親愛なる異世界へ

辰ノ

プロローグ 転生と転移にそう大差はない、と思っていた



 異世界とは興味深く、面白い。

それでいて今まで見た事のないようなものが溢れている。妖精や巨人などを実際に見てみたい。



 桜庭清斗はベットの上でいつものように考える、異世界転生というものを。あれは良い、こんな何もない現実から魔法やら武器やらを使った世界に行けるなんて、まるで夢のようじゃないか——と。ああいう世界だと、平々凡々な俺でも活躍出来るだろうな——と。無論行くなら親孝行を少しでもしてからでと、独りごちる。


 ——平凡、まさにその言葉がピッタリだった。平凡なる高校生、桜庭さくらば清斗きよとは小・中学校は繰り上げ式に卒業し、高校受験に難なく合格。それから普通に部活をして、成績は芳しくなかったが普通に勉強もして。テストの点は悪く、理系以外は全て平均点以下で追試や再試の常連だった。

 なのに高三の冬には、もう私立大学の推薦が決まっていた為、今は勉強をしていない。自分で駄目な奴と分かってはいるが、ゲームや漫画などの娯楽の楽しさに、素直に負けた。


 そういえばと絶えない妄想を中断し、清斗は手元のスマートフォンの電源を入れて、時刻を確認した。


「うわ、もう十時か……」


 布団で何回か寝返りを打った後、よっこらせと起き上がる。

 朝起きたのは八時過ぎだが、特に空腹でもなく、一階に用事もないので服はジャージのままだ。寝具代わりのジャージを脱いで、Tシャツとジーンズを着る。それから、埃っぽいタンスの中からストライプのパーカーを引っ張り出して羽織はおった。


 無論彼はオシャレをしない。センスがないことを自覚しているからだった。



 桜庭清斗の家族は、健康第一である。祖父母は毎朝体操と散歩を欠かさないし、両親と姉はカロリー計算が趣味。かく言う彼も、散歩が趣味の一つである。


 誰も居ない家に鍵を閉め、ポケットに手を入れた。

 もう四月だというのに薄ら寒い。冷気が素肌に直撃し、清斗はパーカーのフードを被った。

 煉瓦れんが造りの住宅街を抜けて音響装置が鳴り響く、舗装ほそうされた道路の横断歩道を突っ切った。幸いにも朝の陽光は暖かで、肌を刺すような風を適度に中和していた。

 家と道路に挟まれた歩道を歩きながら、色鮮やかな花壇を見下ろす。誰が世話をしているのかは知る由もないが、婉然えんぜんと花弁をつけるパンジーからは、大切に世話されている様子が見てとれた。

 しばらく歩き続けて、清斗は神社兼公園のベンチに腰掛けた。この神社は朝の散歩道の折り返し地点で、朝早くても子供が遊んでいるのをよく見掛ける。

 今日も寒気に|晒された日だと言うのに、元気にはしゃぐ子供の姿があった。

 正直、子供は苦手だ。

 何を考えているか分からないし、予測不能な行動を繰り返すのは恐怖の対象でしかない。「しかも先日、六歳の従兄弟いとこが遊びに来て俺の大事な本を折って帰りやがったので、ますます不快感が募ってしまった」。

 清斗は心の中でそれっぽく文を作り、溜め息を吐いた。

 それでも、暇なので目で追ってしまう。男女の子供が鉄棒で遊んでいる姿を、昔の自分と姉に重ねてみる。快活な姉に振り回されていたあの頃が懐かしい、と清斗は目を細めた。


 ポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。十時半。程良い暇つぶしになった。

 来た道を戻ろうと鳥居をくぐり、すたれた神社を後にする。人が居ないのを確認してから口笛を吹き、アスファルトの上を飛び跳ねて散歩を堪能たんのうした。


「……っと」


 清斗はふと何かを見つけた。

 いつもとは違う道を通る事になりそうだ、と彼は歩みを止める。

 雫に濡れたパンジーの花壇かだんを通り過ぎ、通常だと右に曲がる交差点。何気なく左の道を一瞥いちべつしたところ、キラリと何かが光っていた。


 知識、頭脳、発想力、容姿、人間関係、運と、清斗はどれも突出していないが、一つだけ誇れるものがある。

 生まれてこのかた、眼鏡ともコンタクトとも無縁の目。暗闇でゲームをしたり読書をしたりと深夜まで人生を謳歌おうかしているが、そんな環境下でも清斗は視力だけには自信がある。

