100点とらなきゃいけない彼と
志堂 努
100点とらなきゃいけない彼と
カラオケ店でバイトをしている私。休憩時間は空いている部屋を使うのだけれど、今日は少し気が引けていた。入り口から離れた奥から2番目の部屋。他の部屋は埋まっているため、そこしか空いていない。つまりそこで休憩をとらなければならないのだ。
それの何が嫌かというと、不気味だからだ。スピーカーから流れてくるくぐもったノイズが声に聞こえて気持ち悪い。
機械の調子が悪いのかと思った店長が業者に頼んで見てもらったらしいのだが、全く不良はなかったそうだ。それはつまりそういうことではないのかと、従業員もその部屋にはあまり近付きたがらないし、そこには極力客をいれないようにしている。
しかし休憩はとらなきゃいけないし、その部屋しか空いていないのならそこを使うしかない。先輩は嫌すぎてロッカーで休憩したらしいが、そこはかなり狭いし、休憩時間の特権だからカラオケしたいという気持ちが勝った私は恐る恐るその部屋に向かったのだった。
一応この部屋も電源は入れてある。だから画面にはカラオケの宣伝動画が流れている。最近流行りの音楽や、ミュージシャンのメッセージとともに今日も混じる小さなノイズ。
そういえばじっくりとこのノイズを聞くのは初めてかもしれない。勤め始めたときから先輩にこの話を聞いていた私はここにあまり近寄らなかったし、入ってもすぐに出るようにしていたからだ。
怖いもの見たさというかなんというか、好奇心でそのノイズにしっかりと耳を傾けてみる。男の人のような低い音。たまに変に音が上がったり下がったりするが、なんとなく聞いたことがある気がする。
これは……一昔前に人気だった歌? よく音楽番組で年代別のランキングに入っているものに似ている。ただ……。
「音痴……」
もしも本当にその歌なら、お世辞にも上手いとは言えない歌声だ。そう呟いた時だった。キイィーンとノイズが大きく響いた。あまりの五月蝿さに思わず耳を塞ぐが、それは続く。そして、徐々に言葉として聞き取れるようになっていった。
「ふざけんなよ。人の歌聞いて音痴とか! これでも懸命に練習してるんだよ!」
「……は?」
聞こえる男の人の声に辺りを見渡しても、もちろん誰もいないし、確実にその声はスピーカーから流れている。そんな非現実的なことあり得ないのに、これは現実で。
今まで流れていたノイズが弱まって、ずっと文句ばかり聞かされる。
「お前、人に音痴って言うなら自分は大層上手いんだろうな? 一曲歌ってみろよ」
ついには挑発される始末だ。
「聞いてんのかよ? どうせお前も下手なんだろ? 人のこと偉そうに言ってんじゃねぇよ」
なんだろうか……恐怖よりもその挑発への苛立ちが勝ってきた。
テレビの前に並べられていたリモコンを手にとって自分の得意な歌を選曲する。持ってきていたマイクを片手に立ち上がった。
「よく聞いてなさいよ!」
カラオケが好きでカラオケ店員になった私。休憩時間にはずっと歌ってるし、何より歌が上手いという自信があった。それを証明するために採点機能も忘れずに入れておく。
前奏が流れ始めると、大人しく聞いてくれるのか男の声が止んだ。
曲が終わり、採点が流れる。その点数は98点。100点をバンッと出せれば格好よかったかもしれないが、そう上手くはいかないらしい。でも、上手さは伝わっただろうか。
ノイズの音も男の声も聞こえない。
首を傾げていると、男の声と甲高い耳障りな音が部屋中に響き渡った。
「すげぇじゃん! 上手いな、お前!」
「……ありがとう」
素直な褒め言葉になんだか気恥ずかしくなって、人差し指で頬を掻きながら返事を返す。……気付けば、普通に幽霊と会話してしまっている。
それでも不思議ともう恐怖心はなかった。
「なあ、俺に教えてくれよ」
「え?」
「俺、100点とりたいんだ!」
その日から始まった幽霊とのカラオケ特訓。彼の歌はやっぱり一昔前の曲で間違いなかったらしく、私は音楽サイトから楽曲をダウンロードして聞き込んだ。何故、幽霊の為にここまでしているのか分からなかったけど、嫌ともめんどくさいとも感じなかった。
