後日譚 A子の恋愛日誌 2/3

「わ! びっくりした……」


 待ってよ……

 捨てたいと思った矢先に、これ?


 憧れの先輩は、ゆっくり歩いて、近づいてくる。

 以前一緒に遊んだときの服と、その上に、その日一緒に選んだコートを着ている。

「は、畑中さん、ここには、よく来るんですか?」

「たまにだよ。家から近いし、雰囲気いいからさ」

「そ、そうなんですね」

「休みの日に、神社に来るとか、おじさんくさいかな?」

 言いながら、隣に立つ。


 いや畑中さん、ちっかぁ……


「そ、そんなことないと思いますよ」

 ふたりで賽銭箱を前に並ぶ。


 いや待ってよ。

 これ、あれじゃん。

 黙ってお祈りして、『なにお祈りしたの?』って訊き合うやつじゃん。


「A田さんは、なんでこの神社に?」

「えっと、この神社、ツイッターでバズってて、近いし、休みだし、行ってみようかなって」

 言い終わりそうなとき、先輩の後ろから、こちらに近づいてくる人物に気づいた。男だ。

 彼が先輩に声をかけた。

「あ、畑中さん、よかった、今日……あ! ごめんなさい!」

 声の主は、神主の恰好をしていた。

 最初はこちらが陰になって見えていなかったらしく、自分に気づいて話を切った。

「いえ、私は全然大丈夫ですよ。どうぞ」

 言ったはいいが、違和感が残った。

 目の前の神主姿の男性は、こちらの顔を驚いた顔で見ていた。


 普通さ、初対面の人に、こんな顔をする?

 それに……この人、どこかで……


「あ、畑中さんのご同僚ですよね? 私のこと覚えていますか?」

 言われて、思い出した。

 デートの日に遭遇した、怖い人だ。

 何か言おうとしたが、その前に男が続けた。

宮司ぐうじの野々宮れんと申します。あの日はすみませんでした。せっかくのおふたりの休日を台無しにしてしまって」

「いえ、私は、そんな」


 なに?

 そういう相談するくらい、仲いいんだ……神社の人と。

 別にいいけど……


 何が気に食わないのかわからないほど微かな不満は横に置いて、言った。

「えっと、何か用事、あったんじゃないですか? 畑中さんに」

「あ、そうでした。いいですか?」

「はい、私は」

 宮司は畑中先輩に向き直り、話し始めた。

「えっと、その、今、両親が外出していて。で、今は、その、ほかに誰もいないじゃないですか? だから、その、手伝っていただきたいんですが、構いませんか?」

 宮司は言葉を慎重に選びながら話している。


 私に聞かれたくないこともあるだろうな、そりゃ。


「ええ、いいですけど」

「よかった。今からweb会議あるんで、書斎を離れられないんですが、プリンタのインクが切れてしまって」

「買ってきたらいいんですね」

「助かります。これ、空のカートリッジです。これと同じタイプをお願いします。で、これ」

 言いながら、一万円札を渡す。

「わかりました。買えるだけ買っていいですね?」

「はい。ありがとうございます。じゃ、社務所の書斎にいますね」

 立ち去る野々宮漣の後ろ姿をぼんやりと見ながら、声に出ていた。

「なんだ……お友達だったんですね、あのときの人。しかも、神社の人だったんだ」

 畑中先輩は答えない。


 そうだったんだ……

 だったら……


「だったら……」

 目の前に立つ先輩の顔を見た。

 こちらが何を言い出すのか、まったくわかっていなさそうな顔だ。

「だったら……言ってくれればいいじゃないですか……」

 止められないのが、自分でもわかってしまった。

「なんで言ってくれないんですか……」

 やはり、止まらない。

「言ってくれればいいじゃないですか! 『誤解だ』って! 『怖い仲間じゃない』って!」

 このまま涙まで出てきて、止まらなかったらどうすればいいのだろう。

「なんで離れるんですか!?」

 なんて幼稚で、自分勝手な言葉なんだろう。

「あんなメッセージひとつで!! なんで距離置いちゃうんですか!!」

 

