第89話 魔導飛行実験機デ号1.21型①
☆
平日の博物館は人出が少なく、各展示のまわりも人はまばらだ。
主だった観覧客は社会科見学で来ている中学生くらい。
誠治たちが短時間で展示を見て回るには、とても都合が良い環境だと言える。
初っ端の『空飛ぶ椅子』が不評だったガリウルは、次々と色んな形の乗り物を紹介していった。
一人乗りのオートバイ型。
二人乗りのサイドカー型。
三人乗りの両サイドカー型。
そして四人乗りの自動車型。
きっと初代魔王で地球から来た勇者トシヒロのアイデアだったのだろう。
だがこれだけ色々あっても使えそうなものが一つもなかったのは……
「全部が全部、魔導ジェット推進かあ」
誠治はため息を吐いた。
魔導ジェット推進。
つまり前から空気を吸い込んで後ろから吐き出し、その反動で推進力を得る機関だ。
魔導飛行実験船シュバルツシルトも推進機には魔導ジェットエンジンを採用している。
この機関のメリットは多い。
まず、構造が単純であること。筒を用意してその中に空気を流す魔導を仕込めば良いため、比較的簡単に作ることができる。
二つ目は(魔石さえ潤沢に用意すれば)それなりに高い出力を得ることができること。ようするに力押しできることである。
構造が単純で筒そのものに大した圧力がかからないため、軽量化しながら容易に高出力化が可能。動作に燃焼を用いないため、耐熱と冷却をほぼ無視できることもメリットだ。
ではデメリットは何か。
これは簡単。
魔導ジェット推進のデメリットは、持続的に大量の空気を流し続けなければならないため、魔力消費が尋常ではないことだ。
まさに底なし沼である。
これまで見てきた乗り物がほとんど普及しなかったのはそのためで、結局、魔石をパワーソースにして実用化できたのは、外燃機関である魔導蒸気機関車と蒸気船だけだった。
蒸気機関は細かな出力調整が苦手で、かつ小型化が難しいため、二輪や四輪に搭載するには不向き。
ではレシプロエンジンやガスタービンエンジンなどの内燃機関はというと、部品の工作精度と耐久性、耐熱性、そしてやはり燃費の関係で、未だ実用的なエンジンは開発できていなかった。
魔王国が手持ちの技術でこのサイズの移動機械を実現するとなると、必然的に魔導ジェット推進しか選択肢がないのだ。
魔導ジェットエンジンは作動している間、大量の魔力を消費する。
だが、誠治の莫大な魔力をもってすれば、魔力消費の問題は考えなくてもよいはず。
なぜ、誠治はため息をついたのか。
それは……
「舵がきかない車なんて、怖くて乗れませんよ!」
「仕方ないだろう。魔導ジェット推進は前に進むのは得意だが『曲がる』のは苦手なんだ」
顔をしかめる誠治に、ガリウルが涼しい顔で答えた。
「この車って、曲がれないんですか?」
詩乃がきょとんとしつつ目の前の展示車を指差す。
そこには、中心軸に大口径の長い筒を置きその両脇に座席を配置した、見るからに『直線番長』な車が堂々と展示されていた。
見る人が見れば、90年頃にアメリカで活躍した蝙蝠男の愛車を思い出したかもしれない。
「まあ、曲がれないだろうねえ」
誠治は車の前で、説明を始める。
「車体の後ろから空気を噴射して進むんだけど、後ろから押せば、前が浮き上がるでしょ。ハンドルを回して舵を切っても、曲がるための前のタイヤが地面をきちんと掴んでなかったら、曲がらないよね」
「たしかに、そうですね!」
ぽん、とこぶしを手のひらに打ちつける詩乃。
「……なんかひっくり返りそう」
ボソッと呟くラーナ。
それを聞いたガリウルが楽しそうに説明を始める。
「実はここに展示してあるのは三号車なんだけどね。一号車と二号車はテスト中にひっくり返って全損しちゃって残ってないんだ。もしセージが『乗ってみる』って言ったら、全力で止めたよね」
はっはっはっ、と朗らかに笑うガリウル。
「おい、あんた。ちゃんと使えそうなのを紹介してくれ。頼むから」
だんだん言葉遣いが乱暴になる誠治。
ガリウルは苦笑いして首をすくめた。
「失敗の歴史を知っておくのは大事だよ、セージ。今日私はある乗り物を勧めようと思ってここに来た。だけどそれはあくまで実験機なんだ。安全な量産品じゃないし、量産を前提にした試験機ですらない。こうやって駆け足で失敗の歴史を見てもらうことで、その実験機の危険性を理解してもらいたかったんだ」
異世界出身の部下の焦りを見透かすように、そう諭すガリウル。
「……分かりました。それを使う時は、慎重に操作するように気をつけます」
誠治は息を吐き、頷いた。
ガリウルは三人に向け、進路の先を指差した。
「さあ、歴史の勉強はここまでだ。私が君たちに勧める乗り物は、次の展示室にある」
☆
「っ!!」
それを見た誠治は、息を飲んだ。
「これは……くるまですか?」
詩乃の言葉に、とっさに反応できない。
代わりにガリウルが口を開いた。
「我が国で最初に実用化に成功した魔導飛行実験機『デ号1.21型』だ」
その機体は、部屋の中央に展示されていた。
鈍い銀色に輝く機体。
左右二灯ずつ配置された小さめの四角いヘッドライト。
全面には大型のフロントガラス。左右の扉にはドアガラスが埋め込まれている。
一見すれば、自動車のように見えなくもない。
左右側面に後ろ気味に取り付けられた二機の魔導ジェットエンジンを見なければ。
そして、本来タイヤがあるべき足元さえ見なければ。
「……この機体をデザインされたのは、ひょっとして初代魔王のトシヒロさんですか?」
そう問う誠治の声は、震えていた。
「そうだ。分かるかね?」
「ええ、ええ。分かりますよ。分からないはずがない」
機体に歩み寄る誠治。
彼は腰を下ろし、フロントマスクにつけられた小さいロゴプレートに触れる。
「『CMC』……カンタルナ・モーター・カンパニーですか? トシヒロさん」
出会って数ヶ月。
詩乃は、初めて誠治が涙を流しているのを見た。
誠治は立ち上がり、左のドアの前に立った。
「おじさま、この車をご存知なんですか?」
詩乃の言葉に、涙を拭く誠治。
「ああ、よく知ってるよ」
彼はそう言うと、ドアノブに手をかけた。
そして、ドアを上に引き開ける。
ゆっくりと開いてゆく、ガルウイングドア。
ハンドルがあり、シートがある。サイドブレーキらしきものまである。
室内はまさに、現代の自動車だった。
その様子を見届けた誠治は振り返り、詩乃とラーナに微笑んで言った。
「タイムマシンだ」
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