見ても全く動揺していないのだから間違いないのだろう。


「……アキトさんを椅子に縛りつけたのは、私ですよ。」


 暁斗の中で時間が停止していた。ベッドの上で可愛らしく教えてくれた少女が、寝起きの悪魔に見えている。


「…………どうして?」


 この言葉を絞り出すことが、暁斗に出来る精一杯だった。


「だって、こんなにも近くに男の人がいるなんて……。安心して眠ることも出来ないですよね。」


 国王との話を終えて戻ってきた時、既にメイアは眠っていた。暁斗が心配してしまうほど無防備に眠っていたのだ。

 それを安心して眠れないことを理由にして、椅子に縛りつけてしまうのは理不尽である。


「……一度、目が覚めた時、アキトさんも眠っていたんです。……でも、次にアキトさんが目覚めた時も安全とは限りませんよね。」


「やり過ぎだとは思わなかった?」


「身を守るためには大切なことです。」


 きっぱりと言い切るメイアからは悪気は感じられない。純粋な気持ちで暁斗を椅子に縛りつけたのだろう。自分が安心して、ゆっくり眠るための手段に躊躇いはない。

 何事も起こっていなかったことや、メイアが無事であったことが分かった安堵感から怒る気力が湧いてこない。


「……でも、鍵もかけてない部屋で、無防備に寝ている方が問題じゃないか?」


「眠っている時に何かあれば、ちゃんと術が発動するようにしてありましたから大丈夫なんです。」


「そんなはずないだろ……。だって、俺が頬っぺたを抓っても、何も起こらなかったんだ!」


 後悔先に立たず――暁斗から発せられた言葉を消し去ることは出来ない。思わず口走ったのは、言わなくてもいい言葉だった。


「……そんなことしてたんですか?」


「うっ。」


「頬を抓ったくらいで術は反応しないですよ。……まさか、『そんなこと』をされるとも思っていなかったですし。」


 メイアは掛けてあった布団を口元まで手繰り寄せ、暁斗と自分の間に壁を作った。暁斗を見るジト目に居心地の悪さを感じてしまう。


「……でも、術だけでは心配だったので、『やっぱり』アキトさんを縛っておいて正解でしたね。」


「いや……、国王との話が終わって戻ってきたら、無防備に寝てるメイアを見つけて……、つい。」


「アキトさんは『つい』で、寝ている女の子の頬っぺたを抓る人なんですか?」


「だから、違うんだって!」


「違うんですか?」


 違うのかと聞かれてしまえば、何も違わなかった。事実、暁斗は無防備に眠っている女の子の頬を抓っている。その事実だけを語ってしまえばメイアが言っていることは正論だった。


『……自分は八つ当たりで俺の頬を抓ったくせに。』


 それでも、八つ当たりで頬を抓ったメイアに責められるのは納得いかない部分もある。だが、聞こえない程度で文句を言うしか出来ないことが情けなかった。


「……何か言いましたか?」


「いえ、スイマセンでした。……それで、そろそろ解いてはもらえないでしょうか?」


 メイアは髪を指で整えてから、ベッドから立ち上がる。そこで初めて寝衣に着替えていたことに暁斗は気付いた。

 いつ着替えたのかも分からないが、白くてフワフワした寝衣。


――パジャマって、世界が変わっても似たようなものなんだな。


 どうでもいい感想で気持ちを落ち着けることにした。

 メイアは椅子の背後に回り作業を開始して、紐を解いてくれている。


「……縛ったこと、怒られるかと思ってました……。」


 背後からかけられた言葉は小さな声だったが、距離が近かったので暁斗にはハッキリと聞き取れていた。メイアも、一応は怒られる覚悟があった。


「ん?……何か事件でもあったのかと思って焦ったけどね。……何事もなく、メイアも無事だったんだ。別に怒らないよ。……それより、俺の方こそ、慌てて起こしちゃって悪かったな。」


 一瞬メイアの手が止まったように感じる。


 そして、暁斗はメイアとのやり取りを通じて、久しぶりに人間的な会話が出来ていることに苦笑いを浮かべた。

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