【四点】急転直下の悪魔

 ――それは本当に、唐突に訪れた。

 零時を超えた午前一時。田舎独特の静けさの中で俊樹も布団の上で寝ていた。

 明日もまた学校がある。だからこそ早めに寝たのであるが、やはり晩飯を一人で食べた違和感故かその眠りは浅い。

 人は普段とは違う事を気にするものだ。それを予感と呼んだり、あるいは先にも述べたように違和感として常に頭の片隅に置いてしまう。

 だから、扉を叩く音に意識を引っ張られた。

 それが無意識であったとして、彼は眠りの世界から引き戻されたのだ。

 浮かび上がる意識。覚醒に伴って開かれる目。再度玄関扉を叩く音が聞こえた時、彼は完全に意識を現実に戻した。

 携帯端末の電源を入れて見れば、時刻は深夜も深夜。父が帰って来たのであれば扉を叩くのではなく、鍵を使って既に中に入っているだろう。


「……なんだ?」


 こんな時間に訪問販売が来る筈もない。かといってこんな深夜に何の連絡も無しに誰かが訪れるのも不自然だ。

 考えられるのは、招かれざる客。酔っ払いか強盗の二択。

 そこに行き着いた時、焦燥が巡った。目が自然と見開かれ、背筋には冷たいものも感じている。

 音を立てず、彼は立ちあがった。近くに武器になりそうな物を調べるが、暗い室内で武器と呼べる物を探すのは難しい。

 幸い、家の中は目を瞑ってでも歩ける。音に意識を向けながら、そっと彼は階段を降りていった。

 玄関扉を叩く音は不規則だ。一回叩いてから数秒後に叩いたり、連続で二回三回と叩いたりもしている。

 

 階段を降りた段階で、そういえばと国際治安維持組織であるヴァーテックスの民間部門に携帯で信号だけを送る。

 特定の電話番号を用いることで、理由も無しに助けを呼ぶ信号を送ることが出来る。時折悪戯の電話を受けることもあるが、その場合は訴訟を起こして直ぐに罰金を徴収するので然程大きな問題になっていない。

 緊急性の高い通報。あるいは、声の出せない状況での通報。

 二つの状況下でこれは重宝され、信号を送った携帯端末の下へ最小でも二名の人間が駆けつけてくれる。此処は地方なので、到着までは暫く時間が掛かるだろう。


 その間に出来ることをする。

 表情が険しくなっていくのを自覚しつつ、遂に足は玄関前にまで到着した。

 扉が擦りガラスであれば相手の姿を確認出来たのだが、俊樹の家は焦げ茶の扉だ。分厚いそれでは音は通り難く、姿を見るにはドアスコープを覗くしかない。

 知らぬ間に掻いた背中の汗に気持ち悪さを感じつつ、そっと彼はドアスコープを見た。

 位置的に音の発生源は覗いた先に居る。これでもしも何も見えなければ、相手が去ったか別からの侵入を企てていると考えることが可能だ。

 

「――――って、親父かよ」


 結局、ドアスコープの先に居たのは父親だった。

 顔を赤らめた様子は酔っているようで、顔を閉ざして掌で幾度も叩いている。こんな風に酔っている姿を見るのは珍しいが、しかし無かったという訳でもない。

 一気に身体の力が抜ける。なんだよそれと若干の苛立ちも混ざり、彼は鍵を開けて玄関を押した。

 その先に居た父は、バランスを崩しながらも開く扉を回避したのだろう。酷く間の抜けた笑顔を浮かべていて、そのまま彼に抱き着いて倒れた。

 

「おーい、お父さんだぞー」


「ちょっ、巻き込むなよッ。 はな、離せ!」


 床に一緒に倒れた俊樹は文句を口にしながら何とか離れようと藻掻く。

 しかし父はまだ正気に戻っていないようで、彼の服を掴んだまま離さない。そのままゆっくりと自身の顔面を俊樹の顔へと近付かせ――


「ちょっと静かにしてくれ、俊樹」


「……親父?」


 ――間の抜けない、怖ろしく鋭い声が俊樹の間近で響いた。

 それは彼の父が真剣になっている時のもの。これを彼が最後に聞いたのは、自身の進路を口にした時だ。

 酔っているとはとても思えない声に俊樹は不思議な顔をしていると、顔を彼の胸で隠した父は次の言葉を放っていく。


「暫く酔った親を引き剥がすフリをしてくれ。 そしてそのまま、何も返事をせずに言葉だけ聞け」

 

