第二十三話 天性の格差
「情けねえだろ」
「え?」
サキヤノはアンティークを見上げる。
彼は膝を曲げ、座り込むサキヤノと同じ目線でもう一度言った。
「情けねえだろ、何も出来ない自分は」
アンティークは真紅の瞳でサキヤノを見据える。
「身体、動かなかっただろ?」
「……はい」
サキヤノは目を伏せることなく、視線を交わしたまま頷いた。
アンティークの言う通り、サキヤノの身体は全く動かなかった。死を受け入れるように抵抗はなく、本能から魔物に屈していた自分の姿は、さぞ惨めに見えただろう。アンティークの考えを勝手に想像し、悲観しながらサキヤノは拳を握る。汗が滲んだ拳は震えており、不甲斐なさが自尊心を引き裂いた。
全く成長していない。
こんなので、異世界を生きられるわけがない。
「サキヤノさん」
後ろ向きな思考に陥るサキヤノにゲルトルードは声を掛けるが、アンティークはそれを制止する。
「貴方、邪魔しないで」
ゲルトルードの怒りの籠った声に動じず、アンティークは立ち上がった。
「立て」
「はい?」
「立て、サクラバ」
初めて本名を呼んだアンティークは、サキヤノを見下ろす。
何故、今名前を。
何か裏のありそうなアンティークに震え
動かない魔物を落とすアルカナの商人達を横目に、サキヤノはゆっくりと立ち上がる。アンティークはそのサキヤノの肩に手を置き「歯ぁ食い縛れ」と小声で囁いた。
「は……ぐっ!?」
次の瞬間、アンティークの拳がサキヤノの腹に突き刺さる。
サキヤノは呻き、膝から崩れ落ちた。
「————サキヤノさんッ」
ゲルトルードが息を呑み、サキヤノの傍らに駆け寄る。
まず今何が起きたのか整理しようと思うサキヤノだったが、頭が真っ白で上手く働かない。サキヤノは襲ってくる激痛に苦しみ悶え、身体を丸める。
殴られた、と自覚したのは違和感が痛みに変わってからだった。以前殴られた記憶よりもずっと痛く、ようやく頭が冴え始める。
何故殴られたのか、きっと理由はあるはず。アンティークの気分というなら、もっと早く手を出していたはずだ。
自身の現状を理解したサキヤノは理由を探した。
地面に伏せながら、アンティークに視線を這わせる。
「起きろ、サク」目が合ったアンティークはサキヤノを見下ろし、冷たい表情で言い放った。「起きねえと置いてくぞ」
まだ理由は見つかりそうにない。しかし、言われた通りに動くのが懸命だろう。
両腕に力を入れると殴られた箇所が痛み、顔を上げることも出来ずにサキヤノは地面に顔を擦りつけた。腹部を押さえながらどうにか四つん這いになるも、アンティークに背中を踏まれてまた地面に伏せる。
周りからざわめきが聞こえた。
きっと商人だろう。商人を守る立場の人間が最前線で道を塞いでいるのだから、邪魔で仕方がないのだ。
とうとうゲルトルードが間に割って入った。
「彼は異界人です。貴方とは身体の作りも力も、何もかもが違うんです。こんなのは、一方的な虐めです」
「違う。オレはこいつを同じ人間として見ているだけだ」
アンティークは眉間に皺を刻み、ゲルトルードに顔を寄せる。
「お前、今『異界人だから』っつったよな」
「ええ、それが何か」
突き放すように睨むゲルトルード。
「オレはなぁ『異界人だから』とか『異界人なら』とか決めつけが大っ嫌いなんだよ。ただでさえ弱者っつーレッテルが貼られ、他より恵まれていないっつー固定概念がある……ってのに、言葉にしたらこいつらはますます自分に甘えるだろ」
「甘えちゃ悪いんですか」
「悪い。周りにかける迷惑も考えるべきだろ」
