プライド捨てたら人生変わった
@maiko-zaka
第1話 プライド 1/2
-土曜日 朝八時四十分
-ハイツ・ハイライト二〇五
「ふぅ」
男は事も無げに息をついた。
(くそ、吐きそうだ。)
目の前で立っている男が、まったく同じ見た目の小さな男を、食べたのだ。
「びっくりしました?」
「するだろ普通!」
「やっとわかってくれたみたいですね、ご主人」
-その十二時間前 金曜日 夜八時四十分
-居酒屋『穴太郎』
大学時代に同じサークルにいた森山が向かいの席で言った。
「お前さ、そのくだらないプライド捨てた方がいいよ」
鳥の唐揚げを口に運ぶ手を止めて言った彼の表情に、責めるような深刻さはないが、からかうような不快さもなかった。
(わかってる。心底俺のことを心配してくれているんだろ、お前は)
俺の愚痴―入社したばかりの後輩の女が『畑中さん、イベントの全体進行、早く共有に上げてもらえます? それがないと会場との調整できないんですけど』などとこちらの業務進捗に口出しするようなことを人目もはばからず言ってきた、という愚痴。
これを聞いた森山は、最後まで聞いたあとにこう言った。
プライドを捨てろ、と。
「わかってるよ」
「わかってねえよ。その後輩の女って入社1年目だろ? 細かいこともわからずにいい気になって言っちゃっただけなんだって」
(わかってるよ。わかってるから、それが腹立つんだよ)
「それでお前はなんて言ったんだよ」
「何も」
「そうだろ? どうせ黙ってふてくされてたんだろ」
(はいそうです)
「『ごめんね、こっちの急ぎのやつが終わってないから、もうちょっと待ってて』とかなんとか返しとけば、周りの評価も違うのにさ」
(うん、本当に、そうなんだろうな。それと、そういうことができない自分が、ガキ臭くて好きになれない)
「そんなんじゃお前、周りからはお前もその女も、別ベクトルのめんどくさいやつってだけじゃん」
まったくその通りだと思うしかない。そして、こんな俺とも飲んでくれる森山という男は、本当にいいやつなのだ。
一時間後、ふたりそろって席を立ち、鞄から財布を出した。
会計はふたりで六千円弱だ。
「またお願いしまーす」という店員の声を背に受けて店を出てた。
駅に向かってふたりで歩く。
サラリーマンふたりが並んで道を歩くのは何となく気恥ずかしい。
森山がしゃべりだした。
「飲んだときって店で別れるのが一番だよな。歩きながら話すのって、なんか嫌だわ」
「ほんと、俺もだ。だいたいさっきまで話してた内容の繰り返しと、次に会うのいつかなーとかだもんな」
十分ほど歩くと駅に着いた。改札を通り、森山に言った。
「それじゃ、俺こっちだから」
「おう、プライド捨てろよ」
別々のホームへ向かうと、こちらにはすぐ電車が来た。向かいのホームにいるかどうかわからない森山と目が合わないように、乗り込み、吊革を持って立った。
『お前さ、そのくだらないプライド捨てた方がいいよ』
(ああ……脳内で繰り返してるよ。よっぽど刺さったんだな)
森山の顔が正面のガラスに映った。
(でもさ……プライドを捨てろと言われてもなぁ、具体的にどうすればいいんだよ)
電車の揺れがいつもより気になる。少し不快でさえある。
(こうすれば捨てられますよというのがあれば何でもやるよ)
鼻から大きく息を吸い、大きく吐いた。
(あーでも、この部分は一生変わることはないのかもなー)
電車に乗った二駅目で座席に座れた。
(でも森山いいやつだもんな、本当に俺のための忠告だったし)
座席がいつもより硬い気がする。そんなことに思考を反らそうとしたが、また森山の顔が浮かんできた。
(あぁ、なんでこんな嫌なことに思考を占拠されてるんだろ)
電車に揺られていると、眠りに落ちていた。
目を覚まして、眠っていたことに気づいた。
それと同時に、終着駅を知らせるアナウンスが聞こえた。
(やばい)
立ち上がりながらホームの掲示を探した。
疑いようもなく、そこは終着駅だった。
森山と別れたのは夜十時。普通に帰っていれば十一時前には家に着く。そして今は十一時三十分。折り返して家まで帰れるのは次の最終電車だった。