「……離せよッ、親父」


 父親の冷静な声に、俊樹の胸に不安が湧く。

 親の指示通りに力を入れたフリをして引き剥がす仕草をしていると、そのまま頼むと父は尚も力強く俊樹の肩や腰を掴む。

 動かせないようにするその姿は、やはりまだ酔っ払いらしさを保っている。


「もうじきこの家に厄介な奴等が来る。 理由はお前を捕まえる為だ。 そんで捕まったら、死んだ方がマシな目に合うことになる」


 父からの情報は衝撃的だった。一瞬疑問の声を上げようとして、口を無理矢理に噛み締めてそれを抑え込んだ。

 何の理由も無しに父は演技をしろとは言わない。質の悪いドッキリもした覚えはないし、特にこれだけ真剣である以上は事態は最悪と言って良いのだろう。

 父の言葉で浮かぶワードの中で印象が強いのは厄介な奴等。集団での表現をしたのであれば、これから来るのは一人ではない。

 それらから逃げる。もしくは撃退する。そうすることでしか落ち着いて父と話をすることが出来ない。

 

「俺の演技はきっと直ぐにバレる。 だから奴等に気付かれる前に、お前は先に逃げてくれ」


「ばっか! 服が破けるだろ!!」


 父の言葉は俊樹には無視出来ないものだった。

 反射的に出て来てしまった言葉を何とか誤魔化すも、その言葉の真意は父の耳には届いているだろう。

 何がなんだか解らない状況で、唯一全てを知っているであろう父を放置する道理は無い。親子としても、俊樹は父を見捨てる真似は許せない。

 納得など出来ぬものか。相手が何をしてくるのかは定かではないが、少なくとも人道的手法に出ないことは父の言葉で察することは出来る。

 母が死んで、父も死ぬ。それを認められる程、桜・俊樹という男は大人ではなかった。

 

「……全部の情報はコイツに残してある。 どっかで読んでくれ」


 だが俊樹の心からの言葉を、父は意識して無視した。

 少なくとも自分の子は親を蔑ろにするような性格になっていない。それが解れば後は十分だと、身勝手にも思いながら。

 藻掻いている最中に父はジーンズのポケットから一枚のメモリーカードを取り出す。

 それを寝間着状態の彼の腰ポケットに入れ、最後に短く頼むと告げる。

 

「母さんの、……れいの真実もそこにある。 どうかせめて、お前だけでも生きてくれ」


「親父!」


 まるで遺言だった。死に逝く親が子に残す、在り来たりでありながらも情に溢れた終わりの台詞。

 いきなりなのに、なんでそんな言葉を急に口にするんだよ。

 そう言いたいのに口は動かない。けれどどうしてか、嫌な予感が急激に危機を伝えてくる。

 遠くから何かが聞こえた。

 それはどんどん近付いているようで、火の吹く音を耳が捉える。

 父に向けていた目を開いたままの玄関に向けた。田舎特有の自然豊かな大地の上に、赤い光が四つ見える。

 それを俊樹は知っていた。見たくなくとも見えてしまう、悪夢の象徴を。


『――目標を発見した。 監視の内容通りだな』


 ホバー移動で現れたのは、鈍色の装甲が目立つ三mの巨人。

 全身を機械で包まれたその物体は、内側から若い男の声を発している。他の三機は何も言葉を発さず、ただ無言で二人を見つめていた。

 アサルト・ロボッツ。

 母を殺した悪夢そのもの。本来は大会練習や本番、よっぽどの事件が起きない限りヴァーテックスから出動しない機体がその全身を月下に晒している。

 異常事態だった。意味不明だった。一体全体何が起きているのかと、俊樹の頭はパンクも寸前だった。

 

「なん、だと?」


 それでも、解ることはある。

 驚愕に支配されても、疑問が口から出ても、自分は絶対にアサルト・ロボッツと呼ばれる悪魔からは逃れられないのだと。

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