第55話 月下草と夜の森③

 子供達が寝入った後、周辺は途端に静まり返り、ただただ時間だけがゆっくりと流れてゆく。


 土筆つくしは風妖精シフィーからもたらされる情報に耳を傾けながら、一定時間ごとに採取した成分を手に戻って来るカリアナ達に飲み物を手渡したり、寝ている子供達が虫に刺されないように虫よけの香を焚き足したりと、時間的には余裕があるのだが、精神的に休まる暇はない。


 カリアナ達が何回目かの休憩に戻ってきた頃、草原くさはらの東側から「ちゃちゃっと行って、さっと帰って来る」と言い残して立ち去ったメルが戻ってくる。


「ねえねえ、この子助けられる?」


 子供達が寝入っている事に配慮したのか、メルは何時もより小さな声で土筆つくしに話し掛ける。


「おお、メル。お帰り」


 瞑想と言う名の浅い眠りに落ちそうになっていた土筆つくしは反射的に声の聞こえた方に視線を向けると、突然、まどろむ視界の中に凶悪な魔獣の姿が飛び込んでくる。


「……っ、どうしたんだ?」


 思わず大声を上げそうになった土筆つくしは両方の手を重ねて口を塞ぎ、飛び出しそうになった声を強引に呑み込むと、薄暗がりの中、六本腕をだらーっとぶら提げた状態でメルにぶさっている大きな熊のような魔獣を見上げ呆然ぼうぜんと尋ねる。


「違う違う。そっちじゃなくてこっち」


 ぶっている熊のような魔獣を見上げる土筆つくしに対し、メルはもう片方の腕で抱き抱えている小さな魔獣を自身の尻尾の先で指し示す。


土筆つくしさん、何かあったんですか? あっ、それジュエリビートですね」


 土筆つくし達が何やら騒がしくしているのを遠くで見ていたカリアナは野次馬スキルを発動して様子を見に来ると、メルの抱えている小さな魔獣がジュエリビートである事を伝える。


「ジュエリビート?」


 ジュエリビートとは宝石を含む原石に精霊が憑りついて生れ出る魔獣の総称で、土筆つくしの頭髪の隙間に潜っているフェアリープラントのタッツと似たような存在である。


「これもかなりレアな存在ですけど、土筆つくしさんって前もフェアリープラント見付けてましたよね?」


 カリアナは薬草採取の時を思い出したのか、土筆つくしの背中をペチペチと手の平ではたきながら鼻で笑う。


「この子助けられそう?」


 目の前の状況から判断する限り、ジュエリビートが熊のような魔獣に襲われているところをメルが助けたのだろう。


「助けらられるかどうか分からないけど、やれることはやってみるよ」


 土筆つくしはそう言うと、地面に敷いた布の上にジュエリビートを横たえてもらい、鞄の中から中級ポーションの瓶を取り出して振り掛ける。しかし、人とジュエリビートでは基本的な構造が違うのかポーションでの回復効果は全く得られなかった。


「ポーションは効かないみたいだな……なら魔法はどうだ?」


 土筆つくしは腰に巻いてある鞄の中から回復魔法を封じ込めたシリンダーを取り出すと、シリンダーの封を解放しジュエリビートの傷口にに注ぐ。


「これも効いてないみたいだな……」


 熊のような魔獣の爪によって裂かれたであろう背中の裂傷は塞がらず、ジュエリビートは弱々しく苦悶の声を上げるのだった。


「くっ、コルレットが居ればな……」


 神力による癒しの力があれば、種族に限らず治癒することが可能なのだが、メルは悪魔の呪いによって猫人族化しているため、本来持っている神力を解放することができない。


土筆つくしさん、駄目元で試してみますか?」


 カリアナは錬金術を使って土筆つくしが持っているポーションの成分を弄り、ジュエリビート用に新しいポーションを作り出すことを提案する。


「ただ、このジュエリビートにどの成分が効くのか分からないので当てずっぽに頼るしかないですし、余分な成分を排除するので一本作るのに五本分のポーションを使うことになりますけど……」


