第9話 サクラとエミリア 3/3

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『少し早いが……まぁ、いい』

 エミリアの口から出ている言葉なのに、彼女の声ではない。

 低く、虫の羽音を思わせる声だ。

 悪魔。

 ほかのみんながどう思ったかは知らないが、俺にはそれしか思いつかなかった。

 エミリアの心の中に、悪魔がいる。

 その瞬間、推測ではあるが、頭の中で一列につながったものがあった。

 エミリアは祖母からエクソシストとしての全てを叩き込まれた。悪魔への憎悪とともに。

 それはエミリアの心の中に、刻み込まれた。

 祖母の、怨念にも近い憎悪は、エミリア自身の心に巣くい、その怨念の影響で、エミリアは悪魔に容赦しない性格になった。

 怨念に囚われたエミリアは、まさに「心に悪魔が棲む少女」になったのだ。

『十八になると悪魔は心を食う』

 ゴリアスはそう言っていた。

 エミリアは来月十八歳になる。

 ゴリアスは漣から「咲が一度消えた」と聞き、一縷いちるの望みをかけて、この神社に来たのだ。悪魔を心から引き出し、消し去るために。

 目の前のエミリアの口が動く。

『心を食べてしまうのは、もう少しあとにしておくよ……お前たち全員を殺すのを、この娘にも見ておいてもらうか。ククク……後悔と絶望に歪んだ心も美味そうだからな』

「……お前、母さんじゃないな」

 ゴリアスが低い声で威嚇する。

『そこらへんの死霊と一緒にするなよ……人の心に棲む悪魔ってのは、高度な存在なんだぜ? ま、おばあ様の姿と声は何度も借りたがね。この娘の心の中で』

「お父様……あたし」

 エミリアの声だ。表情も、エミリアのものになっていた。

「あたし……体が……」

 エミリアの表情と声が再び、悪魔のそれになる。

『ほぉ……まだ意識を外に出せるのか。だてにいろいろな訓練を受けてきたわけじゃないんだな。だがそうさ、体はこっちの自由だよ』

 ガチャッ

 食堂のドアが開き、さきとサクラが入ってきた。

 異様な気配を感じ取ったからこそ、ここに来たのだと、ふたりの切羽詰まった表情からわかる。

「咲……お姉様……」

 エミリアの口からエミリアの声が出る。

 が、すぐに変わった。

『ちょうどいい……ほら、お前の手で殺すんだよ……お姉様から行ってみるか!?』

 エミリアは手に持ったナイフの切っ先を、咲に向けた。

「いっ……いやっ……」

 全員が身構える。

 すぐにエミリアの声が変わった。

『おっと、余計な抵抗はするなよ? ……この娘の心を食うのはいつでもできるんだぜ……まぁ、退魔の技術を持っているのはこいつだけだ……何もできないだろう?』  

 ゴリアスも動かないところを見ると、どうやらそれは本当らしい。

『だが多少の抵抗も、してもらわなきゃつまらないな……そうして殺されてこそ、この娘の心は美味く仕上がる……』

「やめ……て……」

 エミリアの声のすぐあと、サクラが口を開く。

「抵抗、していいのね? じゃあちょっとだけ」

 サクラはテーブルの上の、小さな透明な容器を手に取った。

 中には透明な液体が入っている。

 サクラが持つと、化粧水のようにも見えてしまう。蓋を回し、開けた。

 一連の動作は一切の淀みなく、全員が無言で見ていた。

 サクラは容器の口を一メートル先に立つエミリアに向けて、中の液体をかけた。

 本当にただ、かけただけだ。

 液体がエミリアの顔にかかった瞬間、とてつもなく大きな声が響いた。

『ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』

 つい先ほどまで、この食堂で行われていたやり取りが思い出される。


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「これは?」

「機内持ち込み用聖水」


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 エミリアが床に両膝をついた。れんが駆け寄り、彼女の肩を強く抱く。

