第十二話 誰かが傷つく虚勢



 朝が来た。

 とうとう朝が来てしまった。


 あまり寝つけなかったサキヤノは、一番に目が覚めたと思っていたが。


「あら、おはよー」


 麗々れいれいしく挨拶をした女性。『凱旋の乙女』と呼ばれる、カスカータが一番に起きていた。

 異界人を嫌っているらしく、サキヤノに対する彼女の態度は冷たい。だから自分に挨拶をしたのが意外過ぎて、サキヤノは首を傾げてしまう。

 「はぁ?」とカスカータは片眉を上げた。


「なーによ、せっかく挨拶してあげたのに無視?ヒツジの癖に生意気過ぎ」


「いや、えっと……おはようございます」


 彼女の口が悪いのは愛嬌あいきょう——とでも思わないと、自分の心は折れてしまうだろう。しかし素直に挨拶を返したサキヤノを見て、カスカータは「ふふ」と相好そうごうを崩した。


「まぁ良いワ。早起きするのはとても良いことだと思うのよ、私。良い心掛けね」


 「今後も続けなさい」扉を眺め、カスカータは一息吐くことなく「ね、アナタに聞いておきたいのだけど」と続けた。


「ぇ、はい」


「……アナタ、本当に参加する気?戦える?私が見た異界人の中でも貧弱よ」


 サキヤノを一瞥いちべつすると、僅かに眉を寄せた彼女は呟いた。「命は大事にしないとダメだワ」


 サキヤノを馬鹿にし、罵倒した彼女の姿はもうなかった。昨日の罵詈雑言ばりぞうごんが嘘のように、カスカータは気遣いの言葉を並べてゆく。

 サキヤノは卑屈ひくつな笑みを浮かべて、彼女に「ありがとうございます」と伝えた。気分屋の人の気持ちが本当に分からず、態度の一変した彼女についていけなかったため、つい下手な笑顔を作ってしまった。

 だが、彼女の親身な心遣いは受け止めなければならないだろう。自分は恵まれていて、安全な立場を確立出来ているのだから、嫌だとか驚いたとかは素直に言わない方が良い。

 言いたいことは、言わない方が良いんだろう。

 ……我ながら卑怯な奴であると、サキヤノは自分の性格を悔やんだ。


 参加しない、という選択肢があれば是非選びたい。そう思ってカスカータを見上げると、彼女は口をへの字に曲げていた。ぎょっとしている内に、カスカータはサキヤノの腕を掴む。


「え」


「……外に来なさい!アナタ、本当に……!出なさい!」


 不満を爆発させたように、カスカータはサキヤノを外へ放り投げた。それから彼女自身も外に飛び出し、扉を勢いよく閉める。扉が軋む音が、彼女の力を物語っているようだった。

 突然の出来事に動揺し、サキヤノは尻餅をついた姿勢でカスカータを見上げた。


 「わけわかんない、って顔ね」カスカータはベルトから短剣を引き抜くと、サキヤノの足元に転がした。「それ、使いなさい」


「使えって、あの」


「もうちょっと自分で考えなさい!!」


 彼女の苛立ちは頂点に達したらしい。

 声を荒げ、呼吸を乱し、カスカータは目を吊り上げていた。いきなり表情が激変した女性にサキヤノは怖くなって、止まった思考回路をフル稼働させる。

 怒ったのは、自分がお礼を言ったことか?それとも苦手だと考えてしまったから?確かに失礼なことを考えたが、口にはしていない。昨日の無礼な心境を彼女は特に指摘しなかったから、心が読めるとか、そういう魔法ではなさそうだ。

