第14話 一緒に行きます!

「————っ!」


 私は驚愕のあまり両目を目玉が零れんばかりに広げ、薄いベッドの上で硬直する。その衝撃の凄まじさはハイムも、そして村の人々も同じだったようで、誰一人として声を挙げることすらできないまま、村の広場に突如として現れた巨大な狼の姿に意識を奪われることとなった。


「——あの……これで良かったですか?」

 やや申し訳なさそうに言うのは、私が探し求めていたあの少女だ。そしてその発言と同時に、眼前の魔獣は水蒸気のように蒸発、その姿を消した。


「え、ええ……本当に幻影魔法なのね。その年でこんな立派に使いこなすなんて」


 ——あの魔獣は、少女が見せていた幻影であり、ただのイタズラだった——

 最初にハイムからその話を聞いた時は、嘘に決まっていると思ってた。まだ十にも満たない子供があんな完璧な幻影を……しかも触れた人間の痛覚まで騙すなんて高等テクニック、正規の魔法部隊でも数人できればいい方なのに……。

 もしかしたら私は、稀代の大天才を目の当たりにしているのかもしれない。


「彼女ハコノ村ノ宝物ナンデス……デスガ、少々イタズラ癖ガアリマシテ……ゴ迷惑ヲオカケシマシタ」


 村長の老人が私とハイムに歩み寄り、深々と頭を下げてくる。


「いえいえ、頭を上げて下さい。あの子を引き止められなかった、私の失態です」


 私が走って追いつけなかったあの現象も、きっと私が化かされていたのだろう。ハイムが言っていた「でけぇ犬っころがいなくなった」という言葉も、幻影なら納得だ。


「ごめんなさい……お姉ちゃん、剣のお兄ちゃん……」

「ドウカ許シテヤッテ下サイ。後デミッチリト叱リツケテオキマスノデ」

「あぁ、大丈夫ですよ。やめて下さいって」


 再び頭を下げようとする村長さんを止め、私はベッドから立ち上がる。


「おい、大丈夫なのか?」

「戦えはしないけど、もう乗馬できるくらいには回復したわ。さ、早く本部に向かいましょう。今から出発すれば、最初の予定にもぎりぎり間に合うはずよ」


 クスタカ村からケルダンまではそう遠くない。今から出発すれば、まだ明るいうちに街の景観が見えてくるだろう。とにかく一刻も早く、ハルバード平野のことを伝えなければ。


「お前が大丈夫ならいいか。よし、じゃあ馬の準備をしてくる。お前はぎりぎりまで休んでろ」

「別に気を使わなくても——」

「——いいからここにいろ。いいな」

「あ、ちょ、ちょっと……」


 ……何よ、変に気を回して。ハイムらしくないじゃない。

 まぁあいつも男だし……少しはプライドとかあるんでしょうけど。少しはマシになってきた証拠ね。小さい頃はもっと馬鹿でやんちゃだったのに。


「いや、馬鹿でやんちゃなのはあんまり変わってないか」


 思えば、ハイムとは生まれた時からこの年まで、ほとんど離れたことがない。唯一離れていた時期も、私が『創天の騎士団』に入団した直後の数週間程度だ。その後すぐにハイムも入団して、今に当たる。

 まぁ入団直後からこんな未知の事件に遭遇していれば、流石のハイムでも責任感を覚えてくるのだろう。あのアークゴーレムを倒した実績も考えれば、純粋な実力は私より上。これは負けていられない。


「——お、お姉ちゃん」


 らしくなくハイムとの過去を思い出している最中、少女が私に声をかけてくる。こっぴどく言われたのだろう、顔には二本の涙の跡が残り、今もなお雫がポタポタと垂れている。


「こらこら、可愛い顔が台無しじゃない。あなたの才能は凄いんだから。使い方をちゃんと覚えて、立派に成長するのよ?」

「うぅ……はい」


 私はハンカチで涙を拭いながら、自分なりの言葉で少女を諭す。こんなに泣くほど厳しく言われれば、きっともうイタズラはしないだろう。道を踏み外すこともない。


「ねぇ、お姉ちゃん……」


 少女が服の袖を引っ張りながら、上目遣いで何かを訴えてくる。


「ん? なぁに?」

「あ、あのね……お願いがあるんだけど……」


 ……もじもじが可愛過ぎる。私がこれくらいの時は、ハイムと一緒に山を駆け巡るやまんばだったからなぁ~。こんな感じの綺麗な村娘になりたかったなぁ。

 その純朴な可愛さに見とれていたその時、少女の重い唇が離れ、声を発した。


「私を……街に、連れて行ってくれませんか?」


  —————————————————————————————————


 ——少女、もといグランデス、もといミルシアとその仲間達がこの山にやってきたのは、今から数か月前のことだという。


「洗礼魔法が解けた理由はわからないんだけど……とにかく、私とみんなは帝国の手から逃れることができて、私達がしちゃった悪いことを反省したの。本当に、本当に反省したの」


 魔獣も生き物。近くで見ると意外にも表情は豊かなようで(まぁ種類にもよると思うが)、ミルシアが俯くとわかりやすく顔を歪ませた。


「それでね、もうここにいたくないって思って、みんなと一緒に帝国をなんとか脱出したの。それからみんなに変身魔法をかけて人の姿にして、とにかく帝国から遠いところまで逃げてきたんだ」

「それで、落ち着いたのがこの山だったと」


 うんうんと頷くミルシア。それに合わせてうんうんと頷く魔獣達。さながら昭和のコント風景、もしくはLINEのスタンプにありそうなシュールな光景だ。『わかるわかる』のエフェクトが目に浮かぶ。


