第33話 土筆と八人の孤児⑤

 夜が明け、日の光に満たされた異世界ラズタンテの空を、弾けた綿花のような雲が流れて行く。


 窓から差し込む日の光で目を覚ました土筆つくしは髪の中に潜っているタッツに挨拶をすると、日課である朝の鍛錬に出掛ける。


 宿舎の外まで移動した土筆つくしは念入りに準備運動を行い、地妖精ドニに敷地内の整理をお願いした後、気負うことなく自分のペースで走り始めるのだった。


 ほぼ中間地点となっているメゾリカの街の南外壁に到着し、足場が荒れ地から外壁側の整地に変わった頃、土筆つくしの視界にはモーリス達の姿が確認される。


「おはよう、モーリス」


 モーリスは土筆つくしから依頼されている外壁近くの草を食べるのを中断して挨拶変わりの一声をあげると、土筆つくしの元へ駆け寄る。


「主よ、相談があるのだか?」


 モーリスのハーレムを構成している雌のゴトッフ達も集まって来る。


「主の治めるこの地には少々異質な魔素が含まれておるようで、我が妻達が困っておる」


 モーリスが指摘している異質な魔素の正体は、粗方コルレットが張った結界か始祖へと繋がっている宿舎中庭の井戸が原因だと考えられるのだが、こればかりはコルレットかポプリに確認しないと判断できない。


「うん、分かった。原因を調べてみるよ」


 土筆つくしは憶測で話しをするのも良くないと考え、後からポプリにでも聞いて調べてもらおうと決めたのである。

 しかし、土筆つくしの回答を聞いたモーリスは慌てて否定する。


「いや、主よ。異質な魔素が害を為しているわけではないのだが……」


 微量に含まれる異質な魔素によって雌のゴトッフ達に健康被害が出ているのだと解釈していた土筆つくしは、モーリスの言葉に躊躇いの言葉を漏らす。


「すまぬ、主よ。そのなんだ……我の妻達が異質な魔素に当てられたのが原因で、乳が張ってしまったらしくてな……悪いが搾乳さくにゅうして欲しいのだが……」


 モーリスは照れているのか随分と歯切れの悪い言い回しではあるが、要するに、この付近に漂っている異質な魔素の影響で、本来なら子をはらまなければ出ないはずの乳が出てしまっていると言うことらしい。


「そういうことか……うん、分かった。どちらにしても詳しい人に確認して対処するよ」


 コルレットやポプリから異質な魔素について何も知らされていないことを考えると、恐らく問題はないと思う土筆つくしであるが、この手の話は調べておいて無駄になることはないのだ。


「主よ、感謝する」


 モーリスはそう言うと、雌のゴトッフ達を引き連れて餌場に戻っていくのだった……



 モーリス達と別れた後、土筆つくしはランニングを再開し宿舎に戻った。

 宿舎中庭の井戸水で汗を流すと、その足でポプリの部屋を訪れてモーリスの件について話をする。


「有り得ない話ではないわ」


 ポプリは土筆つくしの話を一通り聞くと即答する。


「井戸水が蒸発すれば、含まれていた魔素は大気中に放出されるわ」


 宿舎中庭の井戸の底と始祖の世界とは魔力結界を媒介して繋がっている。

 魔力の元は魔素なので、魔力を媒介していると言うことは、魔素も媒介している事になる。

 当然の事ながら、井戸水は始祖の世界と間接的に接触していることになり、井戸水には極めて微量ではあるが始祖の世界の魔素が溶け込んでいることになる。

 その井戸水が地上側で蒸発すれば水の中に含まれていた魔素は大気中に放出し拡散されるので、宿舎の周辺にはモーリスの言う”異質の魔素”が漂うことになるのである。


「それ本当なのか? 俺、井戸水普通に使ってるんだけど……」


 ポプリの話を聞いた土筆つくしは、知らず知らずのうちに異質な魔素を浴びていた事に不安の色を見せる。


「もう手遅れよ」


 ポプリは冷酷な笑いを浮かべ視線を逸らす。


「……!?」


 土筆つくしはポプリの仕草に背筋が凍り、言葉を失うのだった。


「嘘よ……結論から言うと何の問題もないわ」


 ポプリは絶妙なタイミングで前言を撤回すると、始祖についての説明を始める。


 ポプリの話では、始祖とは神も悪魔も存在しない時代、この異世界ラズタンテに生命の息吹をもたらすために存在したモノの総称で、彼らは神とも悪魔とも違う次元に生き、彼らが発する魔力には新しい生命を生み出す特別な力が宿っていたらしい。