 清斗は目を細めて、先程の輝きが日光でも鏡の反射でもない事を確認した。

 普段は気にも留めないような変化と外観。光ったのは落とし物という選択肢も頭には浮かんだもの、好奇心に背中を押されて左の角を曲がった。

 空中でチカチカと見え隠れする光。

 恐怖からか期待からか、心臓が高鳴る。燐光りんこうを放った路地裏に早足で差し掛かった時、その光が清斗を包んだ。





*****





「ここ、は?」


 恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がった。

 まさしく、夕暮れの森。その細道に清斗は座り込んでいた。

 大樹が道の境界線まで連なり、天高くそびえ立っている。樹梢じゅしょうから覗く暮天ぼてんには、薄白の鳥が宙を舞っていた。澄んだ空気が、辺りに充満している。

 街中から森に突然変わった景色に、清斗は混乱した。


「なんっだ、コレ……!?」


 狭い小道には、橙色の木漏れびが映えている。戸惑いながら後ろに目を向けると、圧倒的な迫力が飛び込んできて、小難しい思考が一気に吹き飛んだ。

 ——とても神秘的な大木だ。

 触れなくても分かるくらいに波打った樹肌きはだ、地面に張り巡らされた錆色さびいろの根、両手を広げても全く届かない太さ。


「すごっ……」


 無意識に呟いていた清斗は、木のうろを突く。

 しばらく大木に見惚れていた清斗だったが、ハッと我に返って目を擦った。

 まずは現状整理が必要だろう。清斗は容量不足の頭で思考を始める。

 路地裏に差し掛かった途端、目の前が光った。という事は、あの光が原因か。あれはまさか刃物?もしくは超次元現象な何か?

 清斗は特に意味もなく自分の両手を見た。手の平には見慣れた手相がある。死んだわけではないから、憧れた異世界転生ではないのか。


「どうした?」


「ひっ!!!!」


 突然肩に手を置かれ、清斗は大袈裟おおげさに飛び上がった。尻を強く打ち、大木を背にして後退りした。


「すみま——!!」


 ——清斗は息を呑む。

 ゆうに二メートルはありそうな巨漢が、自身の前に立ち塞がっていた。光沢のある鎧が全身を覆っており、燃えるような緋色のマントが巨体の後ろで揺れている。鎧の上には厳つい顔が乗っており、浅黒い肌に勇ましい眉、角ばった頬からは鬼を連想させられた。


「こんなところで珍しい……『異界人』か?」


 見た目に似つかわしい低い声。腹の底に響く重低音に気圧けおされて、清斗は再度息を呑んだ。


「あー、怖がらなくても良い。その反応を見る限り、初めてこっちに来たんだろ?」


 来ないでくれ、とむなしい彼の思いは声にはならず、男性は鎧を擦りながら膝をついた。男性は清斗に目線を合わせるが、それでも彼が見上げる位置に顔がある。

 吊り上がった目がじっと清斗を見つめた。紅の瞳には自分の怯えた顔が鏡のように映っていた。


「その真っ白な髪、ヘンテコな服、ひ弱な身体。どれをとっても『異界人』にしか見えん」


 真っ白な髪?

