第36話 ふたりの居場所

 

 二人は腕を組み……実際は一方的に詩乃が誠治に掴まっているのだが……村の西の入口に向かって歩いていた。

 誠治は決して背が高い方ではないが、こうして腕を組むと、はっきりと身長差を感じることができる。

 誠治に父性的な頼りがいを見出している詩乃としては、その目線の違いはとても好ましいものだった。


「ねぇ、おじさま?」


「なんだい?」


「こうして二人で歩くのは、お城から逃げようとしていた時以来ですね」


「……そうだなぁ」


 色々あって振り返る余裕もなかったが、あらためて考えてみると、二人がこの世界に転移して来たあの日から、十二日が経とうとしていた。


「クロフトさんやラーナと一緒の旅は楽しいですけど、私はもうちょっと、おじさまと二人の時間を増やしたいです」


 誠治に掴まる腕に、きゅっ、と力が入る。


「こんなおっさんと一緒にいても、つまんないだろうに」


 誠治の顔に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

 ふと自分の口から出たセリフに、かつて『あなたといても、つまらない』と、そう言われた時のことを思い出していた。


 いつの間にか二人は、小さな橋がかかっている小川のところまでやって来ていた。

 この橋から向こうは、村の外になる。


 詩乃は足を止め、二人の体が離れた。


「……なんでそんな風に言うんですか? つまんなくないです。私は、もっとおじさまと一緒にいたいです。だってこの世界じゃ、いつ死んじゃうか分からないんですよ? 私は、もっともっとおじさまと一緒にいたいし、おじさまのことを知りたいな、って思います。…………鬱陶しいですか?」


 うつむきがちにそう尋ねる詩乃の顔には、不安の色が浮かんでいた。


 誠治は慌てて首を横に振る。


「いやいやいや、鬱陶しいなんて思ってないよ。むしろそんなに気にしてもらえてありがたいと言うか……。だから、そんな顔をしないでくれ」


 全力でフォローする誠治に、詩乃は少しだけ顔を上げる。そして、呟くように尋ねた。


「私、おじさまの隣にいてもいいですか?」と。


 詩乃には、他に居場所がなかった。

 前の世界でも。こちらの世界でも。

 唯一、誠治だけが、理由なく自分に寄り添ってくれたのだ。

 こちらに転移し、詩乃の盾となってくれたあの時から、誠治の隣だけが、詩乃の居場所になっていた。




 一方、誠治は戸惑っていた。

 今に始まった訳ではなく、詩乃が自分に懐き始めてから、ずっとである。

 彼女との距離感を、どう取ればいいかが分からない。


 おそらく彼女が自分を見る目は、父親に対するそれなのだろう。

 メイド暗殺者に首を絞められて殺されそうになった時、詩乃は「私のパパ」と叫んでいた。

 自分を実の父親に重ねているのだ、と理解した。

 会ったこともないので、その父親がどういう人物だったのかは見当もつかないが、少なくとも彼女にとっては良い父親だったのだろう。そして理由は分からないが、彼は詩乃の側からいなくなった。


 詩乃はその父親を、自分に重ねている。



 翻って自分はどうか。

 年齢こそ詩乃と親子ほど離れているが、子供はいないし、今や家族もいない。家庭を築くことに失敗してしまった愚か者である。

 元妻の浮気発覚で人間不信になり、いっそ死のうかと思ったこともあるくらい弱い男なのだ。

 結局、裏切った元妻に対して癪な上、死ぬ勇気もなかったので、やさぐれるのが関の山だったが。

 妻の浮気にしても、仕事にかまけて家庭を振り返らなかった自分に原因があったのは自覚している。

 守るべきものを蔑ろにして、失ってから相手を恨むダメ人間。

 到底、詩乃の保護者が務まるような立派な人間ではない。




「……僕は、君に慕ってもらえるような人間じゃないよ。誘惑に弱くて意気地もない、みっともない負け犬のおっさんだ」


 ため息のように吐き出された言葉に、詩乃の顔が歪み今にも泣きそうになる。


「……私は、おじさまの隣にいちゃダメですか?」


「いや、その……。ダメじゃない。ダメじゃないんだ。けどな…………」


 口どもった誠治に、詩乃が一歩近づいた。


「私はおじさまに、立派な人でいて欲しいなんて思ってません。愚痴やぼやきが多くても、お金に汚くても構いません。……他の女の人とエッチなことをしても、嫌いになりません。……怒りますけど」


 後半はさすがに小声だった。詩乃は続ける。


「私を、おじさまの隣にいさせて下さい。私には、他に生きる場所がないんです……。お願いします。お願い……」


 うつむいた詩乃の頰を、涙がつたった。




 誠治は思わず空を仰ぎ見る。

 空は晴れ渡り、遥か高くにいくばくかの雲が漂っているだけだった。

 その空は、元の世界の空と何も変わらない。


 誠治は泣いている詩乃を抱き寄せて、言った。


「不安にさせてごめん。僕が悪かった。……約束するよ。君が僕を必要としなくなるまで、僕は君の隣にいる。だから、安心して」


 詩乃はしばらく誠治のシャツに顔を埋めていたが、やがて顔をあげ涙をぬぐうと、ほっとしたように微笑んだ。


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