「道理で……いつも鍛錬後に中庭の井戸水浴びると疲れが取れる気がしてたんだよね」


 ポプリの説明を聞いた土筆つくしは、不思議に思っていた感覚の正体を知って納得する。


 始祖の魔力は、言わば新し命を生み出してしまう程の強力な回復魔法であり、生身の生物が直接触れてしまうとその効果が強すぎて毒となってしまうのだが、それが極めて微量であるのなら回復剤と同様の効果をもたらすのである。


「話を聞いて安心した。ポプリ、ありがとな」


 土筆つくしの笑顔から発せられる感謝の言葉が、ポプリのくすぐったい所を刺激する。


「あの子達が心配してるならコルレットに診てもらうといいわ」


 ポプリは土筆つくしに感情を悟られないように俯くと、静かに部屋の扉を閉めるのだった……



 土筆つくしはポプリから聞いた話の内容を念話でモーリスに伝えると、朝食の用意に取り掛かる。


 昨日までは、本当の意味で自由人なメルと食に興味を持たないポプリしか居なかったこともあり、朝食の時間も適当で済んだのだが、今日からは新たに八人の子供達が加わることになる。

 子供達の生活リズムを知らない土筆つくしは、できるだけ子供達の生活に合わせてあげたいと考え、朝食待ち伏せ作戦を敢行することに決めたのだった。


 朝食の仕込みが終わり、厨房内の椅子に腰掛け暖かい飲み物を手に一休みする土筆つくしの前に黒狼族のミルルとネゾンがやって来る。


「ミルル、ネゾン、おはよう」


 土筆つくしはカウンター越しからミルルとネゾンに挨拶をすると、二人が普段食べている朝食の内容を聞き出し、同じようなメニューを盛り付ける。


「足りなかったらお代わりあるからな」


 土筆つくしがミルルとネゾンが普段朝食で食べていると言うパンとスープをテーブルに配膳していると、ホズミとシェイラを心配したのか、ポプリが本を抱えてやって来るのだった。


「ポプリ、何か食べるか?」


 土筆つくしはいつもの席に着席するポプリに声を掛けると、ポプリから注文された紅茶をトレーに載せてテーブルまで運ぶ。

 そうこうしているうちに白狼族のルウツとホッツ、白狐族のエトラとラーファが次々とやって来て、宿舎の食堂兼休憩室は何十年振りかの賑やかさを取り戻すのだった……


 子供達が朝食に手を付けてから暫くすると、

幻覚魔法を解いてエルフの姿に戻ったシェイラと、昨日土筆つくしの前で見せた九尾の狐の姿ではなく、九尾の獣人の姿をしたホズミが登場する。


「おはようございます」


 ポプリが本を開いたまま周囲に意識を向ける中、ホズミは少しばかり緊張した仕草で挨拶をする。

 昨日までと違うシェイラとホズミの姿に獣人の子供達の視線が集まる。


「あっ、シェイラちゃんだ、おはよー」


 朝食を食べ終えて食後のティータイムを楽しんでいたラーファが、シェイラの姿を気にする事もなく挨拶をするのだった。


「ラーファちゃん、おはよー」


 シェイラも自身の姿を特に気にする事もなくラーファの元へ駆け寄ると、同じテーブルの椅子に腰掛ける。

 土筆つくしはその様子を当然のように見守ると、ホズミに向かって朝食の希望を尋ねるのだった。


「ほら、心配する必要なんてなかっただろう?」


 ホズミは取り越し苦労から解放されたのか、微かに目を潤ませせながらゆっくりと頷き、土筆つくしが用意した朝食の載ったトレーを受け取る。

 それを見届けたポプリは静かに本を閉じ、帰り際に厨房の中の土筆つくしに耳打ちをする。


杞憂きゆうだったわ」


 それを聞いた土筆つくしが笑いながら自身の鼻を指差して根拠を示す。


「獣人の鼻までは誤魔化せないからね」


 昨日の土筆つくしの発言にはしっかりとした裏付けがあったことに気付かされたポプリは、一本取られたと不覚を認め部屋に戻っていくのだった……

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