第1話 プライド 2/2
土曜日の朝。
天気は晴れ。
(今日は休みなんだから、絶対になんかしよう。できることはたくさんあるんだ。 部屋の掃除、布団類の洗濯、軽いジョギング、図書館でのんびり過ごす。ほとんどやり飽きてるけど。まぁまずは飯食おう)
昨日コンビニに立ち寄って買ったものを探した。
それはベッドの隣のテーブルに乗っていた。
ガサガサと音を立てて取り出した中身は、カレーパンとツナマヨネーズのパン。
パンを買うとき、カレーパンを必ず買う。
(いつも使うコンビニじゃ、カレーパンマンとかあだ名付けられてるんだろうな)
パンをテーブルに置いた。一人暮らしの自室は広くない。
キッチン、風呂場、トイレ、六畳のひと部屋。
収納は少ないが荷物も少ないから困らない。
ベッドを離れて電気ケトルに水を入れ、沸かしはじめる。
(二千円台にしちゃ優秀だよな)
ネットショップでまとめて買ったドリップコーヒーのひとつを取り、封を開けると、呼び鈴が鳴った。
(なんだ? なんも買ってないよな)
室内のモニターを見ると、画面の中には、男が一人立っていた。
見る限り、手には何も持っていない。
(誰? いや、え、何の用?)
そう考えてしまったのは、男が余りにも、完成された容貌の持ち主だったからだ。
年は恐らく二十代後半。やや白く、白すぎない肌。長くも短くもない黒髪はまとめられていないのに、清潔感がある。目は一重まぶただが、無愛想には見えない。
黒いデニムパンツに白いボタンダウンのシャツ。こういう服装は十一月に入ってしまうとできなくなる。シンプルなのに絵になる。
念のためドアチェーンをかけてから、ドアを開けた。
(俺より十センチくらい高いか? あー、めっちゃいい見た目だなこの人、 俺もこういう見た目なら、よかったのになぁ。せめて天パがなければよかったなぁ)
ドアが開いてすぐ、向こうは微笑んだ。
それだけで、何も言わない。
(なんか言えよ……しゃーない)
「えーと、なんですか?」
「あ、いえ、ひと言ごあいさつに、と思いまして」
「あ、そうなんですね。わざわざご丁寧に」
(悪いことしちゃったな、わざわざ来てくれたのに。引っ越しとか全然気づかなかった)
ドアチェーンを外して、ドアを大きく開けて、名乗った。
「畑中です、よろしく」
「プライドです」
「は?」
「プライドです」
(ちょっとなに言ってるかわからない。イケメンだけど、外国人じゃないですよね?)
「えっと、お店かなにか、されるんですか?」
部屋を借りて、そういう名前の店を出す。これなら話が通るし、ご近所へのあいさつも必要になるだろう。
(おお、すごい、我ながら、頭は悪くない。いい発想だ)
目の前の男がはっきりと言った。
「あなたが昨日捨てたプライドです」
ドアを閉めた。
混乱して思わず、ドアを閉めてしまった。
(何? 誰? こわ! なんで俺がプライドを捨てたがってたことを知ってるの? 俺はプライド捨てられたってこと? いや、捨てたって、ああいう形になる? プライド捨てるってこういうもの? ペット捨てたわけじゃないのに)
「ペット捨てたわけじゃないんですよ! 開けてくださいよ!」
ドアをドンドンと叩いてくる。
(本当にどうしよう)
「いやほんと! 何の話されてるかわかんないから!」
「だからね、あなたは昨日僕を捨てたんですよ! あんまりじゃないですか! 納得のいく話聞かせてくださいよ! 黙って捨てるなんて」
「大声で言うな! 近所に聞こえるだろ!」
「じゃあ中に入れてください! このままじゃ帰れないですよ!」
「……話したら帰るんだな?」
「そりゃもう、もちろんです」
ドアをそっと開けた。
「ほんとに帰れよ」
リビング兼寝室の床に男を座らせた。
(勢いで部屋に入れてしまった。こんなふうに女の子も入ってくればいいのに)
コーヒーの入ったマグカップを二つ、テーブルに置いた。
「いやぁやっぱり優しいですね」
テーブルを挟んで座る。
「そういうのはいいから。あと、ごめん、朝めし食っていい?」
「どうぞどうぞ」
返事を待って、手にしたカレーパンの袋を開ける。
「で、ほんとに、あんたなに?」
「だからさっき言ったじゃないですか。あなたが昨日捨てたプライドです」
コーヒーを飲みながら男が答える。
「ほんとにそれ、よくわからないわ」
「そうでしょうねー、僕もまさか捨てられるとは思わなかったですから」
(だとしたらそんなヘラヘラしてんじゃねえよ)
カレーパンをかじる顎の動きにも、苛立ちが出る。
「もう、わかった、じゃあもうそれはいいわ」
(こいつがどんな変人だとしても、納得させて帰せばいいんだ。というか、部屋に入れたのは失敗か。部屋の前で大声で変なこと言われてたら、警察呼んでも証言してくれる人が出て来てくれるかもしれないわけで。そうだよ、警察呼べばいいんだよ。よし呼ぼう。どうしてものときは)
「で、どうすれば帰ってくれるの?」
「まぁ納得のいく話を聞かせてくれたら、ですね」
「納得って?」
「なんで僕を捨てたか、ですよ。ひどいじゃないですか、あんなに一緒にいたのに」
