赤き戦乙女の過去
マノンは腕を振るい、ささやかな祝勝会を開いた。
バイト先の宿屋にエステルを招き、鍋を振る舞う。具材は白菜や鶏団子だ。
エステルが帰ってくるまでに、仕込んでおいた。
宿主が趣向のためと作った囲炉裏のスペースを皆で囲み、鍋をつつく。
「美味しいわね。薬味のユズも利いてて最高」
エステルが、子どものように鍋の具を頬張る。
ユズは、かつて宿の主人が宿の庭に植えたモノだ。苗は行商人から買った。
土も気候も違うから、まさか実るとは思っていなかったらしいが。
「ありがとう、マノン大好きよ」
「作ったのはエミールだけど」
マノンはエミールに作り方を教えただけだ。
やったのは、鍋を用意したのと、野菜を切ったくらいである。
鍋パーティには、珍客もいた。
「生き返るの」
小鉢をお風呂代わりにして、ピエレットはユズ湯に浸かっている。
といっても、ユズの皮を湯船に浮かべたものだが。
湯浴みをしながら、ピエレットはユズの香りを楽しむ。
精霊であるピエレットは、殺生した食材を摂取できない。
そのため、生の野菜・キノコだけ食べていた。
身体をお湯につけているが、小鉢の中身は汚れない。
むしろ、精霊が入っている方が浄化されている。
「ウスターシュとジャレスが会議中だから、アチシは二人の代わりなの」
「ありがとうございます。エステルのために来てくださって」
「何もあなた方を労うために来たのではないの。エステル、あなたのママ様のお話をしに参ったの」
ピエレットが、マノンに話を振る。
「あたしのママのためって、どういう意味ですか?」
「あのバカゴブリンは照れ屋なの。エステルに何も話していないご様子だったの。このままだと、一生真相を知らせないまま、墓場まで持っていく気なの。それくらいバカなの。あのゴブリンは」
担任と赤き戦乙女との間に何があったのか、マノンも知りたかった。
真相が分かれば、担任とエステルとの間にある誤解が解けるかも。
「お願いします、副担任。何があったのかを教えてください」
「別にいいわよ、マノン。情けない母親の真相なんて、聞きたくないわ」
お椀を置いて、エステルは沈んだ顔になった。
鍋の煮える音だけが、宿に響き渡る。
「あなたのママ様が、『赤き戦乙女』と呼ばれていたのはご存じなのね?」
エステルの母親の別名である。
今から二〇年前か。父ウスターシュの反対を押し切って、若き戦乙女は冒険者となった。
魔族討伐へと旅立ったのである。
女性でありながら、魔王になりかけていたグレーターデーモンを一体倒したことがあるそうだ。
魔族の貴族階級が起こした事件である。それを解決した一団に、エステルが自慢する母親がいた。
「二〇年前、彼女はかろうじてデーモンを討伐したの。で無理がたたって倒れた。そこを、砂礫公に拾われたの」
「担任が? 砂礫公ジャレス・ヘイウッドが、お母様を?」
学園長から母親の名前が出て、エステルが身を乗り出す。
砂礫公は、ドゥエスダンというパン屋の青年に、赤き戦乙女を預けた。
「でも、お母様は砂礫公に敗れたと」
「他の冒険者にはそう見えたの。実際、デーモンは死んでなかったの。トドメを刺したのは砂礫公だったの。日頃から赤き戦乙女の活躍を妬んでいた冒険者たちは、彼女を『ゴブリンに負けた上級職の女』と批難したの」
「ひどいっ!」
エステルの怒りが腹の中で煮えたぎっているのが、マノンにも分かる。
だが、それは担任に向けられたものではない。
「戦乙女も反論したの。けれど、話を沈静化できず、赤き戦乙女も諦めたの。自分がデーモンロードを倒せなかったのは事実だったからなの。自分を信じてくれたのは、パン屋の青年ドゥエスダンだけだったの。彼と共に、ここアメーヌへと帰ってきたの。そこで子どもをもうけ、あなたが生まれたの」
今まで辛く当たっていた母親に対して、エステルは申し訳ないという顔になっている。
「あたしはママの言葉ではなくて、ギルドの言葉を信じていたのね」