 じゃあお礼を言ったのが不味かったのか。自分なんかに言われるのが屈辱だったのだろうか。

 サキヤノは思いつく限り頭を捻ってみたが、何故カスカータが怒っているのか分からなかった。

 いつもの癖でカスカータの顔色をうかがっていると、彼女は茫然と地面を見つめた。瞳が揺れ、今にも泣きそうな表情だった。

 見られていることに気付き、カスカータは「……ヒツジなんかに熱くなっちゃったワ」と黙考するサキヤノを睨みつけ、顔に何か霧状のものを吹き掛けた。


「うわっ、な……なんですか!?」


「アナタ達の世界で言う、ショーシューザイ。簡易的なお風呂みたいなものよ。アナタ臭ったから、高価なスプレーしてあげたの。私って本当優しいワー」


 口調は今までと変わらない。だが笑顔は消え、声の抑揚もない。

 ——それはそれとして。

 自分は臭かったのか、と戦慄せんりつした。彼女に対しての恐怖が「臭かったから」の一言で全て吹き飛んだ。腕、服と匂いをぎ、自分自身の臭さを確認する。


「臭くない……?」


「当たり前でしょ、もうスプレーしたんだから」


 呆れ顔のカスカータ。


「俺、臭かったのか……」


「当たり前でしょ、全然お風呂に入ってないの、すぐに分かったワ」


 添えられる軽蔑の眼差し。


「俺……」


「っああ、もうしつこいワ!!黙って剣を取りなさい!」


 カスカータはショックを受けるサキヤノの襟首を掴み、軽々と立たせた。その後、地面に置かれた短剣を掴んでサキヤノの手に握らせる。


「臭いとかはどうでも良いの。今、叛逆軍を迎え撃つにあたって、アナタの実力を知りたいの」


「どうでも……って、実力ですか?」


 声が裏返りながらも、サキヤノは頭を切り替えていた。

 自分の持っているものが凶器だと、認識してしまったからだろう。サキヤノは手の震えを必死に抑えながら手の中の刃物を見つめた。


 鞘の抜かれた短剣はとても重く感じた。

 腰に下げた一回り大きな短剣よりも、今自分が持っている物の方が、ずっと重い。


 ——先程までの余裕は何処へ?