 普通の冒険者であれば、見知らぬ魔獣に高価な中級ポーションを費やすことはしないだろう。しかし、土筆つくしは変わった冒険者なのである。


「本当か? 少しでも可能性があるなら頼むっ」


 土筆つくしは腰に巻いている鞄から中級ポーションの瓶を五本取り出すと、躊躇ためらう素振りも見せずにカリアナに渡す。


「分かった。失敗しても文句言わないでよ?」


 カリアナはそう言い残すと、受け取った中級ポーションを持って弟子達が休んでいる所へ戻って行った。


「この子、助かるかな?」


 メルは布の上で苦しそうにうずくまっているジュエリビートの頭を指ででながら心配そうに呟く。


「何かあったのですか?」


 外の騒ぎで目を覚ましたのか、簡易テントで眠っていたホズミが目をこすりながら出てくる。


「すまんホズミ、起こしてしまったか?」


 眠っている子供達を起こさないよう配慮して事に当たっていたのだが、残念ながらホズミを起こしてしまったらしい。


「いえ、起きたのは私だけですので……そこに横たわっているのはジュエリビートですか?」


 シェイラの守護獣として神から遣わされた九尾の狐であるホズミは、自身にとって遠い仲間となるジュエリビートを見て声を漏らす。


「そうだった……ホズミなら、この子の傷を癒すことができないか?」


 ホズミの身の上を知っている土筆つくし一縷いちるの望みを託して尋ねる。


「……多分無理だと思います。私とジュエリビートでは成り立ちが全く違うので、私の魔力を供給することができません」


 ホズミは期待に応えることができず、申し訳なさそうに答えるのだった。


「……でもっ」


 ホズミはジュエリビートを救うことができるであろう唯一の方法を思い付くのだが、言い掛けてすぐに言葉を呑み込むのだった。


「ホズミ。どんなことでも構わないから教えて欲しい」


 土筆つくし懇請こんがんするようにホズミに訴える。


「……ハイエルフであるシェイラなら、その子と契約し救うことが出来るかも知れません」


 土筆つくしは言葉を呑み込んだ時のホズミの表情を見て何となく予想はしていたが、やはりシェイラ絡みであった。


「ジュエリビートと契約を行うとシェイラに何か影響があるのか?」


 土筆つくしは自分以外の誰かを犠牲にする事を良しとしない。


「シェイラの持つ魔力量を考えればテイム自体問題はないと思います……しかし、シェイラはまだ魔力の扱いに慣れていないので……」

「どうしたの?」


 ホズミの言葉を簡易テントから出てきたシェイラがさえぎる。


「あっ、魔獣の赤ちゃんだっ」


 シェイラはメルのそばで横たわっているジュエリビートに近寄ると、しゃがみ込んでナデナデする。


「あっ、シェイラ。無暗に近づいては危ないです……」 

「大丈夫だよ。この子良い子だもん」


 又してもホズミの言葉がシェイラによってさえぎられるのだった。


「ねえマスター?」


 シェイラはジュエリビートの頭をでながら土筆つくしに話し掛ける。


「この子、私と契約したいって言ってるけど契約してもいい?」


 シェイラとジュエリビートの相性が極めて高いのか、無契約の状態にも関わらず二人の間には念話の回路が繋がっているのだった。


「……」


 土筆つくしはシェイラにどう返事をすれば良いのか判断できず、ホズミに視線を送る。


「シェイラ、できそうですか?」


 ホズミはシェイラの言葉を聞いて腹を括ったのか土筆つくしに対し軽く頷くと、シェイラの元へ歩み寄る。


「大丈夫だよ。シェイラ、いっぱい練習してるもん」


 シェイラの意志が変わらないことを確認したホズミは自身の魔力を解放すると、シェイラとジュエリビートの契約を行う土台を作り出す。


「さあ、シェイラ。何時も通りにやってごらん」


 ホズミの言葉に真剣な表情で頷いたシェイラは自身の魔力を解放する。

 シェイラの体から溢れ出た濃厚な魔力は、ホズミの魔力に誘導されるようにジュエリビートへと流れていく。


「シェイラ、焦らないで」


 ホズミはシェイラの魔力を感じながら適切に誘導を続け、時間が経つに連れシェイラとジュエリビートの魔力の色が混ざり合って同色に変わっていく。


「……終わった」


 魔力が発する光が収まると無事にシェイラとジュエリビートの契約が結ばれ、シェイラの魔力供給によってジュエリビートの背中の裂傷も完治するのだった。


「うんうん。良かったねー、よしよし」


 メルは傷が塞がり元気を取り戻したジュエリビートをモフモフとで回す。

 シェイラは初めてのテイムで疲れたのか、その場にべったりと座り込んでいる。


「シェイラっ、大丈夫ですか?」


 ホズミはシェイラを優しく抱き締めると、心配そうに尋ねた。


「うん、少し疲れちゃったけど、シェイラ大丈夫だよ。」


 シェイラは満面の笑顔でホズミを上げるのだった。


「あれ? 何か終わってないですか?」


 土筆つくしから受け取った中級ポーションを錬金術で作り変え、一秒でも早く届けようと急いで駆け付けたカリアナは、知らぬ間にめでたしめでたしの雰囲気になっている場面に出くわして肩透かしを食らう。


「あっ、カリアナの事忘れてた……」


 土筆つくしにとっても思わぬ展開だったためか、頭の中からカリアナの存在がすっかりと抜け落ちているのだった。


「鬼、鬼畜、人でなしーっ」


 夜明け前、薄明かりの夜空の下、いつの間にか月下草げっかそうの灯りも消え静まり返る草原くさはら土筆つくしへの罵倒の声が響き渡るのだった……

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