 清斗は疑問に思って、そっと自分の髪に触れた。手触りや長さは変わっていないように感じたが、額に垂れた前髪が、明らかに白い。

 清斗の身体に雷のような衝撃が走った。

 待ちに待った異世界だと一人はしゃぐが、嬉しさより動揺の気持ちが優っているようで「あの」と清斗は思わず聞き返す。


「い、いかいじんって何ですか?」


 清斗声は、震えていて情けない。


「まあ、詳しい話は後でしてやろう。ここで会ったのも何かの縁だ。着いてこい」


 厳つい顔の男性は、一瞥いちべつだけくれると顎を引いて歩き出した。


「ちょっ、ま、待ってください」


「怖いなら、別に着いて来なくても良い」


 男性は大股でずんずんと進んでいく。話は聞いてもらえそうにない。清斗は着いて行こうと足に力を入れるが、腰が抜けているように立てなかった。


「すみ、すみません!!お願いします!待ってください!」


 なんと情けない。しかし、ここで折れてはせっかくの異世界(仮)について知る事が出来ない。

 そう思い清斗は懇願して大声で男性を呼び止めた。がしゃんと鎧を鳴らした男性は渋々立ち止まって「なんだ」と低音で唸った。


「こ、腰が抜けてしまって……」


 愛想良く見せようと精一杯笑顔を作ったが、男性は舌打ちをする。無言で来た道を戻った男性は、清斗に手を差し出した。

 清斗の口から感謝の言葉が出る前に、思い切り上に持ち上げられる。ふわりと一瞬浮遊感を感じ、清斗の足がもつれた。

 覚束おぼつかない足取りを見た男性は、


「なんだ、立てるじゃねえか。腰が抜けたなんて言いやがって」


 そう言って清斗の頭を小突く。衝撃は軽かったのに「痛っ!」と声を上げてしまったのは、彼との力量差が全く違うからだろう。




 それから清斗には、無言で歩幅を合わせてくれる男性へ感謝の気持ちが沸々と湧き上がってきていた。清斗は小枝を踏み、顔を上げて真っ赤なマントに向けて話を振ろうとした。


「そういやぁ、アンタ」


「はっはい」


 驚いた事に、相手側が声を掛けてくる。男性は前を向いたままだが、バスボイスはしっかりと清斗の耳に伝わった。


「俺は王国騎士のギフトってんだ」


 ギフト、さん。

 清斗は噛み締めるように呟く。


「アンタの名前は?」


 ギフト、は確か英語で贈り物という意味だった気がする。なんて、失礼な考えは即座に振り払って息を吸った。


「桜庭さくらば清斗って名前です。簡単な桜に庭でさくらば、清らかな……えっと科学の科、の左側をとった字を書いて、きよとです」


 ギフトは足を止まると、怪訝けげんそうな顔で振り向いた。彼の眉根を寄せた表情は、初対面の時より怖さが増している。

 つい慣れた自己紹介をしたが、漢字の説明はいらなかったかもしれないと後悔する。


「サクラバキヨト?変な名前だな」


「あっ、清斗で大丈夫です」


 ギフトは角張った顎を撫でた。


「キヨト、か。ふーん、まぁ一応覚えておいてやろう。それよりこっちに来い」


 いつのまにか清斗も足を止めていたらしい。謎のお辞儀をしながら呼ばれるままに近付くと、ギフトは「よっこらせ」と声を上げて清斗の身体を持ち上げた。


「っわあ!?」


 持ち上げられた清斗が見たものは涼風りょうふうなびく赤いマントと、先程まで立っていた地面だった。

 そこで清斗は、ギフトの肩に乗せられたのだと気付く。


「こうすると楽だろう?このまま運んでやる」


 ギフトは豪快に笑うが、清斗からするとこの体勢はキツかった。ここまできて運び方を変えてとは言えなかった為「あっ、ハイ」と軽い返事をする。


「俺の仲間も楽って言ってくれるんだよなぁ」


 確かに漫画やアニメでもよく見る運び方ではあるが、こんなに息苦しいとは思ってもいなかった。


「さて、と。キヨトは高い所平気だろう?」


「あっ、ハイ」


 ハタから見たら、程良く成長した大人が運ばれているのはダサいのでは、と清斗は周りを見渡した。

 だがギフトは気にしていない。ギフトの容姿と優しさは、この行為が恥ずかしいと思っていないに違いない。

 ギフトは一瞬首を伸ばすと、駆け出した。

 マントが顔や上半身に当たり、清斗は風圧で飛ばされそうになる。


「よし、じゃあ行くぞ!!!」


「いっ、行くぞって、ぶっ!?一体どこ……」


 急ブレーキで止んだ風の影響で、清斗はギフトの背中に盛大に鼻をぶつけた。正確には彼の鎧にぶつけた訳で、痛みで鼻をおおった。


「……に?」


 が、すぐにその両手は引き剥がされる事になる。

 ギフトが清斗の背中と膝を強く抑えるや否、ジェットコースターを下る時のとてつもない浮遊感に襲われる。視界には大木が途切れた道と険しい崖が、あってはならない所にあった。

 少し遅れて、清斗は悲鳴を上げた。

 ギフトは自分を抱えて、崖から飛び降りたのだ。


「喋ると舌を噛むぞ!!」


「うっそだろおぉぉぉお!?」


 遠ざかる夕焼けと森。

 ジェットコースターの苦手な清斗は、涙を上空に流した。







 場所も状況も用語も、何もかもが分からない世界で、桜庭清斗の長旅は騎士のギフトとの出会いから始まった。



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