彼に全てを歌わせて採点してみると──まず、採点できることに驚いたが──46点というなんとも言えない点数だった。
「だから、ちゃんと音程通りに歌わないと点数下がっちゃうんだってば」
「歌ってる!」
「……こんなん無理でしょ」
「諦めんなよ!」
「あんたが言うな!」
私のシフトが入るときの1時間のみの特訓。しかも私自体、人に教えるのは始めてのこと。そうそう上手くはいかなかった。
どうしたら上手く教えられるだろうか。そう考えていたら、少し遠くから先輩が怪訝そうにこちらを見ていた。
あれから毎度、例の部屋で休憩するようになった私は他の人から奇人扱いだ。一部では呪われたんじゃないかとさえ噂されているらしい。もしかしたら、そうかもしれないが。
じゃなきゃ、幽霊とカラオケの特訓しているなんておかしいだけだ。
それでもやめようだなんて思わなかった。
「そこもう少し上げて」
彼の歌声は低めで、高い音を苦手としているようだった。それなのにこの歌はサビで高音が続く。だからどうしてもサビに入ると不安定で、言ってしまえば聞くに耐えなかった。まあ、最初に比べればちゃんとこの曲なんだなと分かるようになったので、そこは進歩だろう。とは言え、100点にはほど遠い。
「……やっぱ、俺には無理なんかなぁ」
「諦めんなよ! じゃなかったの?」
「そうだな……でも、こんな高さ出ないって……あっ!」
彼が大きな声をあげる。
キイィーンと響く。
「お前がサビ歌ってよ」
「えっ? それってありなの?」
「ありあり」
名案だと言わんばかりに音程の外れた鼻唄が流れる。確かに彼が完璧に歌えるようになるのと、私がそうなるのだと明らかに私の方が可能性はある。それに本人がいいと言っているならいいのだろう。
ならいっそ最後のワンフレーズだけを完璧にさせて、それまで私が歌った方が早いんじゃないだろうか。
「じゃあ、サビ以外も私が歌う。あんたは最後のワンフレーズだけを完璧にしてよ」
「分かった!」
自分で提案しておきながら、それでもいいんだとは思ったが、とにかく100点をとれたらいいらしい。それならとにかく私も特訓だ。休憩の残り時間を確認して5回連続でその曲を予約した。
家でもその曲を口ずさんで練習。休憩時間もそれを練習。もう夢にまで流れてくるようになっていたある日、私は彼に聞いてみた。
──どうしてそこまでこだわるのか、と。
そうすれば彼は少し黙ってから、「笑うなよ」と前置きをしてから言った。
「俺の好きな子がさ、この曲好きだったんだよ。で、これで100点とったら付き合ってくれるって言ったから」
相当単純だった。もっと何かドラマチックなものを期待していた私はカクッと肩をずらした。ちょっと残念というか……なんとなく面白くなかった。
姿は見えないのにその声色から、照れ臭そうに頭を掻く様子が想像できた。
「さて、採点入れて歌おう」
むしゃくしゃする気持ちを誤魔化すように曲を入れて歌う。
もう何週間も練習していれば、ほとんどの音程バーを外さずに歌うことができるようになっていた。あとはこれを確実にして、最後彼がばっちりと合わせてくれたら完璧だ。
採点は92点まで迫っていた。
この期間、ずっとその曲だけを歌い、聞き続けた。きっとそれぞれ優に100回は超えている。
──それは確かに呪いだった。
気が付けば、あの日から1ヶ月が経とうとしていた。何度も惜しい点数を出し続けた。1人で歌えば3回中1回は100点をとれる。それほどまで私は上達していた。それなのに最後だけ彼に歌わせたときには未だ100点をとれていない。
「ん~……何が駄目なんだ? やっぱり、俺か?」
ワンフレーズだけ練習し続ける彼は初日に比べ格段に上手くなった──そこだけではあるが──。10回歌えば1回はそのバーにぴったりと合わせられるようにまで。
それなのに、だ。1度くらい奇跡が起きてもいいと思うが、それがなかなか起きない。
なんとなく理由は分かっている。
──私だ。
