第11話 仕事とプライベート 1/3
ここまでのお話
日常のなかに、プライド、サクラ、
そんな中でも、やはり日常なんていうものはとっくに失われたのだと、畑中は悟る。
**********
-十一月 第二金曜日 十四時三十分
-ベルツービル 七階
遅めの昼休みが終わる十分前。
デスクに戻り、引き出しからドリップバッグタイプのコーヒーを手に取り、給湯スペースに行く。
新型のコーヒーメーカーのような、よくわからない機械がオフィスにはあるが、それは使わない。
コーヒーの楽しみ方というのは、封を開けたとき、熱湯で蒸らしているとき、ゆっくりと抽出されているとき、その全てのタイミングで、それぞれの豆の香りを楽しむことだと思っている。
給湯室に入ると、A子がいた。
こちらを見て驚きはしたが、あの一件以来しばらく続いていた怯えは、なくなっている。
「お疲れさまー」
「あ、お疲れ様です!」
A子の手にはプラスチック製のスプーンと、食べかけの高級なカップアイスがあった。
「なに? デザート?」
「そうですよ」
「抹茶好きだったっけ?」
「いや、これ限定だったんで」
「……お昼、いつもの店行ったんだよね?」
「……はい」
「……デザートついてるよね?」
「……はい」
「……いっちゃった?」
「……いっちゃいました……いいんですよ!」
話しながら、マグカップを棚から取り、ドリップバッグをセットする。
「畑中さんって、コーヒー好きですよね」
「……んー? ……うん……」
匂いに集中したい。
「どういうのが美味しいとか、ありますか?」
「……んー、好みだからねー……」
ポットからお湯を注ぐ。
最初のお湯は少量。全体を濡らす程度にしておく。
これが二十秒の蒸らしだ。砕かれたコーヒー豆のひとかけひとかけがゆっくりと目を覚ます。
湯気と香りが立ち上る。蒸らしのあとも、焦らず、ゆっくり、お湯を加える。
「あのっ」
A子が声を出す。意を決したような声色だった。
「はい、なに?」
思わず、姿勢をただしてしまった。
「えっと、今度、コーヒー選ぶの、手伝ってくれませんか?」
「選ぶの? いいけど、手伝うって、プレゼントかなにか? あ! クリスマス?」
「そ、そうです」
「クリスマスかー、そろそろ選ばなきゃだねー」
給湯室に入ってきた人物が、強引に会話に参加してきた。
同期の竹内だ。
「お、畑中くん、なになに? クリスマスプレゼント選び?」
「自分への、な」
(さっさとこのウザ絡みを終わらせたい。つかコーヒー飲みたい)
「おぉ、畑中、ここにいたか」
別の声が割って入った。
A子と竹内が、慌てて背筋を伸ばしたのは、声の主が営業本部長だったからだ。
「はい? なんですか?」
「常務から伝言、『こないだたまたま入った焼鳥屋の名前を教えてくれ』とのことだ」
「あー! あの店、はい、わかりました。連絡入れます。ありがとうございます」
「ちなみに、なんていう店なんだ?」
この人も、やはり好きだな。
「『鳥の又三郎』ですよ。よかったら部長も今度」
「今日はどうだ?」
「では、退勤後すぐ、お店に連絡入れます。ふたりでいいですか?」
「あぁ」
出ていく後ろ姿を見ながら、A子が言う。
「畑中さんって、記憶力いいですよね」
「あー、なんか、どうってことないことばっかりおぼえてるかも」
どこになにを置いたとか、家族が探し物をしているとき、よく見つけてやったものだ。
マグカップからドリップバッグを外した。
「そうだ、畑中さん、物捨神社って知ってますか?」
ドリップバッグを床に落としてしまった。
「……な、なんで?」
俺以上にA子が驚いている。
「な、なんでって、なんでですか?」
「いや! 神社の話されるとは、思わなかったから」
慌ててごまかしながら、床に落ちたものを片付ける。
会話は竹内が引き継いだ。
「あれでしょ? なんかネットでバズってたよね?」
「そうです! なんかモデルみたいな人たちが働いてるらしくって」
「そうそう、で、炎上してたね。ファンを切り捨てたーとか」
「あれは、ああいうことを言う人がおかしいんですよー! 別にアイドルでもないのに」
(聞きたくない。つかコーヒー飲みたい)
が、仕方がないので、訊く。
「で、その神社が、なに?」
「いえ、そう言えば畑中さんのおうちの近くかな? って思ったので、知ってるのかな? と」
「なるほどね、知らないよ」
ティッシュで手を拭き、丸めてゴミ箱に投げ入れた。
コーヒーのベストな温度を逃した気がする。
**********
-翌日 十一月 第二土曜日 十一時
-物捨神社 一階 食堂
「……なぜ……なぜなの……」
巫女服のサクラがダイニングテーブルに伏して泣いている。
昨日、急遽決まった営業部長との飲み会のため、退勤後、店にふたり分の席予約を連絡した直後、神社にも電話して、プライドには伝えておいた。
「今日は行けないから。明日立ち寄る」
プライドは「その分、明日はゆっくりしてくださいよ?」と言ってきたが、それには答えなかった。
それが昨日のことだった。
そして、今日は今日で、いろいろと済ませたい用事があったので、神社での滞在は三十分ほどになりそうなのだ。
それをサクラに伝えたら、この様子だ。
そばでコーヒーを淹れてくれているプライドは、文句を言いたいが自分まで言うともっとご主人を困らせるのは目に見えている、と言いたげに黙っている。
「どうして三十分だけなのよォオオオ~~~ッ!」
よくもここまで悲痛な声が出るものだ。
用事があるとか、そんなことを説明する義務も義理もないが、神社でお世話になっている以上、無関係を決め込むこともできない。
