第4話

 グラーヴェ団長は、あまり物を選ばない。


 私たち騎士団員は大体同じ寮で暮らしていて、家族よりもずっと長く一緒にいた。だからお互いの癖や挙動はよく知っている。


 あの人は、食事は寮でとるけど、メインが選べたとしても「在庫が余りそうなもので」と、寮母思いなんだか思考を放棄したのか分からない選び方をしていた。支給される筆記具だって、「団長どっちがいいですか?」と聞いても、「残ったもので」と、書類から目を離すことはなかった。


 「好きな色とか物はないんですか?」と聞いたこともあったけど、長い沈黙の末に「物はないですね」と首を横に振られ、何も選ばないのは優しさ故という幻想は打ち砕かれた。


 そんなグラーヴェ団長との出来事を急に思い出した私は、彼の屋敷で挨拶を済ませ新しい家へ向かう途中、これから住まう新居がとてつもなく恐ろしくなった。


 今まで家具にも屋敷にも興味がなかった人なのだ。私の顔だけをはりつけた部屋を「良い」と言う。人間の顔を張り付けるにも、人探し風とか、一枚一枚張った後にメモ書きをして、重要参考人風とか、復讐鬼風とかいくらでもやりようがあるのに、彼はただ拡大して貼り付けていた。常識もセンスもない。


 お手洗いが無かったとか、ドアがぶつかり合う家をオーダーして、大工も「彼がそう言うなら……」と、欠陥設計を放置していたらどうしよう。


 本当に台所はついているだろうか?


 階段ばっかりある部屋があったらどうしよう。


「グラーヴェ団長、新しい家って台所あります?」

「ありますよ。なければ料理ができないでしょう?」

「お手洗いは」

「ありますよ。無くてどうするんですか」


 馬車の中で手をつなぎ、新しい家の内部を確認していく。彼は指を絡めることをを覚えたらしく、私の手をぎゅっぎゅしていた。ちょっと離そうとすると、思い切り握られて面白い。


 それにしても、台所とお手洗いがあるなら安心だ。もう他には何も望まない。階段だらけの部屋だって、武器庫があったっていい。安心していると、彼は「寄りかかりなさい」と、ぼそりとつぶやく。


「別に足とか腕とか撃たれてないですけど」


「常々、普通の時に寄りかかってほしいと思っていました。嫌じゃないならしなさい」


「分かりました」


 私は彼の肩に寄りかかる。そしてぼんやりと、過去に想いを馳せたのだった。


◇◇◇


「グラーヴェ団長」


「黙りなさい」


 方々が燃える山岳の中、銃声が行きかう戦場で、団長ははねつけるように私を見下ろす。彼は銃を持って周囲を警戒しながらも、私を背負っていた。


「もう私死ぬので、置いていってください」


「やめなさい。まだ戦えるでしょう」


 誰もが勝てると言った戦だった。


 グラーヴェ団長は「警戒を怠るな」と警戒していて、私も警戒を怠ると彼から威嚇されるため、気を引き締めていたつもりだった。


 しかし、わが騎士団が圧倒的に有利と思われた戦は、共同戦線を組んだ友好国の裏切りにより、戦況は一変した。


 部隊どころか我が騎士団自体が壊滅的で、支援もなければ武器の補充もない。我が国の最高戦力であるグラーヴェ団長を殺すわけにはいかないと、私が殿(しんがり)を務めていたのに、なぜか最も命の優先順位の高いはずの彼は、最も危険な私の隣にいた。


 味方が倒れ、生死も分からない生き地獄の中、私は胸と足に矢を受け、腕だって皮一枚繋がっている程度だ。胸だって心臓をぎりぎり外したものの、即死を免れただけにすぎない。


