第3話
結婚のあれこれが一日で終わるはずがない。
しかし、それは今日突然屋敷に来ていればということが前提としてある。どうやらグラーヴェ団長は、私に内密の状態で、戦いが終われば告白するから、もしそこで私が承諾すれば、結婚させてほしいと一年も前に私の両親へ伝えていたらしい。
その後、爆速で婚姻に関する書類を提出され、即座に受理され夫婦となった。
家名に思い入れがあったわけではないし、確かに彼へ気持ちはあれど、準備万端過ぎて引いた。
かといって、私はこの結婚生活が円満に続くと思ってはいないのだ。
私の両親は結婚を認めていたけど、問題は彼の両親である。
私は騎士団に志願し、婚姻する機会を自分から捨てた。平和を夢見て、戦いの世界に身を投じたのだ。この黒い髪だって酷く短いし、母譲りのアイスブルーの瞳から記憶したのは、教養ではなく血と鉛や、争いの炎だ。
彼の家が、大切な息子が戦を終わらせ帰ってきたとき、荒んだ彼の心を救うため、止まり木になれるような妻を用意しているほうが、しっくりくる。
さらに彼は、半ば強行突破の形で婚姻届けを提出していた。ということは、何かそうしなければいけない理由があると私は確信していた。でも──、
「息子がごめんなさい……」
私が顔を見せるなり、水でもかけられるかもしれない。私の予想に反して、広間で私を迎えた彼のご両親は、申し訳なさそうにするばかりだ。
「こちらこそ、突然お伺いしてしまい、申し訳ございません」
「いいの。私、貴方が猿ぐつわもされず、袋に入ることなく自分から歩いてきたことに、本当に、心から安心しているから……元気そうで何よりよ……本当に……そのまま元気でいて……」
グラーヴェ団長は、そんな強行をするということを自分の両親にちらつかせていた?
おそるおそる彼に目をむけると、今まさに自分のことを話されているにも関わらず、他人事のような顔をしていたのだった。
◇◇
突然のご挨拶も終わり、私はグラーヴェ団長に「見せたいものがある」と誘われ、彼の部屋へと向かうこととなった。終始顔色の悪かったご両親と別れ、彼はすぐに私の右手に自分の指を差し込むと、ぎゅっと握る。
「手が繋ぎたかったんですか?」
「ええ。昨日手を握って、ふわふわでしたから。君の手は常時握っていたい。人の心を安静にする作用があります」
「ふわふわ」
私の手は訓練や戦の痕で、ふわふわには思えない。
しかし彼がそう言うのなら、そうなんだろう。挨拶を一日に短縮したり、婚姻の受理をさせるなど、この人は正気ではない。
何だかいたずら心が芽生えてきて、ぎゅっと握ってみたり、指の間に自分の指をいれて絡ませてみたり、思い切り離してみる。
「離さないでください。ちゃんと握りなさい」
命令口調のわりに、言ってることが子供みたいだ。
「こうですか」
「一番具合がいいですね。離れない感じがする」
それなら、ちゃんと彼の命令に従おう。リズムをつけてみたりして、彼が口元をおさえたり、照れたりするのがあまりに面白くて繰り返していると、「つきました」と、木造りの扉の前に到着した。
彼は今まで、部下を自分の屋敷に招待している気配がなかったから、どこかへ潜入するわけでもないのに緊張する。
「失礼します」
おそるおそる部屋へ入ると、中はなんてことない部屋だった。
ダブルベッドに、机に、それらを挟むように椅子が二つ可愛らしく並んでいる。本棚に、雑貨棚。ワインボトルなんかも飾られていて、普通の部屋だった。
「君と住んでいる想定の部屋です」
聞きなれない言語に脳が処理できず、思考を停止させたまま、私は聞き返した。
「え?」
「君と住んでいる想像をして、過ごす部屋です」
私はしばらく二人掛けのソファを見つめ、その横の扉へ目を向けた。入ってきた扉とは別のもので、用途が分からない。
「この部屋出口二つあるんですか?」
「あれは別室ですよ」
今いる部屋が妄想の部屋だとすると、もうひとつはグラーヴェ団長のただの書斎、つまり正気の部屋ということになる。そこが普段彼が暮らしている場所ということだ。
「好きに見て構いません」
「わかりました」
軽い気持ちでドアノブに手を回し、入ってすぐに足を止めた。その瞬間、後ろから手をぎゅっと握られ、顔がひきつる。
彼は後ろ手で扉を閉めたらしく、やけに大きく扉の閉まる音が聞こえた。さらにと、鍵の閉まった音も続く。
「ここは私の使う部屋です」
彼の部屋の壁には、壁の左右に拡大した私の顔写真がはられていた。
隠し撮りではなく、部隊で一年に一度撮影する集合写真の、私だけを切り取ったものが。壁一面に一枚を拡大で張り付けているから、だいぶ怖い。