「……私も決めつけは嫌いですが、それが自分の身を守る手段にもなります。特にサキヤノさん達の場合は、周りが守ってこそじゃないですか?」
ゲルトルードの口調が強まるに連れ、髪色が濃くなっていることに気付く。
ウォンとの対峙で髪色が変わったのは見間違えではなかったのか。もしかしたら彼女が魔法を使うと起こる変化なのかもしれない。こんなところで魔法はまずいと、サキヤノはゲルトルードのスカートの裾を引っ張る。
「大丈夫」
自分が思うよりも声はしゃがれたが、ゲルトルードが怒りを抑えるには充分な声量だった。
彼女は目を泳がせた後、小さく頷く。
「ご本人がそうおっしゃるなら……」
「オレが大丈夫じゃねえ」
張り詰めた空気はまだ緩まず、アンティークが口を開く。
「こいつは聖都の異界人保護部隊の一員で、騎士団員兼勅使っつーとんでもねぇ肩書きを持ってんだぞ」
「……それで」
「だが殴っただけで動けなくなるんだ。こんなのが代表なんてみっともなくて他国に見せらんねぇ」
「……貴方、それ以上言うと許さないわよ」
「なんだ、やる気か?言っとくが、オレは子供だろうが女だろうが手は抜かねぇ」
挑発に乗りかけたゲルトルードに「頼むから気にしないでくれ」と伝え、サキヤノは身体を起こした。
どうしてゲルトルードはこんなにも怒ってくれるのだろう。嬉しいには嬉しいが、疑問が残る。しかし気軽に聞いて良いかも分からない。相談する相手もいない。
頭の中がいろんな疑問で満杯になるも、今考え込んでいる暇はなさそうだった。
サキヤノはアンティークを見遣る。
「立てるよな?」
彼は圧力を掛けるように言うが、立たない訳にはいかない。サキヤノは黙って首肯し、足を踏ん張って起き上がった。
「……はい。もう、大丈夫です」
深く息を吸う。もう既に、痛みはほとんど引いていた。
「すみません、お待たせしました」
「遅ぇよ」
だって、とサキヤノではなくゲルトルードが言いかけた。サキヤノは彼女を制止して「俺は大丈夫だから」と笑顔を返してみる。
——大丈夫。俺が我慢すれば、喧嘩は起きないんだ。
確信し、前を向くサキヤノ。
アンティークは肩を竦め、元いた馬車に戻ろうとした。腕を組むシンシアにすれ違いざま、
「ストレージ。やるなら、無事ライノスに着いてからにしてくれないかしら。正直言って時間の無駄遣い……まだ坑道は続くのよ」
と、早口で注意されてから彼は荷台に戻る。
「それから」シンシアはサキヤノに笑顔を向けた。それからゲルトルードには一瞥を。「気まずいでしょ、こっちにいらっしゃい」
サキヤノとゲルトルードは待たせていた商人に謝罪をし、シンシアの後に続く。
馬車列の後ろの方で待機していた鉄の馬車に、シンシアは案内をしてくれた。彼女は荷台の鍵を開け、重苦しい音を放つ扉にサキヤノを誘導する。
「貴方、弱いのね」
こそ、と耳打ちをされたサキヤノは肩を揺らした。
「すみません、見苦しいところを見せてしまって」
「別に良いわ、仕方ない」
「……でも」
「それなら今出来ることを考えなさい?」シンシアは親指を立て、荷台の中を指し示す。時間が迫っていることを思い出し、サキヤノは慌てて荷台に乗り込んだ。
聖都の馬車と違い、光沢をもつ長椅子が両端に備え付けられた——来賓用みたく、豪華な馬車である。こんな良い場所に座って良いのかとシンシアに助けを求めるが、彼女は顎をしゃくるだけで乗るように促す。
おずおず馬車の段差に足を掛けたサキヤノの後ろで、
「……弱くない異界人が異常なだけだもの」
と『弱くない異界人』に心当たりがあるのか、シンシアが遠くを見つめて呟いた。
もちろんサキヤノは聞き逃さなかった。
異界人が弱くない——?