 エミリアの顔は大量の汗で濡れ、髪の毛がべったりと額についている。

「エミリア!」

 漣がいつになく、強い、厳しい口調で言う。

「今しかないぞ! 悪魔を追い出すんだ!!」

 そう。先ほどの絶叫が物語っていた。弱体化しているはずだ。

「む……むり……だって、おばあ様の……無念は……晴らさなきゃ……」

「そのために姉さんも殺すのか!」

「あたしだって……咲お姉様と遊びたいもん……! 遊べないのは……いやよ……! でも……できない……消さなきゃいけないから……おばあ様の想いを……遂げるのよ!」

「お前はどうしたいんだ!!!」

 漣がエミリアの手を強く握って叫ぶ。

 握りつぶしてしまいそうな剣幕だ。

 漣の声にエミリアは、泣きながら答える。

「やだよ!!! やめたいよ!!! これ!」

「だったら捨てろ! あとはなんとかしてやる! 任せろ!! だから……捨てるんだ! お前が! 今なら……ここならできる!」

「…………………ぅ……ぅぅぅ……ぅぅううああああアアァァァァァァァァ!!!!」


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 終わりはあっけなかった。

 エミリアの額から出てきた悪魔のような形の小さな生き物は、エミリアの手の中の聖女のナイフの刃の上に落ちると、そのままナイフによって身を裂かれ、断末魔とともに消えてしまった。

 気を失ったエミリアだが、ゴリアスの太い腕の中で、静かに呼吸している。

 みなが一様にエミリアの顔を見ている。

 ふと気になり、サクラの顔を見た。

 安心したような、でもどこか寂しそうな、そんな顔だ。

 祖母が持っていた悪魔への怨みと、そこから生まれた悪魔。

 そのふたつから解放されたエミリアは、それでも人ならざるモノを消すことに、執着するのだろうか。

 だとしたら、俺たちとは一緒にいられない。

 いや、そうでなくても、サクラは彼女を受け入れられないだろう。

 自分のことを殺しかけた張本人と、顔を合わせるなど。

(俺には絶対無理だ。ほんの短い間だったけど、まるで友達のように話してたのにな)

 ゴリアスが俺たちを見回して、口を開く。

「みんな、無礼を承知で頼むが、今晩だけ泊まることを許してくれ。明日、滞在できる場所を探す」

 みなが目を見合わせた。無言だったが、反対する者はいなかった。

 ゴリアスがサクラを見る。

「サクラ、本当にすまない。構わないか?」

「別に……あたしは……」

 自分でもわからないのだ。受け入れられるのかどうか。

 それはつまり、サクラ自身も思っていたことになる。

「友達になれたかも知れない」と。

「サクラ……」

 エミリアが声を出した。だが動いているのは口だけで、うわ言のように、小さな声だ。

 だが聞こえる。

「サクラ……ごめんね」

 サクラがエミリアを見る目が、少し潤んだように見えた。

 日本に滞在しながら、ゆっくり仲良くなるルートもあるかもしれない。

 プライドがゴリアスに尋ねた。

「滞在するんですか? 帰国せずに?」

「恩人のために、まだ何もしていないからな」

 ゴリアスがこちらを見て微笑む。

 咲がからかう口調で口を挟む。

「貴族の慈悲ってやつ?」

「おいおい、やめてくれ。言っておくが貴族だなんだというのは私の母親が言っていただけだ。母は家族が殺されてからは親戚縁者赤の他人をたらい回しだったようだからな、ほんとかどうかもわからん。この子の貴族意識も、苦しめていた呪縛の一部だったんだな」

 咲が応じる。

「じゃああなた、自分の母親の呪縛が、自分の娘を苦しめているのを知っていたから、貴族だなんだと、あんな高慢な態度にも厳しく言えなかったの?」

「いや……そうではない」

 ゴリアスが愛おしそうにエミリアの頭を撫でて、つぶやいた。

「私はただ……本当にただ、純粋に……娘に嫌われたくないんだ」

(死ね)


**********

-翌日 十九時三十分

-物捨神社 社務所 食堂


 サクラがエミリアをにらみつけ、言う。

「だぁかぁらぁ! なんで住む場所探しに行ったらご主人様の隣の部屋に住むことになってんのよ!」

「仕方ないでしょ? 部屋探しを父上に任せて暇だったから、怨霊の気配を追って片っ端から祓ってのよ。そしたら『ここにタダで住んでいい』って言われたんだから」

 プライドが受ける。

「事故物件ってやつですか」

 ゴリアスが答える。

「住人五代連続で死んでた部屋らしいぞ。大家の娘とかいうお嬢さんは『久しぶりに部屋に光が入った気がする』とか言ってたな」

 小林香織からはそんなこと、ひとことも聞いていなかった。

「退魔のハンディファンで一発だったけどね」

 サクラが叫ぶ。

「ご主人様! 絶対友達になれないわ、こいつ!」




つづく

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