最近思うことがある。これで100点がとれた時、彼はどうなってしまうのか。幽霊の彼は満足して成仏してしまうのだろうか。もしそうだとしたら……寂しいと思ってしまう私がいる。
おかしな話でしかないのだけれど、きっと私はこの幽霊を好きになってしまったのだ。だから無意識のうちに音程を外しているのかもしれない。こんなの無意味だというのに。
「なあ、もう1回俺の聞いて! 駄目だったら教えてくれ」
そう言って、そのワンフレーズを口ずさむ彼。その声はやっぱりちゃんと上手くて、今採点していたらちゃんとバーに合っていたんだろうなと思う。
「上手いと思う……うん、上手くなった」
「だろ! ……なあ、歌って楽しいな」
妙に静かな声色で、でも確かに嬉しそうに彼が話す。
「俺さ、分かってるよ。自分がもう死んでることも、100点とっても無意味ってことも」
“無意味”という言葉にドキリと心臓が跳ねた。ぎゅっとそれを鷲掴みされたかのように胸が苦しくて、涙が出そうになる。
「でも、ここから離れられなくて、どうしようもなくて……ここの人に怯えられて、迷惑かけてるから早く逝かないとって思っても、無理だった。だから、とりあえず歌ってた。ここってそういうとこだし」
「いや、怖がられてたの、そのせいだから」
大きく息をはきながら伝えれば、笑い声がスピーカーから流れる。
「でも、そのお陰でお前に会えたじゃん。俺はよかったと思ってる。一緒に歌ってたらさ、お前がいいやつなんだなぁって伝わってくるし……たったワンフレーズだけだけど、思いを伝えるのには充分だなって」
またワンフレーズが奏でられる。この歌は恋愛曲。だから、最後のそれは相手に愛を伝える素直な言葉だった。
きっと例の彼女を思っているのだろうけど、それがなんだが自分に向けられているみたいでドキドキした。どうせ無意味な恋なんだから少しくらい、自分に都合よく解釈したってバチは当たらないはず。
「……ねえ、採点しよっか」
今なら歌える気がする。
予約を送信すればすぐに前奏が流れる。
マイクに口を近づけて、何度も何度も練習した歌を乗せていく。画面の上部に流れる採点のバーはキラキラと輝きながら、正解の色を重ねていく。
きっとこれを歌うのは最後。
なんとなく、そう思った。
最後の最後に彼の歌声が部屋に広がる。
今までで1番いい出来だった。
採点画面に移り、それらしい効果音とともに映し出される点数はもちろん──100点だった。
「やったー!」
「よっし!」
ハイタッチすることも出来ないのについ両手を掲げて喜んだ。彼の嬉しそうな声も聞こえる。
かなりの達成感と少しの残念感。
スマホで画面を撮っていると、少しずつノイズが小さくなっていくのが分かった。ああ、逝けるようになったんだなぁって。
「なあ、本当にありがとな。さっきも言ったけど、最期にお前に会えてよかったよ」
返事をしようとして、とっさに声が出なかった。何を言えばいいのか分からない。何か……と口をひらく。
「ねえ、名前は?」
今更ながらの質問をすれば微かに、カラオケの音に紛れて一言聞こえた。知らない音楽の前奏が流れる。歌手の名前を見て、私は笑った。
「だから、年代古いって」
もう彼の声は返ってこない。
流れる歌詞を読んで、私は泣いた。
それは感謝を綴った曲だった。
あれから、スピーカーから流れてくるくぐもったノイズがなくなったあの部屋は普通に使われるようになった。恐怖していた従業員も解決してしまえば、ほとんどが何事もなかったかのようだ。
私も休憩時間に使ったりしている。
まるで本当に何もなかったのかもしれないけど、彼との成果はしっかりと私のスマホに残っている。
そして、あれが最後だと思っていたあの曲は私がカラオケ店員をやめるまで、毎月呪いのように採点ランキングの上位に刻まれることになった。もちろん──100点で。
そして、彼の名前で。
100点とらなきゃいけない彼と 志堂 努 @ojyotoru
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