 こんな言葉、言いたくない……

 言いたいことだけど、言いたくないこと……

 本音だけど、本音じゃない……


「『ちょうどいいや』って思ったんですか!? 私から距離置いたから?」


 ほら、語るに落ちてる。

 私から距離置いたのに。

 畑中さんを責めるなんて、お門違いなのに。


「『めんどくさい女だな』って、思ってるんでしょ!」


 私が思ってるくらいだもん……

 畑中さんだって思ってるに決まってる……


 何も言葉が返ってこない。


「なんで……なんでそんな顔、するんですか……何か言ってくださいよ!!」

 もういいです!

 そう言いかけたとき、横から声が飛びこんだ。

「畑中様! いらしてたんですね!」

 声の主、小林香織は石段の下にいた。

 手には神社のパンフレットらしき冊子が数種類あった。

「水くさいです……畑中様がお部屋からここにいらっしゃるのなら、父が車を出したのに」

 小林香織は先輩の顔を、目を、じっと見つめながら話している。

「え、香織ちゃん? それ、なに?」

「? それって? なんですか?」

「いや、普通の敬語じゃないじゃない? ていうか、知り合いなの?」

「畑中様は私にとって、偉大なる導き手なんです」

「み、みちびきて?」

「そうです。畑中様はこの世の真理をお伝えくださる偉大なお方なんです」

 まったく意味がわからないが、ふたりにはわかるのだろう。

「そ、そうなんだ。こんな、職場でも休みの日でも、いっつも何にも言ってくれない人が?」

 嫉妬心が、勝手に言葉にトゲを添えた。

 大人げなく顔を出した嫉妬をすぐに振り払ったが、小林香織は笑顔を消して言った。

「……言ってほしい言ってほしいって、しつこく言ってくる人には、言う気もなくなるんじゃないですか?」

 意外な言葉が帰ってきて、驚きはすぐに苛立ちに変わった。

「どういう意味?」

「相手から言葉を引き出そうとするなら、自らはむしろ口を閉ざすべきですよ?しつこく問い詰めずにね」


 この子……

 わざとらしく「しつこく」と言い添えてくるあたり……


 この人……

 私よりも畑中様のことを知っていると主張してきて……


 敵だわ!

 敵だわ!


「だったら、どちらが畑中様のとなりに立つに相応しい女か、決めましょう?」

「なに言ってんのよ」

「ほんと、なに言ってんだ?」

「黙っててください」

「黙っててください」

 敵対しているはずなのに、声が揃う。


**********


 拝殿の前の男女の喧騒を遠巻きに窺っている漣の背後から、声をかけた。

「あの、なにやってるんですか?」

 振り向いた漣は驚いた。

「あ、あれ? え? 畑中さん?」

「? そうですけど?」

 漣がこちらと、男女の方を見比べるので、そちらに目を凝らしてみた。

 ふたりの女性と立っているのは、自分の姿だった。

「あれ? 俺? どうして」

「もしかしたら……A子さんの中の、畑中さんかも知れません」

「いや、ちょっと話が見えないんですが……」

「A子さんも、過去の我々と同じように、捨てようとして捨てられないものを、出してしまったんじゃないですか?」

「捨てたくても捨てられないって、たとえば、俺との、いろんなこととか?」

「恐らく……」

 漣にもはっきりとはわからないのだろう。

 これ以上は訊くまい。

「で、あいつらは何をしてるんですかね?」

「えーとまぁ、なんというか、こちらから聞こえる限りは、畑中さんを取り合ってます」

「なんだそれ……」

「と、とにかく、A子さんには、いろいろ説明しないといけないのは確かです。驚くとは思いますが、あのままにしていたら、あの畑中さんは、A子さんに付きまとったままですよ。月曜日には職場でもあなたと顔を合わせるんだから、下手したらパニックです」

「信じるのかな? あれが本物じゃない、なんて」

「それは……そうだ! ちょうどいいじゃないですか! 本物もいるし! 小林さんもいる!」

「?」

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