個性のない村

樋口偽善

第1章 『遭難』

気がつくと知らない場所にいた。


ぐるりと辺りを見渡すとそこは病室で、腕には点滴の針が刺さっている。


固いベッドからゆっくりと身体を起こすと、少し気怠さを感じた。


もう夜も更けているのだろうか、外はインクをこぼしたみたいに真っ黒だった。


ポキポキと首を鳴らしながら小さな欠伸を漏らした男は、ここに来る前のことをゆっくりと思い返してみることにした。




・・・・・・・・・・




男は独身で、パートの中年女性3人と共に実家の精肉店を営んでいる。


両親は男が10代の頃に離婚し、男を引き取った母親は数年前に他界した。


男の住む町は日を追うごとに若者が去っていき、年寄りで溢れる商店街は寂れる一方であった。


その一角にある精肉店も経営状況は厳しく、おまけにパートの中年女性からも舐め腐った小言を吐かれる日々。


家に帰っても待ってくれている人はおらず、店と自宅を往復するだけの一本道の日常。


そして外の世界を覗けば、そこには無限とも思われる海の様な地獄が広がっているのだ。


高そうなスーツを着て電話口でビジネス用語を多用するサラリーマン、覚えたてのメイクで顔を覆って世の中の頂点に君臨した気でいる女子高生、社会のレールから外れたことを誇らしげに歌にする自称アーティスト、どこかで聞いた言葉をあたかも自論の様に発信する大学生、ご近所という小さな国家で少しでも上に立とうと探り合いをする主婦、凝り固まった思想を互いにぶつけ合う老人など、眩暈がするほど様々な人間が闊歩している。


男は変わり映えのない自分の人生に嫌気がさしつつも、一方で“多様性”という言葉を盾に好き勝手生きている人々にも辟易としていた。



「誰しもが同じ人生を歩むよう誰かがプログラミングしてくれれば、こんな気持ちにならずに済むんだ」



垂れ流したテレビと時を刻む時計の針以外に音のない部屋で、男は口癖のようにそう呟くのだった。




そして今日もまた、店の売り上げは不調だった。


高い牛肉はめっぽう売れず、ハムやソーセージばかりが売れていくのだ。


パートの中年女性は、客が来なくて暇だったなどと愚痴をこぼしながら帰っていく。


その背中を見送っているとき、男はふと生きているのが嫌になった。


だから死のうと思ったのだ。


自殺を考えたのは今回が初めてじゃない。


学生時代も何度かあったが、母親が亡くなって家業を継いでからはそんな感情になるのは珍しいことではなかった。


そんなわけで男は、通算14回目となる自殺に踏み切ったのであった。




・・・・・・・・・・




少し時間はかかったが、今病院にいる理由は分かった。


おそらくまた、自殺未遂に終わったのだろう。


男の肩には落胆がのしかかり、重力に負けていく。


ああ、また退屈な毎日が繰り返されていくのか。


声にならない呟きを漏らすと、誰かが廊下を歩く音が聞こえた。



「おや、お目覚めになられていたんですね」



部屋の入り口に目をやると、おそらく40代半ばぐらいであろう中年男性が立っていた。


彼は上下灰色のスウェットのような服装で、髪は綺麗に切りそろえられている。



「おーい。308号室の方が目を覚まされましたよ」



中年男性は誰かを呼んでいる。


彼の恰好を見る限り医者には見えないが、ここの患者なのだろうか。


まもなく複数人の足音が廊下から響いてきた。



「おやおや、顔色はよろしいですね」


「ここらでは見ない顔ですが、どちらからいらしたんでしょうか」


「体調は優れますか?まだ安静になさってくださいね」


「やあ君達。彼はまだ目覚めたばかりなのだから、いっぺんに話しかけてはいけないよ」



部屋にやって来た彼らは口々に話し出す。


そんな彼らの姿を見て、男は絶句した。


目の前には、同じ顔・同じ声・同じ服装・同じ髪型の中年男性が4人立っていた。

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