(男に言われることになるとはな)
「信じてないでしょ?」
「そりゃね」
テーブルに置いていたスマホがメッセージを受信した。
「どうぞ」
男は変わらずにこやかに、促した。
受信画面には、夕べ森山との話に出た生意気な後輩の名前が出ている。
「いや、とりあえずはいいよ」
男の顔が、目の前で険しくなった。
「え? なに?」
「……見ないんですか?」
(何なんだ一体。ちょっと怖いし)
仕方なく、メッセージを開いた。
『昨日は生意気なこと言ってすみませんでした。竹内先輩に注意されました。畑中さんの仕事の状況も考えずに、自分のことしか考えてなかったです。申し訳ありませんでした』
(は? なにこいつ? 竹内先輩に注意されました? 俺には生意気に突っかかってきて、俺の同期の竹内の言うことは素直に聞くのかこいつは。新入社員の時に何回飯おごったと思ってんだ。竹内と付き合ってんのか、こいつは? 死ねよ)
「すぐに既読つくのが嫌だったんですか?」
「え?」
気づいたときには聞き返していた。
男がじっと見つめて、話す。
「休みの日にスマホ触ってることなんてよくあることじゃないですか。そんなこと気にして、開かなかったんですか?」
「いや」
(いや。図星なんですけどね)
「ごめんなさい、邪魔して。どうぞ、忘れないうちに返信したらどうですか?」
(何なんだよ一体)
『いや、気にしてないから大丈夫。こちらこそ、一緒に進めてるのにこっちの状況を伝えてなくて申し訳なかった。わざわざありがとう』
送信ボタンをタップする。
顔を上げると、男の顔からにこやかな表情が消えていた。
冷たく、こちらを値踏みするような目だ。別人にさえ見える。
「あの、なんですか?」
不可解な変化に、思わず敬語で話しかけた。
「うーん、まだ残ってるんですかね」
「え?」
「後輩に突っかかられたことを気にして、すぐに既読つけたくないところや、返信でも器でかいアピールして腹が立ったなんて言わないところを見ると」
「なんだよそれ」
(いや、なんでわかったんだ? 返信内容まで)
「『さすがにカチンと来たよ』くらい言えばいいのに」
向かいに座っているのだから、画面が見えるはずがない。
「やっぱり、まだ残ってますね」
「だから! なんだよそれ!」
「ちっちゃいプライド」
(だからなんだよそれ!)
男が身を乗り出した。
身構える暇もない、素早い動きだ。
胸の真ん中を殴り付けてきた。
「いっっっっっってぇぇぇ!」
今まで感じたことのない激痛だ。
身をよじるが、男の手が体から離れない。
痛む胸元を見る。
殴ったんじゃない。
突いた。手が胸に突き刺さっている。
「痛い痛い痛い! 入ってる! 入ってるって!」
「我慢してください、痛いのは最初だけです! すぐ慣れますから!」
(頼む、外に聞こえてるな)
男は言い終えた数秒後、手を離した。
慌てて胸元を押さえた。
「う……え? あれ?」
我ながら間抜けな声だが、仕方がない。
刺されたはずの胸元が、なんともなっていないのだ。
血も出ていない。傷らしい傷もない。
(へ? 何? どうなってる?)
「やっぱり……ほらね」
男の得意げな声に、顔を上げる。
男の手の中に、何かいる。小さな生き物だ。
ハムスターほどの大きさ。
手の中に握られているのでよく見えないが、それは暴れている。男の手の中から逃げ出そうとしている。
「な、なんだよそれ」
恐怖よりも、目の前の出来事を理解するのが精いっぱいだった。
男はそれを逃がさないように、ゆっくり手を開く。
その生き物の一端をつまんで見せる。
それは男だった。
手の中に収まるくらい、小さな男。
服を着ている。黒いパンツに白いシャツ。
「え? なに、それ」
その生き物は、目の前の男を、そのまま小さくしたものだった。
「残ってましたよ。ちっちゃいプライド」
目の前の男の名前はプライド。
そして男をそのまま小さくした生き物が、小さなプライドだと言う。
(そのまんますぎるだろ)
「いや、ほんと、わかんない」
汗がにじんできた。
男に片足をつままれた小さい男が暴れている。
「だから、あなたの中にまだ残っていたんですよ。ちっちゃいプライドが」
「わかった! それはもう受け入れるから! どうすんだよそれ!」
「うーん、こうなるともう、こうするしかないですね」
男はゆっくりと小さな男を持ち上げて、口を開けた。
**********
「ふぅ」
男は事も無げに息をつく。
(やばい、吐きそう)
目の前にたっている男が、まったく同じ見た目の小さな男を、食べた。
「びっくりしました?」
「するだろ普通!」
(ていうか咀嚼すんな。呑み込めよ。ご丁寧に噛みちぎんなよ)
「あなたの言う普通というのは」
「うるせえよ! いいよもうそれは! あと髪の毛が歯に挟まってんだよ! 取れ!」
信じるとか信じないとか、そういう次元ではない。
受け入れざるを得ない。
こいつは、俺の中にいた、プライドだ。
「やっとわかってくれたみたいですね、ご主人」
つづく
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