さらに床には、手錠や鎖、枷が並んでいる。一応痛い痛くないを調べていてくれたのか、壁には使用感の一覧表があって、痛い枷と痛くない枷を確認した形跡が見られた。
「これは、言う通りにしないとこうしてやるからな、みたいな意味合いで私に見せてますか」
「本当は見せる気はなかったんです。私の愛が伝わってない気がしましたから。これほど好きだということを分かってもらいたくて」
なるほど。確かに私は、グラーヴェ団長が私をどれくらい好きか分かっていなかった。これは分かりやすい。分かりやすく、彼がどうかしていることも理解できた。
「この枷の用途は」
「君は戦で他人を庇おうとする。だからここから出られないようにしようと購入しました」
「そんなことありましたっけ」
「矢から12回、銃から2回、剣3回、爆破7回、うち致命傷9回、約40名を君は庇った。すべて記憶していますよ、君がどんな風にどんな人間を庇ったのかも含めて」
狂気を存分に流し込んだような瞳に、私は頭を下げた。
それはもう、ご両親があんな状態になるわけだ。私も今、麻袋とかに詰め込まれずに済んで良かったと思うし、ご両親どころか他の人間と会えるのは、二、三年後だろうなと覚悟する。申し訳ない。
「ごめんなさい」
「いいえ? もう二度と間違いを犯さなければいいだけです。それにしても、私の部屋に君がいるなんて不思議ですね。いい部屋がもっといい部屋になりました」
彼は自画自賛しながら淡々とあたりを見渡している。ほかには、執務机と、椅子しかない。あとはまるで聖夜を祝うような贈り物の群れが四隅にひしめきあっていた。
すると、グラーヴェ団長は私の手を引いて、包装されたボックスを指す。
「今まで渡せなかった君へのプレゼントです。ドレスもありますよ」
「あ……ありがとうございます」
プレゼントを貰えることももちろん嬉しいけど、さっきから気になっていた箱の中身が分かってよかった。よかった、生首じゃなくて。団長が国を守る以外の理由で人を殺さずに済んで。
「君だけにドレスを贈るのは不平等ですが、部下全員にドレスを贈るわけにもいきませんでしたから」
「確かに、着る人もいるでしょうけど、同じくらい着ない人もいますからね」
そう答えると、グラーヴェ団長は「好きです」と私の頬に触れてくる。彼の情緒がさっぱり分からない。
そして、彼は私を見つめているのかもしれないけど、私は彼だけじゃなく、部屋に並べられた私にも見られている気がする。
「……屋敷に帰ったときは、この部屋で寝ているんですか」
「ええ。君の視線を感じながら」
彼はこてんと首を、隣に立つ私の頭にのせてきた。それ、酒場の踊り子が金づるを見つけたときにするやつ。
でも、彼は愛情表現でしているのだろうと、私もおそるおそるその広い肩に自分の頭を乗せてみた。
普通こういうのは、花畑とか、湖とか、景色のいいところで行うことなのだろう。でも私たちを取り囲んでいるのは、拡大された私の顔写真が二枚。
「もう戦わなくていい。君に愛を捧げることだけに集中出来るなんて、夢のようです。怠惰に暮らしたい」
グラーヴェ団長と、怠惰。対極にいて、お互い磁石のように反発しあう存在ではないのだろうか。
団長の怠惰っていったい何だろう。甘いお菓子を食べる、とか……? 寝坊する、とか……?
「たとえば?」
「君を膝の上に乗せて、私の右手は君に菓子を食べさせ、左手は本のページをめるくことだけに動かす」
「水分補給と、レコードの曲の入れ替えは任せてください」
そう言って、ふと気づいた。彼は今日新しい家で住むなどと言い出したけど、荷物はどうするんだろう。
「引っ越しってどうなってますか」
「ああ。結婚に承諾頂いたので、貴女の荷物は今まさに私たちの新しい家へと運ばれています」
「ありがとうございます。私の憂鬱が完全解消です」
隊の待機場所を移動することはままあったけれど、好きなことではなかった。自分の顔に囲まれて少しげんなりしてたけど、元気出てきた。
「私がほとんど決めてますが、君はそれでよろしいのですか?」
グラーヴェ団長が、思い出したかのように問いかけてくる。
「はい。嫌なものは嫌と言えるのが取り柄なので」
「それは心強い」
彼はまどろんでいるのか、眠たげな声色だ。頭の上で寝られたら困るななんて思いつつ、私はしばらく頭を貸してあげたのだった。
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