第53話 長良花の1日

 長良は会社員である。


 まだ入社2年目ということで、仕事内容は資料のまとめや会議室の確保など雑用がメインとなっている。


 政木が会社にいたころは手伝いでもっとやりがいのある仕事をしていたが、今はみな定時で帰れるように仕事が割り振られているのでそういったこともなくなった。

 長良としては仕事の内容が末端のものになってしまい残念なところではある。


「長良さん、やっぱり優秀だよな〜」


 同僚がそんなことを言っているのを耳にしながらも、長良は自慢をしたりマウントを取ることがない。


(先輩はもっと優秀だったからなぁ…)


 理由は簡単で、自分よりも上の人間を知っているからだった。


 無駄なく会話を進め、資料も短時間で分かりやすいものを作る。

 だからこそキャパシティを越える量の仕事を投げられていたのだが、普通の人なら日が変わっても帰れないような量をこなしてしまう。


 そんな人間を知っているからこそ、長良は自慢する気にはなれなかった。


「じゃあ長良さんここまでね。お疲れ様」

「はい、失礼します」


 上司に仕事内容を報告して、会社を出る。

 いつもはここでまた鬱屈な気持ちで帰るのだが、今日は違う。


「せんぱいの〜♪ おうち〜♪ 急いでいこう〜♪ せんぱいを捕まえろ〜っ♪」


 意味不明な歌を歌いながら、駅に向かう。

 そう、今日は政木の家に行く日である。


 政木の家の最寄駅で降りると、コンビニでお酒やお菓子を調達する。

 ご飯は政木が作ってくれているはずなので、それに合いそうなものをチョイス。


 長良の本音としては、本当は自分で作れるようになりたいのだが、いかんせん調理スキルがないのと政木が息抜きにちょうどいいと言うので譲っている形だ。


「よし、髪型おけー!」


 ガラス越しに身だしなみをチェックして、いざ出陣。


「せんぱい、わたしですー!」

「お、よく来たな。上がってくれ」

「はいっ!」


 1週間ぶりに聞く声に気持ちを昂らせながら、なかなかやってこないエレベーターを待つ。


 ようやく来たエレベーターに食い気味に乗り込んで、重力に逆らいながらぐんぐん上る。


 そして政木の部屋の前でひとつ深呼吸を入れて、鐘を鳴らす。


「はいどうぞ。散らかってるけど、気にしないでくれ」

「あーまた散らかして……! いつものように片付けときますよ〜」

「悪いな」

「そのために来てるんですっ!」


 せかせかと荷物を下ろして掃除を始める。


 よくわからないチラシ、ゴミ。

 よくわからない本、本棚に。

 よくわからないコード、せんぱいに聞く。


 いつもの調子で片付けをしていると、キッチンからいい匂いが漂ってくる。


 長良はこの時間が好きだった。かたや掃除を、かたやご飯をなんてまるで夫婦みたいだ。

 お互いにお互いを気にすることなく、それでいてお互いのための行動をしている時間は長良にとってかけがえのない時間だ。


「長良ーご飯できたよー」

「はーいっ! 今日のご飯はなんですかー?」

「今日はロールキャベツを作ってみたぞ」

「わーい!」


 それから2人で食卓を囲む。

 話の大半は長良の仕事の話だが、たまに政木がVtuberの仕事について話をしたり、全然仕事とは関係のない話をすることもある。


 ご飯を食べるといつもはすぐ解散の流れだが、今日は少し違った。


 冷蔵庫から政木が何かを取り出してくる。


「はいこれ、バレンタインのお返し。作れなくて申し訳ないけど、許してくれ」

「せんぱい…!」


 長良自身、お返しがもらえるとは思っていなかった。むしろホワイトデーのことは忘れられている可能性の方が高いと思っていたくらいだ。


 だから、覚えてくれていたこと、そしてお返しをもらったことが何より嬉しかった。


「まあちょっとホワイトデーには早いけどね。先の方がいいと思って」

「ありがとうございます! 大事に冷蔵庫で保管しておきます!!」

「あはは、ちゃんと食べてね」


 長良はもらったプレゼントを大事に抱きしめる。それを見て政木が苦笑いをした。


「いつもありがとね、長良。掃除なんてホントは女の子にやらせることじゃないんだけど」

「いえっ! わたくし、もっと頑張らせていただきます!」

「これからもよろしく、長良」

「うんっ!」


 長良の1日は幸せの中で終わっていった。

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