「もう、私は長くありません。置いて行ってください」


「甘ったれないでください。自分より弱い部下ばかり庇うからそうなるんですよ、反省しなさい」


「弱いじゃありません。彼らは若い。可能性があります。その可能性を信じたまでです」


「その結果がこれですか。抱えてあげますから、しっかり歩きなさい」


「もう、無理です。団長は撤退してください」


「うるさい。君の意見などどうでもいい。命令を下すのは私です。君は生きて、明日休み、明後日から敵を倒す任務があります」


 彼は、私をずるずる引きずっていく。後ろから聞こえる敵の部隊の声が、どんどん大きくなってくる。


「団長」


「なんです」


「さよならですよ」


 私は隠していた煙幕を放ってから、自分を抱えていた彼の背中を思い切り蹴り飛ばした。


 敵国の声がする方向へ、駆けていく。敵の隊の紋章が見えて、口角が上がった。無駄死になんて、まっぴらごめんだ。


 そして私は、敵陣へ飛び出したのだった。


◇◇◇


「起きなさい」


 声をかけられ、咄嗟に手元の銃へと手を伸ばそうとして──もう戦は終わったのだと安心した。手が震えていた私に、グラーヴェ団長は眉間にしわをよせた。


「どんな夢を見ていたんですか。うなされてましたよ」


「団長が化け物みたいな速度で私の首を掴み、医療班へ飛んだ時のことです」


「あの時……」


 彼はしばらく考え込んだ後、まるで戦時のような冷やかな目を向けてきた。


「私は君さえ生きてくれればと思っていたのに、部下を何度も庇って怒りを覚えた時のことですね。そして、君にだけは生きることを諦めてほしくなかったのに、敵を道連れにしに走って、どうしてやろうかと思っていた時です。思い出したら怒りが再燃しました」


「どうしてやるつもりだったんですか」


「前を走っていた味方を斬り、言うことを聞かないならまた一人ずつ殺していく、君が言うことを聞かなければ、生き残っている奴も死にますと脅迫するつもりでした。しかしその前に君が煙幕を放った」


「怖い。夜眠れなくなりそう」


「安心なさい。今日から一緒に寝るんです。たっぷりと子守唄を歌ってあげますよ」


「鎮魂歌になってしまうような……というか、団長の生活の中に、歌の概念があるんですね……」


 長い間戦場にいたし、彼が物騒な思考を素で持っていたことも分かっていたけど、中々に恐ろしい。


 変な性癖をお持ちだったらどうしよう。私の写真を部屋に飾っている時点で、感性は死んでいると確定しているのに。これからについて思案していると、グラーヴェ団長はきょろきょろ辺りを確認した。


「着きましたね」


 送迎の馬車が止まる前に、彼は立ち上がろうとする。「戦じゃないんですよ」と止めてようとすれば、身体の大きい彼が動いたからか、車体が揺れた。


「おっと危ない」


 私は全体重をかけて彼を支えようとした。かなりの体格差があるから、ただ支えるだけだと押し倒されてしまう。しかしそれがいけなかったのか、彼の顔が眼前に近づいた。


 思えば、結婚したというのに手を繋いだくらいしかしていない。


 今口づけをするのかと思考停止すれば、彼は顔を真っ赤にして下がり、思い切り私から離れた。


「っ!」


「口づけしないんですか。劇みたいなタイミングでしたけど」


 尋ねると、グラーヴェ団長は口をぱくぱくさせた。


「そ、そういうのは、事故でしたくない……ちゃんとしたいっ………」


「乙女ですね」


 呟くと、彼はばつが悪そうに頬を赤らめ、きゅっとこちらを睨んだ。なんだか、遊び人に弄ばれた少女みたいな顔をしている。


 その様子を眺めて、胸のあたりが詰まり、ふつふつと煮えるような感覚が広がっていく。


 さっき口づけをしていたら、彼はどうなっていたんだろう。


 彼とは苦楽を共にしてきたし、狂っているとは思うけど、夫婦として暮らしていくことに嫌悪や気持ち悪さはなかった。


 最も落ち着くであろう我が家という場所が、訓練場に変わるかもしれない恐怖だけだ。


 でも、今の私の気持ちは、少し違っている。自分によって彼の反応が変わっていく姿を、もっと見てみたいと思っているような……。


「団長より、私のほうが、特殊な性癖を持っていたのでは……」


「なんです?」


「いや、何でもないです」


 まずい。彼が頭がおかしすぎるから、自分が普通だと思い込んでいただけで、私も彼によって常人から外れた存在になってしまっていたのかもしれない。私はもうこれ以上自身の性癖が歪まぬよう、祈りながら馬車を降りたのだった。

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