散々笑い者にされて、蔑まれている人間が弱くないと、彼女は確かに言った。まさか自分と同じ出身の人がいるのか。一瞬期待するも、ローノラの『世界は無数にある』発言を思い出して唸る。
——でも会いたい。同じ境遇の人に会いたい。
サキヤノは真っ先に同士を求めた。機会があるなら、もし近くにいるなら是非会わせてほしい。
シンシアの名を呼ぶ。
しかし彼女はサキヤノの声に応えなかった。揺れる瞳をゲルトルードに向けて、
「それより……」
引き攣った不自然な笑みのシンシアは、何かを言いかけて視線を落とす。数秒俯き「なんでもない」と、やはり取ってつけたような笑顔でシンシアは二人の背を押し、扉を閉めた。
「あ、ちょっ」
ばたん、と重厚な扉の音がサキヤノの声をかき消す。
サキヤノは歯痒い気持ちに襲われながら、長椅子ではなく地べたに座った。ゲルトルードも続けてサキヤノの横に座る。
「ゲルトルードは座りなよ」
「いえ?」ライトに照らされたゲルトルードは、変わらぬ柔らかな笑顔を浮かべる。「私はサキヤノさんと一緒が良いだけです。お気になさらず」
「遠慮なんかするなよ?」
「遠慮なんかしてません」
声が重なり、二人で笑い合った。
——間もなくして、サキヤノはまた眠りにつく。
*****
荷台に戻ったアンティークは、何故かヴァレリーと一緒に揺られていた。
サキヤノとゲルトルードを連れ出した時に一緒に放り投げておけばと、アンティークは後悔する。正体不明の生き物という時点で、同じ空間にいるのは気分が悪かった。
アンティークは歯軋りしながら、謎の生き物ヴァレリーを見る。ヴァレリーもまた、アンティークを食い入るように見つめていた。
ぎょっとしたアンティークは視線を窓の外に移す。
変化の少ない景色が左へゆったりと過ぎていた。青白い光も動きに伴い、荷台を照らす場所が切り替わってゆく。
アンティークは木目状の床に足を伸ばした。
馬車が動き出してもサキヤノ達が戻ってこないのは、ライノスの馬車に乗っているからだろう。
きっとシンシアのお節介に違いない。
胸中の不満を抑えられなかったアンティークはとうとう口を開いた。
「おい、鳥」
「ヴァルだ」
「……ヴァル」
「なにか用か」
殴りたくなる衝動をグッと堪え、アンティークは呟くように言った。
「あんな奴、勅使に向いてねえよな」
こんな鳥に言っても何か変わるわけではないが、アンティークは本音を吐き出す。
弱くて周りの足を引っ張る異界人。
威張って結局役に立たない異界人。
守られながらも平気で裏切る異界人。
相応な人生を送る呑気な異界人。
今まで様々な異界人を見てきたが、あそこまで恵まれて癪に触る奴は初めてだった。
別に助ける分には文句はない。
自分が
だけど、あいつ——。
アンティークはサキヤノを思い出し、歯を食いしばった。
どうしてあんな奴が聖王の代わりなのか、どう考えても理解できない。あんな子供、あんな未熟者、あんな半端者、あんなお調子者、向いていないにも程がある。
八つ当たりのようにヴァレリーを睨む。人間ではないくせに絶妙に腹の立つ表情を作るヴァレリーに、アンティークは舌打ちをする。
腹が立つ。
アンティークは自身の魔法の痕跡を眺め、頭を掻いた。
異界人の始末なら簡単だが、今の周りは許してくれないだろう。周りのサキヤノへの態度も、アンティークの怒りに拍車をかける。
苛立つアンティークは、次に厄介な少女の姿を思い浮かべた。一瞬垣間見せた殺意とサキヤノの言葉を代弁する——彼から絶大な信頼を買っているであろう魅力的な話術、敵意を見せない相手への丁寧な言葉遣い。
ゲルトルードの存在もまた、アンティークの怒りを増幅させていた。
また彼女にある疑いをかけていたのだが、先程の髪の変化でようやく結論が出せた。
あいつはきっと『共鳴師』だろう。確信は常にしないが、ほぼ間違いない。
それなら自分やライノスとの相性は悪い——非常に悪い。
ディックが自分の付き添いに妥協したのは、ゲルトルードの存在があったからか。アンティークは納得し、頭を抱えた。
「なんっつー組み合わせだ」
共鳴師がいるなら、迂闊に手は出せない。
それがアルカナ国内なら尚更だ。
「あー、くそっ」
こんなにも自分の出身を恨んだことはない、とアンティークは自身の故郷——ライノスを見据えた。
異界人と共鳴師。
どちらもライノスにとっては敷居を跨いでほしくない存在である。それなのに、いきなり二人も入国許可するとは。
アンティークは「シンシアは始末書で済まないだろう」とほくそ笑むが、自分自身もタダでは済まないのではないかと思うと笑っている場合ではないことに気付く。
「……ステファンさん、オレに任せてください」
アンティークは己を鼓舞する為、前向きに呟く。
サキヤノは自分がなんとかする。
始末できないなら、なんとしてでもライノスで見極めなければならない。
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