第6話
「これから永遠に二人きりですよ」
月が浮かぶ窓辺を背に、グラーヴェ団長は腕を組んでこちらに視線を投げかける。
「結婚しましたからね」
私はその隣で、頷く。
新居の探検もそこそこに、彼の作る料理を食べた私は、彼の家庭菜園計画を聞いたり、この地区に関する情報を聞いていた。車でだいぶ寝たせいでどこに到着したかも分かっていなかったけど、海の近い農村地らしい。
会社の発展を築き上げた経営者などが癒しや余生を終えるために暮らし、安らかに死んでいくそうだ。
「明日はご近所さんに挨拶ですか?」
「ええ。一応、最初だけは、こちら側から挨拶をしたという事実が必要ですからね」
グラーヴェ団長はおいおいご近所さんを殺す気なのだろうか。
明日殺そうとしていたら止めればいいかとぼんやりしていれば、彼はカレンダーを指してこちらに振り返る。今日は月のはじめ、そして月の最後には、怨敵が死んだかのようなおぞましいぐるぐるの印があった。
「結婚式は、約一か月後です」
「あのぐるぐる、誰か殺しに行く日じゃなかったんですね」
「はい。君の花嫁姿は私だけのものであるべきですが、君の両親の手前もある。なにより祝いです。ただ準備はすでに終わっています。君は当日私に化粧をされ、着替えさせられ、抱えられているだけでいいんです」
「何から何までありがとうございます」
「ただひとつお願いが」
団長のお願い? いったいなんだろう。今まで狂った命令しか聞いてこなかったけど、結婚式に関することなら平和的だろう。
「結婚式のとき、君の花嫁衣装を見る人間を殺さないよう、前後三日くらいは君と私を手錠でつなぎたいのですが」
そうでもなかったかもしれない。
「まぁ、いいですよ」
私が返事をすると、彼はぱっと顔を明るくした。
「本当に?」
「はい。私寝相悪いですけどそれでもいいなら」
「知ってますよ。遠征で君の隣で寝ることが多くありましたが、何度毛布をかけたかわからない」
「ごめんなさい……」
それは本当に、申し訳ない。蹴ったかもしれない。絶対蹴ってる。小さい頃から、姉兄弟妹父母から親戚のおじさんおばさんまで、私は寝ている間、まわりの人間を平等に蹴っていたのだから。
「そういえば、今夜一緒に寝ますか?」
私は大きく伸びをしながら、グラーヴェ団長に問いかけた。
「君がいいのならな」
「蹴ったらごめんなさい」
「一晩中抱きしめているから、蹴れないでしょう」
今のはかっこいい。彼へ顔を向けると、まっすぐ私を見つめている。思い切ってキスをしてみると、彼は目を見開き、崩れ落ちた。
そして顔を真っ赤にし、涙目で抗議をしてきた。
「きっ君は手慣れてる! さっきの破廉恥発言から思っていたが手慣れてませんか? ち、地下に閉じこもってもらいますよ、鎖とかつけて」
「手慣れてないですよ。すみません、なんか自分でも、こう、ちょっと衝動的になってしまうというか。新しい表情が見たくなって悪さしてしまうだけです」
「その言葉、信じますよ」
「はい! 私の目を見てください」
信じてもらおうと顔を近づけると、「見られるわけないでしょう!」と、彼は顔を手で覆った。
「君のせいで、私はどんどん愚かになります……」
そうして私の顔を見ないように抵抗しているのか、そのまま俯いた。肩のあたりを指でつつくと、魚みたいに肩がはねた。それから微動だにしない。だんだん申し訳ない気持ちになって、私は膝を抱える彼に近づき、頭を下げる。
「勝手にごめんなさい。もうあの、嫌がることはしませんので、許してください」
「嫌とは言ってません」
あまりにもすぐ返事が返ってきて、私は「え?」と、戸惑いゆえに聞き返してしまう。すると、彼は顔を上げぬままぶつぶつと話を始めた。
「恥ずかしいしか言ってませんけど。べ、べつに嫌がってないですし」
ぶすっと、ふて腐れるような声に、どう声をかけていいか分からなくなる。
「ぐ、グラーヴェ団長?」
「そもそも、車の中で、そういうのは事故ではしたくないと言いましたけど、事故で、は、と、言いましたけど」
「えっと、事故でなければ大丈夫という……?」
「私はずっと、同意を提示してますけど」
「え、なら、どうして顔を上げないんですか……」
たぶんグラーヴェ団長は、別にさっきのは許してると言いたいのかもしれない。でもその割に、全然顔を上げてくれない。ただ、隠れてない耳は真っ赤になってるから、なにか感情は現れているのだろうけど。
「分かりませんか……?」
いつもより高圧さが薄れた、震え声の問いかけだ。
「はい」
「もうキスしないと君が言って、私が顔をあげたら君が無理やり私にキスしてくるのを大いに期待していたんですけど」
ぼそっといじけるような声に、昔の記憶がよみがえる。
「もう戦になんて行きたくない!」と我儘を言う隊員を、「今ここにで留まれば死にますよ。我儘ばかり言うんじゃない」と引きずっていた彼はどこへ行った……? 死んだ……?
しかし彼自身も自覚もしているらしく、「私はどんどん我儘になる」と、弱弱しく声を震わせる。
「君じゃなかったら、私はそもそもキスなんてされない……! なんで、なんで分かってくれない……!」
しかし、憤りも滲ませてきた。我儘すぎる。
「も、もうキスはしないので……顔を上げてください」
「それは本気で? どっちの意味で?」
戦時ではどんな状況でも、たとえ味方にスパイがいても自分を貫いていた彼が、疑心暗鬼に陥っている。
「あんまり信じてほしくないキスしないほうです。衝動的なので」
「ふむ」
彼はずる……ずる……とゆっくり顔を上げる。そして、私の様子を窺ってきた。かと思えば、「何かしたいと思ったのは私が初めてというのは本当ですか?」と、念押ししてくる。
「そうですよ、全部」
彼はその言葉に、すすすすす……と立ち上がり、じっと見下ろしてきた。
「じゃあ、あれですか、私が好きだから、衝動的になってしまうと?」
「はい」
「ふん。けだものめ」
彼は勝ち誇りながら、口角を上げる。彼が元気になってよかったけど、終戦からあまりに彼の印象が目まぐるしく変わるから、複雑な気持ちだ。時計を見ると、そろそろ夜も深まってきていた。
「じゃあ、お風呂でも入りますか」
声をかけると、グラーヴェ団長はぴくりと耳を動かした。
「それは一緒に?」
「まぁ、せっかくですし」
返事をすると、「まぁ、構いませんよ?」と、彼はいつもの神経質そうな表情に戻った。
グラーヴェ団長の恥ずかしがる基準と、いかがわしいの部類分けが本当にわからない。
私は首をかしげながら、彼とともにお風呂へ向かっていったのだった。
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