僕達はFが弾けない

椰子草 奈那史

僕達はFが弾けない

 あなたの家の押し入れや物置にギターは眠ってないだろうか。

 あるとしたら、それはおそらくあなたが中学か高校の頃に手に入れたものではないだろうか。

 そしてそのギターが、年季が入ってる割には妙に傷も少なく新しいものだとしたら、この可能性を問うてみたい。


「あなた、もしかして『F』が弾けなかったんじゃないですか」と。


 ※※※


 初めてギターを手にしたのは14歳の夏だった。

 理由は単純だ。

 好きだったクラスの女の子が、当時人気だったあるバンドのギタリストのファンだったのだ。

 もう言わなくてもわかるだろう。

 彼女の前で華麗にそのバンドの曲を弾いてみせたら付き合えるんじゃね、という安易で童貞臭が漂う妄想が暴発したのだ。

 俺は小学校六年からため続けたお年玉をこっそり引き出すと、少年漫画誌の裏表紙の片隅に載っていた、通販の初心者向けのエレキギターとアンプのセット(誰でも弾ける教本付き三万円)を親にも内緒で申し込んだ。

 十日ほどして届いたそれを見たときは、天にも昇る勢いだった。

 親にはシコタマ怒られたが、俺は早速ギターを練習し始めた。

 頭の中では既に彼女と行くデートの場面が浮かんでいた。

 まだ付き合ってもいないのに、まだギターを弾けてもいないのに、だ。


「誰でも弾ける教本」を読みながら初めてギターの弦を押さえたときの指の痛みは今でも覚えている。一体なんの拷問なのかと思うほど皮膚に食い込んでくる鉄の弦が指先に簡単にマメを量産する。

 それでも、不格好ながらもC、Em、Am……と少しずつ程度には弾けるコードも増えていった。

 そしてある日、俺は満を持してそのことを教室で周りの友人達に話した。

 必要以上にでかい声で、渾身のドヤをかました。


「俺、今エレキギターやってるから、今年の文化祭にはバンドでもやろうかなって思ってる」


 よく事情を知らないクラスメイト達は、何かヒーローでも舞い降りたかのように熱狂した。

 俺はそんな彼等にギターの素晴らしさを語り続けた。四つぐらいしかコードを弾けないのに。


 そして、いよいよ俺の好きな彼女からも声がかかった。

「●●君、もしバンドやるならTHE■■■■っていうバンドの▲▲▲▲って曲をやってほしいな」

 彼女は音楽雑誌の付録に付いていたと思われる、歌詞にコードが振られたページのコピーを俺にくれた。

「いいよ、考えとく。ちょっと俺のフィーリングに合うかは弾いてみてから決めるけど」

 俺はあたかも孤高のギタリストのような口調で答える。もちろん、コードは四つぐらいしか弾けなかった。

「うん、お願いね!」

 熱を帯びた彼女の瞳に俺は有頂天になった。

 まだバンドも組んでいないのに、曲すらも弾いてないのに、俺は頭の中で彼女との初キッスの場面のシミュレーションを始めていた。


 そして家に帰った俺は、彼女からもらったコピーを机の上に置きコードをはじき始めた。幸いなことに彼女の好きなバンドは比較的シンプルな曲調が多く、その曲もそれほど多くのコードが使われてはいなかった。

 すぐにいけるんじゃないかと思ったその時、歌詞がBメロに差しかかったところで指が止まる。

 歌詞の上に「F」という文字が振られていたからだ。

「Fってなんだ?」

 俺が見ていた「誰でも弾ける教本」のレッスン3にはまだそのコードは登場していなかった。

 教本の先のほうを読み進めていくと、いくつか先の見出しに「バレーコードを弾いてみよう!」というページがあった。


 ギターをやらない人のために説明すると、ギターというのはフレットという金属の小さな山で区切られた単位に分かれていて、基本はその一音を一本の指先で押さえてそれが重なることでコード(和音)を奏でる。

 しかし、バレーコードは人差し指一本で六本の弦を全て押さえて、さらに他の指でもフレットを押さえなければならない。

 これは初心者にはハードルが高く、初めて押さえた時は、大概「ベボッ」というしまらない音をたてることになるのだった。

 もちろん、俺も一回で諦めたわけではない。しかし指は痛く、弾いても弾いても「ベボッ」としか鳴らない音に次第に嫌気がさし始めた。

 元々ギターが好きで始めたわけでもなく、ただ好きな子にいいカッコをしたいという動機だったから、ギターに対する情熱は急速に冷めていった。

 もはや、ギターよりもファミコンでゼビウスのハイスコアを狙うほうがよっぽど楽しくなっていったのだった。


 とはいえクラスメイト達は簡単には冷めてくれなかった。

 その後も、バンド組むなら俺を入れてくれとか、この曲をやってほしいとか色々なオファーはあったが、俺は音楽性の違いやらを理由にして結局人前で一曲たりとも弾くことはなかった。

 さすがにクラスメイトも馬鹿ではないから、俺の本音を見抜いてからは急速に音楽の話はしなくなった。

 好きだった彼女からも、二度と親しげに話しかけられることはなかった。


 文化祭の当日、俺は自分が立つはずだった体育館のステージを観客として見ていた。

 五歳からクラシックギターをやっていたという二組の山下君の流麗な「禁じられた遊び」を、あくびを我慢しながら聴いていた気がする。


 今思えば「F」というのは、有象無象のギター初心者に対する最初の番人のようなものなのかもしれない。

 例えるならそれは新日本プロレスの山本小鉄、あるいはフルメタルジャケットのハートマン軍曹とでも言おうか(若い子にはわからないかもしれないが)。

 あの時、もし自分にもう少し根性があってFが弾けていたならば、何か違う未来があっただろうか……なんて思わなくもないが、まぁ、たぶんたいした違いはなかっただろう。


 ※※※


 昨年の春、外に出歩くのもはばかられるような空気の中で、ありがちな話だが暇だった俺は家の中の整理などを始めた。

 その時、天井のロフトの片隅から埃にまみれたギターケースが発掘された。

 ケースに比べて中のものは意外ときれいなままだったが、実質二ヶ月くらいしか使ってなかったのだから当然といえば当然だ。

 それを見た息子が「弾いてみたい」と言い出した。

 息子は14歳、くしくもあの時の俺と同じ年齢だ。

 俺はギターの弦を買って張り換えてやり、息子に教本の最初のところだけは教えてやった。

 本当に最初のところだけだ。なぜなら、俺はコードが四つぐらいしか弾けないのだから。

 息子は独りで練習を進め、いよいよ教本の「バレーコードを弾いてみよう!」のページまでたどり着いた。

 この時ばかりは、俺はバレーコードを弾くのはいかに難しいかを饒舌に息子に語った。

 そして、必死に指を折り曲げ押さえたFを息子がピックで弾いた瞬間、多少こもってはいるが、たしかに「ジャラーン」と音が鳴った。

「鳴った! 鳴った!」と喜ぶ息子を俺は祝福と嫉妬の合い混じった感情で眺めていた。


 そう、長々と語ってきたが、弾ける人間はけっこうアッサリと弾いてしまうのだ。


 ……いや、父としては喜ぶべきだろう。

 息子よ、お前は選ばれた人間なのだ。どうか父の果たせなかった偉業を成し遂げてほしい。

(クラスの)女の子をはべらせ、(文化祭の)ステージでスポットライトを浴びる栄光の日々を……。


 終

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僕達はFが弾けない 椰子草 奈那史 @yashikusa

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