第10話 反抗の狼煙
扉がノックされる。
隣に座る詩乃が不安そうに誠治の顔を見た。
心臓が破裂しそうな程脈打っているのを隠し、誠治は微笑を浮かべて頷いてみせる。
詩乃は静かに目を閉じた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
現れたのは、先ほどと寸分違わぬメイド姿の暗殺者。
「お食事をされていないということなので……」
そう言って部屋に入ってくるメイド。
「ありがとう。助かるよ」
口でそう言いながら目を離さず、相手の一挙手一投足に注意を配る誠治。
今回も、メイドはカラカラとワゴンを押して右手にあるテーブルセットへと向かう。
こうして見ると、スカートがロングではなく膝下程度だったりエプロンも小さめだったりと、メイド服なのに非常に動きやすそうな格好になっている。
誠治はゆっくりと立ち上がった。
そしてなるべく自然な足取りで、メイドのところに歩いてゆく。
誠治が近寄ってくることに気付いたメイドは、足を止めた。
「……なにか?」
まだメイドはワゴンの持ち手を掴んだままだ。
誠治はそのまま歩き続ける。
「いや、なに。ちょっとつまみ食いをね」
しれっとそう言いながら、緊張で額と後頭部から汗が噴き出す。
ただワゴンに手を置いてこちらを見ているだけのメイドから、異様な殺気を感じていた。
気のせいではない。
詩乃は感情視によってどす黒い悪意、殺意を捉えていて、それがメンタルリンクを通じて誠治の視界に重ね合わされていた。
(なるほど。確かに指輪が悪意を吸い取ってやがる)
メイドとワゴンの皿から立ち昇る黒い霧が、掃除機で吸うかのように指輪に吸い込まれていた。
二人の距離は縮まり、ついに格闘の間合いに入る。と同時に、メイドはワゴンから手を離した。
誠治より少しだけ背の低い暗殺者は半歩後ずさり、構えるように腰を落とす。
(今だ!)
誠治は大きくメイドに向かって踏み込んだ。
そしてそのままメイドに向かってこぶしを振り上げると、力いっぱい、ワゴンを突き飛ばした。
「っ!?」
メイドが目を見開く。
ガラガラガラガラーーーーガシャン!!
ワゴンが部屋の端まで転がって行き、壁にぶつかって上に乗っていたものをぶち撒ける。
隠されていた短剣が床に転がり露わになった。
刃物を持った相手と素手で戦うのは自殺行為。
それなら相手が刃物を持てないようにすればいいじゃない!
誠治はそう考えたのだ。
ワゴンを突き飛ばすと同時にメイドと短剣を結ぶ動線に素早く体を入れ、武器を取りに行くラインを潰す。
「はっ!!」
次の瞬間、至近の間合いで構えていたメイドが床を蹴り、ハイキックを放ってきた。
側頭部を狙ったその蹴りを誠治は左腕で受け止める。
「痛っ!!」
体格からは想像もできないその蹴りの重さに、まともに受けた誠治の腕が軋む。
が、そのまま痛みを無視して一歩踏み込み、右手を伸ばした。
(届け!)
そして、なんとか胸ぐらを掴む。
「……くっ!」
半身の動きを封じられたメイドは僅かに顔をしかめると、今度は誠治を引き剥がすために戻した右脚で素早く膝蹴りを叩きこんできた。
一回、二回、三回
続けざまに叩きこまれる膝蹴りに、ガードする誠治の左腕が悲鳴をあげ、防ぎきれなかった三蹴り目が左脇腹を襲う。
「っぐ!」
膝が入った部分を中心に激痛が駆け抜けるが、誠治は相手の胸ぐらを掴んだ手は離さなかった。
それを見た暗殺者は、今度は殴りつけようと右腕に拳をつくり腕を突き出してきた。
その腕は、そのまま誠治の左脇腹に食い込む。
「ぐはっ!」
なんで毎回左脇腹なのか。
刺されたのも同じとこだったぞ、と。誠治は理不尽さを呪いながらも、攻撃してきたその腕の袖を左手で掴んだ。
「っ!?」
ついに右手まで拘束されたメイドは僅かに焦りの色を浮かべる。だが、気づいた時には遅い。
誠治はメイドを両手で掴んだまま腰を落とし、素早く左手で相手の右腕を手前に引きながら、胸ぐらを掴んだ右手を返しグイと持ち上げる。
そしてそのまま相手に背を向け右肘を相手の右脇に入れて背負うと、右膝を床につき肩口から斜めに一気に引き落とした。
背負い落とし。
柔道の投げ技の中でも比較的スピードが速く、低い位置で繰り出されるこの技は、その特性から子供にはやや危険な技といわれている。
膝を床から離して投げる背負い投げと違い、膝を床につき引き落とすように投げるため、相手が頭から畳に突っ込み易いからだ。
誠治はこの時、背負い投げではなく、あえて背負い落としを選んでいた。
落とす先は柔らかい畳ではなく、硬く冷たい石の床。そこに敢えて敵を脳天から引き落とす。
罪悪感がないと言えば嘘になる。だが相手は自分と詩乃の命を奪いに来たのだ。手加減ができる相手じゃないことは、二度も殺されてよく知っている。
ゴン、と、嫌な音がした。グシャ、ではないだけマシかもしれないが。
(くそ!!)
だが誠治は自分の攻撃が完全には決まらなかったことに気付いていた。
胸ぐらを掴んでいた手が床に叩きつける直前に外れたのだ。
さらに頭から石畳に叩きつけられたメイドは、落下の瞬間なんとか体の軸をずらして致命傷を避けると、そのまま前に転がるように受け身をとっていた。
やや離れて立ち上がる二人。
メイドは頭にダメージを受けさすがにフラついているようだった。
が、突然左手で反対側のスカートをたくし上げ、右手をその下に突っ込む。
「ちょ、何を!?」
狼狽する誠治。
だが彼は、暗殺者がスカートの下の太もも辺りから引っ張り出してきた物を見て愕然とした。
「嘘だろ?」
メイドの右手には、きらりと光る小さなナイフが握られていた。
一方、暗殺者は意識を朦朧とさせ、痛む頭に足をフラつかせながら、焦っていた。
話が違う。そう思った。
対象は二人。小娘と中年男。小娘は星詠みで男は加護なし。
二人とも戦闘経験のない素人なので、星詠み対策の『気喰いの指輪』を着けて偽装し、接近して一気に片付けろ。そう聞いていたのだが……。
(素人だと? 冗談がキツい。何か齧ってるぞ、こいつは……)
隠して持ち込んだ短剣を遠ざけられ出鼻を挫かれて以降、彼女の意図は全て潰されていた。
短剣への最短距離を潰され、道を切り開くための足技は全て防がれた。
おまけに突きを止められ投げられる始末。
彼女の本質は暗殺者であり徒手格闘は補助的なものではあったが、それでもその速さと精確さ故に、彼女は属する組織の中でも上位の腕前とされていた。
それが、こうもやすやすと投げられるとは。
(動きは鈍く、そこそこ隙があるのに、こちらの打撃を正確に受け、返してくる)
最早、猶予はなかった。
先ほどの逆落としで意識は朦朧とし、視界は揺れ、徒手での精確な打撃は難しくなっていた。
この状態から目的を達するには、武器が必要だった。
(大体、なぜ皿に短剣を隠していることが最初からバレていたのか…………)
ふと湧いた疑問を頭の片隅に追いやり、彼女は護身用の最後の手段を太ももに止めたバンドから取り出した。
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