第52話 カイロス2

「いくつか聞きたいことがありましてね、同僚に少し働いて貰いました」

「……」


 自らの得物である鉄棒を隠すことなく、ハヴェル神父は床をコツコツと叩きながら歩き始める。


「ここは、聖女や遺物の持ち主を歓待するための場所です。正直なところ、どう思われます? 金に飽かしてつくった虚栄と虚飾にまみれたこの場所は」


 軽く棒を振り、彫像の一つに傷をつける。黄金に輝くそれは、傷口の内側を見ても黄金のまま、つまりは内部もそれで作られているという事だ。


「私も昔はこれに違和感を覚えず。ただ蒙昧に世界平和を祈っていました。ですが、ある時気付いてしまったのです。こんな虚飾にまみれた場所ではなく、遠く離れた地でこそ救いを求める人がいるのだと」


 彼の表情は何かを思い出すかのように穏やかで、その中に狂気は混じりこんでいないように見えた。しかし、彼の身体には、烙印が浮かび上がっている。穏やかに見えるその表情の下には、どれほど昏い狂気が潜んでいるのか、それを考えると身震いする思いだった。


「さらにそこでの体験で私は思いました。安全圏に閉じこもり、人を救った気になっている人間がいかに愚かなのか。ましてや、人に言われるがまま聖都に至り、そこでの生活を受け入れようなどと思う人間は生きるに値しないと」

「っ……」


 イリスの事を一瞬だけ睨みつけたが、ハヴェル神父は視線を戻して言葉を続ける。


「……混血と共に生きている貴方なら分かるでしょう。ニールさん。人類に真なる幸福を与えられるよう、私達と共に行きませんか?」


 神父は笑いかける。


 確かに、今の教会は腐敗していて、救いようが無いように見える。だが、本当にそうだろうか? 教会に救われている人もいるんじゃないのか?


「悪いが、その話には乗れない」


 何にしても、問答無用で襲い掛かったり、魔物をけしかけてくる組織に与するつもりは毛頭ない。俺ははっきりと言葉を返した。


「教会のせいで虐げられる人がいれば、教会のおかげで生をつないだ人もいるはずだ。俺は虐げられた人のために教会を潰すよりも、虐げられている人を直接助ける方を選ぶ」


 確かに、教会はクソだ。


 アンジェが受けてきた仕打ちを思えば、教会のシステムそのものを破壊したくもなる。だが、それでアンジェが救われるかと言えば絶対に違う。


 アンジェの傷を癒し、彼女のような犠牲者を出さないためには、寄り添って、虐げてきたものに理解を促すことが大事だ。その理解させる過程で血が流れるなら仕方ない。だが、血を流すことが前提になってしまえば、それはただの復讐――憂さ晴らしだ。


「なるほど、確かに貴方の言う事は一理ある」


 怒りだすかと思えば、ハヴェル神父は意外にも冷静だった。


「ですが、それは彼らの性質が悪ではなく、中立であることが前提です。教会が混血を迫害する理由をお教えしましょう――」


 彼は饒舌に、しかし一呼吸溜めてから、高々と宣言するように言葉をつづけた。


「民衆が持つストレスのはけ口、安い労働力の確保、そして少数の敵を作る事によって民衆を団結させ、統制しやすくするためです」

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