「それで、僕に向けて言った『因子』ってのは、何なの?」


 僕の身体にあるらしい、謎の『因子』。それについて、ミルシアはこう語った。


「う~んとね、本当は私もよくわからないの。ただ帝国内にいた時に聞いたことが一度あるだけで、それを持っている生き物は、仲間からは見えないんだって」


 言葉を絞り出しているような動作からして、記憶はうろ覚えらしい。だがなるほど、話の内容からして僕の境遇と完全一致だ。何がどうなってかは知らないが、少なくとも僕の身体には、その謎に満ちた因子が宿っている可能性があるわけか。


「あれ? じゃあ僕がハイムと合体できるのは何で?」

「ごめんなさい……ちょうど戦う直前に因子のことを思い出して口にしただけだから、合体はわからないんだ」

「あぁ……そっか。いや、謝らなくていいよ。ありがとう」


 ここで新事実とのご対面は終了。僕は脳内に雪崩を打って入ってきた情報をまとめ、一つずつ紐づけていく。

 何故かこの世界にいる魔獣・グランデス。何故か僕に宿っているかもしれない謎の因子。何故か洗礼魔法が解け、自我を取り戻した魔獣達。何故かハイムと合体できる謎のシステム。

 …………いや、何もわかってないじゃん。むしろ謎増えてるじゃん。未提出の課題が詰まったファイルみたいじゃん。懐かしいな。


「どうなってるんだよ……」


 この世界は間違いなく、僕の処女作の世界。だがその実態は、僕が書き記した内容とはまるで違うルートに向かっている。僕がこの世界に来たせいとはいえ、ここまで変わるものか? 本当に僕が現実に帰れば、全てが元通りになるのか?


「お兄ちゃん、これから気をつけてね。きっと何か……大変なことが起きそうだから」


 ?マークに思考を占拠されていた僕に、ミルシアは最後の忠告を投げかける。その文面はあまりにも巨大過ぎるフラグのように聞こえてしまうのは、俺だけじゃないはずだ。忠告が忠告以上の危機感を僕に押しつけ、鳥肌を無理矢理にでも立たせてくる。

 僕の思考は、あり得る未来を映し出す。もしこの先、もっと予測のつかない何かが起きて、それに僕が対峙しなければならなくなったとする。その時、果たして僕は戦えるのだろうか。誰一人として頼ることのできない、天涯孤独の状態で。


「…………なぁ、ミルシア」


 僕の口が動く。恐らく個人の名前で呼ばれるのは慣れていないのだろう。ミルシアは僕を視界に捉えながらも、肩を僅かに震わせた。


「もしよければなんだけど……一緒に行かない?」

「えっ⁉ わ、私が、お兄ちゃんと⁉」

「うん。なんというか、きっとこの先、ミルシアの助けが必要な時が来る気がするんだ。僕は戦う力もないし、頭だって悪いし、知恵が回るのもカンニングとか先生にバレないサボり方とか、下らないことばかりだし……だから、どうかな?」


 それに、ミルシア——グランデスも僕と同じ、本来この世界にはいないはずの存在だ。まだ明確にはわからないけど、きっと僕がこの世界に来ちゃった理由と、ミルシアがこの世界にいる理由は関係している。だから何かがあった時、一緒にいた方がいいはずなのだ。


「で、でも……私にはみんなを守らなきゃ——」


 ——そう言って振り向いたミルシアの視線の先には、各々の声を発しながらしきりに何かを訴える、魔獣達がいた。


「————」


 言語など関係なく、相手の気持ちを推し量れることはたまにある。しかし、それは感情豊かな魔獣に対しても適応されるようだ。よくわからない人は、ポケ〇ン達が人に思いを伝えている光景を想像して欲しい。今僕が見ているのは、あの魔獣バージョンだ。


「みんな……うん、わかった」


 ミルシアが再び僕を捉える。純朴な双眸に確固たる決意が重なり、その輝きは閃々としていた。


「お兄ちゃん。私、一緒に行ってもいい?」

「もちろん! っていうか僕の頼みだし! よろしく!」


 頼もしい仲間の誕生である。彼女がいれば億人力、いや垓人力だ。


「よし、なら今すぐ出発しよう。気配を消してもらって、ハイム達より先に厩舎でス

タンバっておけば——」

「——ダメだよお兄ちゃん。お兄ちゃんは見えないから仕方ないけど、私は見えるんだから、ちゃんと一緒に行くお願いしないと」

「え? で、でもどうやって? それに、そこは気にしなくても……」

「だーめ。ちゃんとお願いするの。大丈夫、私に任せて」


 ————————————————————————————————


「——いい? 私の腰から手を離しちゃダメよ? 絶対にダメだからね?」

「はーい」


 ……という流れでここまで来たけど、本当に上手くいくとは思わなかったな。お願いはちゃんとするのに、嘘は平気でつくんだなミルシアは。挙句の果てには、村人達全員の意識を『洗礼魔法』一時的に操って話を合わせるんだから、純朴とは恐ろしい。


「ったく、マジで連れて行くのか? 大丈夫なのかよ」

「村長さんも認めてくれたし、この子のご両親も許してくれたわ。これで連れて行かない方がおかしいでしょ?」


 村長も操られてたし、両親も全く知らない村の若夫婦に喋ってもらっただけなんだけどなー。まぁ僕が呟いても意味ないけど。


「さぁ、行くわよ。はっ!」

「あいよ。はっ!」


 二人の覇気と共に、馬の足が動き出す。目指すは大都市ケルダン、狙うは謎の答えがあるはずの物、特殊魔法起動装置。

 今改めて、僕の異世界(自作)の旅は始まりを告げた。


「よぉ~し、必ず元の世界に帰————でぇぇ!」

 ……こんな感じの、昨日もやったなぁ…………。

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