(やっちまった……でも、まあラッキーな方か。最終がなかったらタクシーしかない。七千円は超える)
間もなくホームに入ってきた折り返しの最終電車に乗った。
座席に座り約一時間後、電車が止まった。
止まったが、ドアが開かない。暗いがここが駅のホームではないことはわかる。
(はぁ……今度はなんだよ)
すぐにアナウンスが流れた。
『お客様にお知らせします。ただいま地震が発生しました。その影響で電車は緊急停車しました。安全が確認され次第、発車します』
(地震? 全然わからなかった)
ポケットの中からスマートフォンを取り出し、ニュースアプリを開いた。
それによると、震源地は隣県だった。そしてここは震度一だったようだ。
電車がゆっくりと進み、再度アナウンス。
『お客様にお知らせします。先ほどの地震の影響で、やむを得ずこの電車は、次の駅でしばらく停車します。ご了承ください。』
(次の駅か……次の次まで行ってくれたら、いつもの駅なのにな)
電車は徐々にスピードを上げている。
(まぁひと駅くらいなら、ちょうどいいや。いつ動くかもわからんし、歩くか)
いつも利用する駅の隣の駅で降りた。
(あ、そういえば、この駅で降りたのは初めてかも)
自宅までの道のりはマップアプリで調べておいた。
大通りを使えば迷うことはまずないが、かなり遠回りになる。
細い道を行けば四十分で自宅に着きそうだ。
コンビニ二軒と小さな神社を目印にすれば、道を三度曲がるだけで済む。
風が吹いた。涼しい。四十分歩くのにはちょうど良さそうだ。
改札を出る。歩くべき道はわかっている。
ひとつ目の目印、コンビニを曲がった。
『お前さ、そのくだらないプライド捨てた方がいいよ』
何度目かのフラッシュバックだった。
森山の顔が視界に浮かんだ。
「うるせーえなー」
夜道でひとり、 無意識に声になっていた。
(うそです。ごめんなさい。本当に忠告はありがたいです。余りにも的確に痛いところを突かれたから、逃げ場がなくなってるだけです)
初めて歩く道のせいか、距離を長く感じる。
(あぁ……本当に、くだらないプライドを抱えて生きてきたんだな。ちょっとした命令口調が癇にさわることなんかよくあるしな。多分、他人を下に見てんだろうな。自分より下だと思っている人間から、想定される扱いを受けないから腹が立つんだよ。 つくづく、くだらない人間だわ)
夜風は、あまり冷たく感じなかった。
(捨ててえな、くだらないプライド)
二つ目の目印、神社が見えてきた。
(神頼みでもするか?)
角を曲がると神社の参道が見えた。
暗い。
(こわ。今日は神頼みはやめとこう。明るい時間に来たときにしよう)
ふと見上げると、敷地内の大きな木の枝葉が、街灯にまで届き、明かりを隠している。
目が覚めると、自室のベッドの上ではなかった。
「え?」
声に出ていた。
辺りを見渡した。
そこは、最後の記憶にあった、神社の前だ。
(え?)
時計を見る。時刻は深夜一時前。
零時三十分に駅から歩きはじめ、その二十分後に神社まで来たはずだった。
(気絶してたのか? 立ち眩み? まぁでも、何分かだけか。よかった。とにかく、早く帰ろう)
立ち上がって、歩きながら考えた。
(まぁ、頭痛も吐き気もしない。病院には、行かなくてもいいだろ)
三つ目の目印、コンビニが見えた。
(あ、そうだ。明日の朝のパン、買って帰ろ)
ここ最近、食事をコンビニで済ませることが多くなった。
料理は得意な方だが、自分の為に作るだけではモチベーションが維持できない。
休みの日に部屋でゴロゴロしていると、腹も減らないから三食食べないことも多い。
惣菜パンを二つ買って店を出た。
ガラスに映った体を見た。少し痩せた気がする。
十分と少し歩くと、アパートに着いた。
「プライドを捨てろ、か」
ドアに鍵を差し込みながら、知らずに声に出ていた。
脳内で森山の口が動く。
『お前さ、そのくだらないプライド捨てた方がいいよ』
床に鞄を投げるように置いても、熱いシャワーを浴びても、乱暴に歯を磨いても、ベッドの上で横になっても、その言葉は頭から離れなかった。
つづく
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