更生の記録を後世に伝えよう

すどう零

第1話 ボタンのかけ違い

 いくら、極悪非道の大悪人と呼ばれる人でも、生まれながらの犯罪者などいやしない。たとえ親が、有名アウトローや犯罪者であってもそれは同じである。

 最初はまわりと合わない、いやお互い合わせようとしても合わなかったというボタンのかけ違いから様々なトラブルが起こり、犯罪へと発展していくのだろう。


 ある区役所の前で「なくそう非行守ろう犯罪、非行からの立ち直り、犯罪者からの更生」と明記された、黄色ののぼりが風に左右に舞っている。

 保護司や非行に走った子供を持った親が、今日も八十人くらい集まるらしい。

 ゲストは 警視総監、生活安全課課長となんとこの俺である。

 これは、前代未聞の出来事だろう。なんと前科数犯で元アウトローの俺がゲストだなんて。

 ここに集まる人ー真剣に悩みを抱えている人も、好奇心混じりの人も含めーは、一人残らず驚きよりも、不思議な奇蹟があるものだと仰天しているに違いない。


 俺、藤木 竜夫といいます。

 現在はもう十分におっさんの域に達している。

 今から俺の半生記、いや反省記といった方がいいかもしれない

 それを正直に記してみたいと思う。


 俺いや僕は今、キリスト教の牧師である。牧師というと、なんだか堅苦しい優等生を連想させるが、一概にそうとは限らない。

 ただ、神の前では、アウトロー親分に仕える如く、一分のスキも逆らうことなく、仕えねばならない。


 俺はいわゆる母子家庭で生まれた。

 両親は、俺が生まれるとすぐ離婚したんだ。

 しかし、俺は活発で運動神経もよく、徒競走はいつも一番だった。


 小学校に入学したが、勉強には興味がなく、体育の時間だけが楽しみだった。

 小学校六年のとき、体育の授業でサッカーのとき、お兄さんのように慕っていた担任から言われた言葉が今でも忘れられない。

「おい藤木、お前はサッカー界の悪役ヒールになれ。悪役ヒールとしてお前を利用することに決めた」

 ヒールとはひどすぎるよ。これではまだ捨て駒の方が幾分救われる。

 俺は担任から足が速いことを生かし、相手の邪魔をする役目を命じられた。

 初めはなぜ俺がという、疑問がわいたが、すぐ真意にたどり着いた。

 要するに俺は、成績も良いとはいえず、ケンカっ早い問題児一歩寸前のワルガキだったからだ。

 担任にとっては、メリットのない生徒だったのだろう。

 そのワルガキの生きる道が、ヒールだと思ったに違いない。


 しかし、俺はこの一件ですっかり傷つき、悪のレッテルースティグマーを貼られた気がした。

 後になって気づいたが、俺の存在は親の間でも問題になっていたらしい。

 担任は、俺がケガをさせた生徒の親から苦情を言われ、かなり悩んだらしい。このことは、俺に内緒にしていたが、それが担任にできる出来る限りの思いやりであり、なんとか俺を傷つけまいと神経をすり減らしていたのである。

 しかし、その当時の俺はそんなことはつゆ知らず、ただヒール役を命じた担任に、敵意ともいえる憎しみを感じていた。


 俺の母親はいつも夕方六時四十三分になると、まるでよろいをかぶるような厚化粧をして仕事にいく。

 なぜ、四十三分などという中途半端な時間を選んだかというと、やはり俺と一分でも一緒にいたいという親心だった。

 俺は、母親ーおかんと呼ぶことにするーが家を出る前、きまって背中にじんましんのような腫瘍が広がっていくのだった。

 やはり夜通し、ひとりぼっちの留守番はさびしいというサインだったのだろう。

 たぶん、おかんは後ろ髪をひかれる思いで、ドアの鍵を閉めたに違いない。

 おかんは、いや誰を差し置いておかんだけは、俺がどんな姿になろうと、生まれたときからずっと変わらない愛を注ぎ続けてくれていた。


 中学校に入学してからは、俺はお定まりのパターン。

 煙草を吸い、長ランの先輩が当時流行っていた映画「ビーバップハイスクール」(仲村トオル、中山美穂主演)みたいでカッコいいと憧れたのだ。

 先輩の率いる不良グループに入ったというよりは、誰もが一目置く、リーダー格になっていた。

 ケンカも強く、勉強には興味はなかったが、記憶力がよかった俺は、バイク窃盗などを繰り返した。その当時のバイクは、今と違って盗みやすかったんだ。

 当然、教師からはにらまれ、問題児扱いされ、おかんは何回も職員室に呼び出され、説教されたらしい。

 しかし、おかんは自分の商売ースナック経営が忙しく、ただあたふたと「すみません」を繰り返し、頭を下げるだけだった。


 当時、俺の住んでいる地区は、都市ドーナツ化現象といって、いわゆる水商売や風俗店が軒を連ねることで有名な地区だった。

 離婚した女性や母子家庭が、水商売が目的で、夜通し子供を自宅に残して出勤していた。

 母親に対する子供の役目は、昼間に化粧品を購入することと、出勤時に、背中のドレスのファスナーを上げることだった。

 もちろん、俺も例外ではなかった。


 おかんは、俺を頭ごなしに叱りつけることはなかった。

 得意の料理を生かして俺のために、いつもおいしい料理をつくってくれてから、仕事に行っていた。

 ヘビースモーカーで、ときどき酔っぱらって帰ってくるおかんに、生きるって大変だなと痛感した。そして、どうせ生きるなら、汗水たらして働くよりも、楽して金儲けをする方法はないものかと考えあぐねていた。


 中学三年にもなると、さすがに進路状況を考える。

 もう不良なんていってられない。おかんがスナックの客に頼んで、私立高校を受験することになった。

 内心、俺は不安だったが、なんとか受かることができたときは、内心ほっとした。

 担任も、このときばかりは、安堵した様子だった。

 しかし、一度身についたヤンキー癖は、そう簡単に治るものではない。

 卒業式には、不良仲間とガラスを割り、毎年恒例の(?)パトカーが学校にやってくる始末だった。


 

 

 



 


 

 

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