 サキヤノは息を呑み、短剣を握り締める。


 悪寒を感じて顔を上げると、カスカータがサキヤノを見据えていた。サキヤノと同じ短剣を顔の前で構えた彼女からは、呼吸音さえ聞こえない。

 空気が張り詰めていた。

 素人のサキヤノでさえ、彼女が殺気を放っているのが分かった。


「切り替えなさい。今、アナタは叛逆軍と対面してるの。武器はお互いに小さな刃物一本。私を制圧出来れば、まぁ上々だワ」


 それだけ言って、カスカータはまた音を消す。


 何故朝っぱらから……こんなはずじゃ、とサキヤノの頭は今の状況を俯瞰ふかんしているようだった。


 「待ってください。俺、戦えないんです」緊張の挙句、サキヤノは逃げた。「こういう武器とか持ったことなくて、今初めて握ったと言うか、その」


 カスカータの目は一瞬丸くなるが、すぐに鋭い目つきに戻った。


「今更ふざけないで」


 言うが早いか、彼女は目に追えない速さでサキヤノの手首を蹴った。短剣が弾かれ、宙を舞う。


「っう!」


 なんて蹴りの強さ。

 手首が折れたような衝撃に、サキヤノは息を漏らす。


「これで武器はなくなったワ」


 カスカータは蹴り上げたサキヤノの手首を掴み、そのまま引き寄せた。重心が移動するのは早く、サキヤノは前のめりに倒れそうになった。

 鳩尾に一発蹴りを入れられ、カスカータに足を絡められる。受け身を取れなかったために、顔面を強打した。

 鼻が、ものすごく痛い。

 しかしカスカータは少しも待ってはくれない。痛がるサキヤノの背中を踏みつけ、跨がり、カスカータは容赦なく首を締め上げた。


「ぐぅっ」


 びくともしない彼女の腕を、サキヤノは引き剥がそうとする。もちろん、無駄な抵抗なのは分かっている。

 身体が反るように、カスカータはサキヤノの上半身を持ち上げていく。背中も首も悲鳴を上げていた。


「——っ」


 ——駄目だ、声が出ない。

 サキヤノがカスカータの腕から手を離したところで、彼女も腕の力を緩めた。再度勢いよく顔面をぶつけ、唸っているところに刃物が降ってきた。


 かつん、と地面に当たるかすれた音。

 俺の耳を裂き、刃物は地面に突き刺さった。


「待って。アナタ弱過ぎない?」


 彼女の下で抵抗出来ないサキヤノを見て、さすがのカスカータも戸惑っているようだった。


「うぇぇ、ずみ……ぇ」


 痛みに我慢して謝ろうとするが、口の中の液体が呼吸を邪魔した。何だこれ、と触ると粘着質な赤い液体がねっとりとついている。


「ひっ。あ……っいぃ」


「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」


 出血していると分かると、気が動転してサキヤノは暴れた。カスカータはそんな彼の上から飛び降り、慌てて上体を起こす。


「……大丈夫、そんなに酷い怪我じゃないワ」


 あくまで冷静に、カスカータはサキヤノの怪我の分析をした。

 だがサキヤノには聞こえない。回る視界、息の吸えない苦しみは今まで以上に耐え難いものだった。手も、鼻も、首も、背中も痛くて熱い。

 彼女の言葉を聞いている暇はない。


「……それにしても、こんな弱さで参加しようとしたなんて頭悪過ぎ」


 怒りを通り越して呆れたカスカータだったが、サキヤノの様子がおかしいことに気付いたのか「ねぇ」と優しく語りかける。


 ——本気で殴らなくても。

 サキヤノがそう思った時には頭が揺れて、目の前が真っ暗になっていた。






*****





「と、まぁこんな感じで試したら、意外とヒツジ抵抗しなくて」


「俺も、もっと抵抗すれば良かったですね、はははは」


「そーねぇ。でも、私がもっと冷静になるべきだったワ」


 サキヤノとカスカータは、お互いに庇いながら事の顛末てんまつを話していた。


「痛っ……あ、別にそんなに酷い怪我じゃないので」


「そ、そーねぇ。今回の作戦に、支障はないと思うワ」


「いや大アリでしょ」


 冷たいディックの声が言い訳を遮る。


 その後、結局サキヤノは程なく目を覚まし、カスカータの応急処置を受けた。手首も鼻も歯も折れていなかったのは、不幸中の幸いだった。

 ディックとモニカ、ゲルトルードが目を覚ましたのはそれからすぐで、誤魔化しようがなかった。


 ——今は言い訳タイムだが、正直にカスカータの無理強いと言いたかった。

 だけど、サキヤノは彼女のかんに触れてしまったから、自業自得とも言える。それでも自分は悪くないと思うけど。


 手首には包帯を、鼻と耳にはガーゼが貼られたが、切れた口の中はまだヒリヒリしている。


「なんでこんな酷いこと……サキ君も断らなかったの?」


「……はは」


 こうして話す間も、痛くて痛くて思い切り「痛い」と叫びたい。


 「でも、分かったことがあるワ」一瞬サキヤノを見た後、正座していたカスカータが姿勢を崩した。「ヒツジは弱いから、戦力にならないわよ」


「いや分かってるから。サキ君には別のこと頼むつもりだったんだけど」


 言い訳失敗、と言わんばかりにカスカータは愕然がくぜんとしていた。

 あんなに完璧に見えたカスカータの空回りが少し面白くて、サキヤノは「あは……」と笑い始めるがモニカの冷めた瞳に睨まれ口を閉じた。


「……はぁ、サキ君。断れなかったのは分かってるけど、君の命に関わるんだよ?一応帝国の騎士団に所属してた人間と戦うなんて……はっきり言って頭イカれてる」


 ディックから冷淡な言葉を浴びせられるたび「俺は断ろうとしたんです」と言いたくなる。彼は出会ってから何度目か分からない溜め息を吐くと、サキヤノの手首を捻り上げた。


「っ、い!?」


 カスカータに蹴られた右手を掴まれ、俺の目に涙が滲んだ。


「ほら、こんだけで痛いんだろ。もっと身体を大事にしないと。君は異界人で、身体は脆いんだから」


 サキヤノの手首を解放し、彼は立ち上がった。


「とりあえず、サキ君はこのまま待機。今までの傾向を見ると、叛逆軍はこの辺りに出没するはずだから、僕の魔法でみんなに透明化ステルスをかけて、奇襲を仕掛ける。僕とモニカは外、ゲルトルードとカスカータは、室内でサキ君を守って」