「きっと、エステルのママさんにとって、担任は自分を辱めた仇じゃない。乗り越えるべき壁なんだと思う」
だから、エステルの母親は黙っていたのだろう。
真実は自分で確かめろ、と。ただ陰口に耐えながら。
娘さえ理解してくれたらいいと考えて。
「でも、結局アチシが教えるまで、エステルは分からなかったの。ジャレスはバカなの」
教えなかったのも、エステルに本気を出して欲しかったからかも知れない。
「そう考えたら、あたしをどうしてここまで鍛えたか、納得できるわね」
「うん。頑張る目的ができたね」
これでエステルも、担任に対する態度が改まればいいのだが。
「ちなみに、赤き戦乙女を罵った冒険者連中は、すべて謎のゴブリン団体によって廃業に追い込まれたらしいの」
その後、莫大な借金を背負わされ、強制労働の目に遭っているという。
「ひょっとして、担任が」
「お母様のことで、責任を感じて?」
エステルとマノンが、ピエレットに顔を向ける。
「当事者ではないといえ、事の発端はジャレスの軽率な行動にあったの。魔物であるという立場を忘れ、人間の冒険者を差し置いて魔族を討伐したの。それにより、あらぬ噂が立ってしまったの。多少なりとも、責任を感じていたとは思うの。バカなりに考えたの」
「そこまで気が利くかしら?」
「ご想像にお任せするの」と、ピエレットは、口元をわずかに上げた。
マノンは心から安堵する。
「よかった。担任はひどい人じゃなかった」
「そ、そうね」
少し照れの入った様子で、エステルもコクコクと頷いた。
鍋を食べ終え、デザートのフルーツとコーヒーを楽しむ。囲炉裏の火も消した。
「もう一つ。実は、報告があるの。マノン・ナナオウギ。あなたに、王国の近衛騎士団への入団しないかというお誘いがあるの」
「わたしが、騎士団に?」
「近衛騎士だから、実質秘書、側近なの。此度、魔族を退けたという功績で、あなたに感謝状と、わずかばかりの報奨金が手渡されるの。ついては、騎士団に入らないかと提案があるの」
「すごいわマノン! あたしよりずっとすごい功績よ!」
意外な報告に、エステルが抱きついてくる。
「あと、これを渡してくれとジャレスが言ってきたの」
ピエレットが指を鳴らすと、何もない空間から装飾品が。
ピンク色の髪留めだ。フワフワと宙に浮いた髪留めが、マノンの髪に止まる。
「ジャレスが、モニクさんに作ってもらったの。近衛騎士昇格のお祝いと、先日のお詫びらしいの。本人はにぶちんなので、未だにあなたが何で怒っているのか分からなかったみたいなの」
胸を躍らせながら、マノンは髪留めを前髪につけてみた。
担任のセンスにしては、愛くるしすぎるような気がするが、モニクの手製なら納得だ。
「すごいわマノン。近衛騎士団なんて、大出世じゃない!」
「ありがとう、エステル。でも、わたしはまだ冒険者になる夢を捨てきれない」
マノンが言うと、ピエレットが口を挟んできた。
「ご心配なく、もうじきこの学園はなくなるの」
マノンは思わず、お椀を取り落しそうになる。
「え?」
「だから、アメーヌ冒険者学校は、なくなるの。一部経営陣による不正が発覚したの」
聞けば、冒険者ギルドや冒険者学校に回す金を、経営陣が使い込んでいたらしい。
お金が横流しされていたのだ。
「どういうことよ?」
エステルが、ピエレットに掴みかからんばかりの怖い声を出す。
「それじゃあ担任は、ただの調査をするために、アメーヌに来たっていうこと!?」
「そうなの。ただし砂礫公としてではなく、冒険者ジャレス・ヘイウッドとしてなのだけど」
マノンはショックが隠せない。あれだけ鍛えてくれた担任が、嘘をついていたなんて。
「わたし、ちょっと担任に尋ねてくる」
いてもたってもいられず、マノンは宿を飛び出した。
「待ちなさいよマノン。マノン!」
エステルもピエレットもついて来る。
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