(そもそも俺がさっさと三人を消してしまえば、神社にも迷惑かけずに済む話だしな)
そんなことを考えていると、野々宮
サクラを見て、言う。
「あー、今日の短い滞在に不満なんですね。わかりますよ。待ちに待った土曜日ですもんね」
(ちょっと、そういうこと言うなよ、漣さん)
「漣さーん! ご主人様になんとか言ってよー! 面倒ごとは全部神社に押し付けておいて、自分だけは充実した休みを満喫しようとしてるのよー!」
(ぐっ……否定できない……)
「今日のご主人の用事に、私たちを連れていくことはできないんですか?」
「私たち」とプライドが言ったところで、タイミングよく咲も食堂に入ってきた。
「どうなんですかぁ! 同行は!?」
詰問するサクラに咲が加勢する。
「そうよね、できたら嬉しいわよね?」
連れていってもろくなことにはならないが、置いていってもろくなことにならなさそうだ。
「えっと、昼間はA子ちゃんとコーヒーを選びに行く。それが終わったら大学時代の友だちと飲む。そんだけだよ。どっちもひとりでの用事じゃないから」
言い終わるとすぐに、プライドと咲が言う。
「それならコーヒー選びに同行してもいいですか?」
「あ、それなら私も」
(このふたりか。店の中で近くでうろつくくらいなら、邪魔にはならないか。今回はデートでもないし)
しかし、咲がコーヒーに関心を持つとは意外だった。
「意外ですね、コーヒー好きでした?」
飲む必要のない体質であるということは知ってるが。
「違うのよ、好きとかじゃなくてね、神社でオリジナルブレンドのコーヒー出せないかと思って。相撲での一件で炎上したでしょ? ここ。だから、そのほとぼりが覚めたら、あたしかサクラをパッケージに使おうかなって思ってるの。市場調査よ」
商魂たくましいとはこのことだった。
ここまでしっくりくる同行の理由は、ほかにないだろう。
ここまでの会話を聞いて、サクラが身を乗り出した。
「じゃああたしは夜飲む店行くわ。漣さんも行こうよ。あたしひとりだとナンパされまくりだし、たまには漣さんも飲み屋でご飯とかいいじゃん」
漣はやや明るい声で答えた。
「飲み屋ですか、いいですねー。畑中さん、かまいませんか? 保護者兼ただの客、ということで」
「そりゃもちろん」
ここにいる全員が、とりあえず納得したところで、気になっていたことがある。
「漣さん、ところであの父娘は、普段なにしてるんですか?」
今日は妙に静かなのだ。
「エミリアはよく神社に来ますね。叔父さんは向こうでも有名だったので、こちらにもたくさんの知り合いがいるらしく、よく会って回ってるみたいです。今日は、政治関係の知り合いに会うとか、言っていましたね。『ちょうどいいから今日はエミリアも連れていく』とも言っていました。意味はわかりませんが」
エミリアがいてちょうどいい場面というのは想像できない。
除霊でもさせるつもりか。
**********
-同日十三時
-民政党 小松原幹事長 宅
「だからぁ! あたしがやるのは除霊じゃなくて退魔だって言ってんでしょうが!」
エミリアの怒声に、小松原幹事長と、小松原の第一秘書の村田はうろたえた。
「も、申し訳ない! なにぶん、こういったことには慣れてなくて」
不機嫌なのは丸一日、神社を離れなければならないからだ。
昨日、知り合いを介してゴリアスの元に届いた話はこうだった。
「政権与党の幹事長の孫が悪霊に憑かれた。助けてほしい」
広い和室の真ん中に敷かれた布団。
そこに高校生ほどの女の子が寝ている。
時に苦しそうにうめき、時に心底楽しそうに笑う。
そして時折、誰も触れていない部屋の障子が破れる。
ゴリアスが言う。
「どうだ? エミリア」
質問の形ではあるが、言外に「この人たちに説明してあげなさい」という意図があるのは明らかだ。
少女の顔を見ながら答える。
「悪霊ってほどじゃないわよ。ただの死霊。別にこの子に恨みがあるとかじゃないの。たまたまくっ憑いちゃっただけよ」
小松原幹事長が言う。
「そんなこと、あるのか?」
「珍しいことだけど、あるわよ。たまたまエレベーターで一緒になった人と生年月日が一緒だったくらいの確率でね」
小松原が質問を重ねる。
「その偶然で、こんなに苦しむものなのか」
「偶然だからよ。年齢も性別も違うもんだから、お互いびっくりしちゃってるの」
ぼんやりと、ではあるが、性別が男であることは見てわかる。
小松原も秘書の村田も、怪訝そうな顔をこちらに向ける。
「ま、見えないからわかんないわよね。追っ払う前に、どんな顔か見たい?」
問いに小松原がうなづいたので、鞄に手を入れた。
先ほどは「除霊と退魔は違う」と言ったが、実は基本的な手法はかなり似ていたりする。
霊も悪魔も、嫌がるものは共通しているのだ。
塩、聖水、特殊な加工を施した武器。
そういうものを駆使して相手が嫌がることをすれば、どこかへ行ってしまう。
つまり、やれと言われれば、大抵のことはできる。
エミリアが鞄から取り出した道具は霧吹き。
中には特殊な液体が入っていて、これを浴びた霊体は、特別な訓練を受けていない人間の肉眼でも、視認しやすくなる。
シュッ……シュッ……シュッ
横たわる少女の上から、ゆっくりと水滴が舞い落ちるように、噴霧した。
細かい水滴が、少女に落ちる。少女の顔に、もう一人の顔が重なっている。
それが徐々に、ハッキリと見えてきた。
ゴリアスとエミリアは、その顔に驚いた。
「こんな……ことって」
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