「それが良いわね」


 「集団に勝つにはこれしかない」ディックはそう言って、俺に呆れ顔を向けた。「サキ君は何もしないでね」


「——はい……」


 痛む手首を押さえ、サキヤノは下を向くことしか出来なかった。本当に、自分は足手まといだ。さすがのゲルトルードも、今のサキヤノには声を掛けない。

 結局、頑張るとか偉そうなことを言って何も出来ないのか。無力な自分に、悲しむだけの自分に、期待外れの自分に、弱い自分に。全ての自分が嫌になる。


 「ヒツジ」カスカータは呟いた。「今から言うのは、独り言だから」


「本当に悪いことをしたワ、私。ごめんなさい」


「え……」


「何聞いてんのよ」


「いえ!すみません!」


 サキヤノの大声で輪を組んでいたモニカ達が振り返る。小さく頭を下げると、彼女達は首を傾げながらも話に戻ってくれた。


「……馬鹿」


「……すみません」


 俺を横目で見遣り、カスカータは続けた。


「私、ヒツジに似た異界人を助けれなかったことがあるの」


「……」


「いーっつも自虐的で、卑屈に笑って『ありがとうございます』って言ってた異界人。彼と会ったのは帝国にいた時なんだけど、結局死んじゃったらしいのよね」


 カスカータの懐古かいこする横顔は物憂ものうげで、瞳には涙の膜が薄らと張っていた。高圧的な彼女にこんなにも思われているなんて、すごい異界人だと素直に尊敬する。


「カスカータさん……あっ」


 意外な彼女に驚きながら、サキヤノは昨日考えた『自分に出来ること』を突然思い出した。


「何?」


 カスカータは不服そうに、サキヤノに刺すような目を向けた。


「すみません、カスカータさん。俺、頑張らないと」


 カスカータの話を聞いてから、モニカ達に「自分の考えたこと」を言うのは、彼女に対して失礼だと思う。だが、ようやく自分が役に立てる時が来たのだと、サキヤノは実感していた。


「モニカさん、ディックさん!」


 やけに明るい声が飛び出たことにサキヤノ自身が仰天した。自分でもどんな感情かを読み取れなくて、引き攣った笑顔で振り返った三人に声を掛ける。


「あの、お願いしたいことが」


 モニカとディックは顔を見合わせ、困ったように笑った。


「なーに、サキ君。まさかとは思うけど、参加したいとか言わないよね?」


「無理しちゃ駄目だよ」


 「あっ、いや」二人の気遣いが身に染みて、決意が揺らぐ。「……聞いて、いただきたいことが」


「どうしたの」


「……叛逆軍が狙ってるのが異界人なら、俺がいた方が確実に……倒せると思いませんか」


 全員が口を半開き、サキヤノが言ったことを飲み込めていないようだった。

 サキヤノも自分が考えたことを、まとめずに単に口にしただけのため「だから?」と言われてしまえば、語彙力のないサキヤノは付け足せない。


「つまりサキ君は、自分から危険に飛び込むって言うの?」


「……そんな囮みたいなこと、なさらない方が良いと思います!」


 今まで黙っていたゲルトルードが声を上げた。自分なんかのことをずっと心配してくれる、とても優しい子だと改めて感謝した。


 しかし、囮という言葉は自分の行動に突き刺さる。

 確かに怖い、確かにやりたくない。


「でも確実性をとるなら、絶対そっちの方が良いです」


 せっかく弱虫が頑張ろうと思ったんだ。逃げてきた自分が、逃げないための決意を固めたんだ。

 ——それに。


「それに俺、死ににくいですから、簡単には……死にません」


 震える声で、サキヤノは人生一の虚勢を張った。



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