第276話 ふわふわパンケーキ(1)

 夕食後、シュヴァルツ様は大抵居間でくつろいでいます。

 お気に入りの長椅子に寝そべって穏やかな時を過ごすご主人様にデザートを届けるのが私の日課。


「失礼します」


 居間に入ると私は暖炉用のグリルスタンドを立て、小振りのスキレットと直火用ティーポットを置いた。

 冬は寒くて苦手だけど、暖炉という火力が増えるのは良いところ。今日はもう厨房の火を落としてしまったので、暖炉の点いている部屋で調理だ。

 今日のメニューはふわふわパンケーキ。メレンゲを潰さないように混ぜた生地をスキレットに流し込み、蓋をして遠火でじっくり。甘い匂いが部屋中に溢れる中、ひっくり返してまたじっくり。その間、先に沸いたお湯で紅茶を淹れる。


「どうぞ」


「ありがとう」


 身体を起こしたシュヴァルツ様は熱い紅茶に口をつけると、ほっと息を吐く。


「今日もベルナティア卿は来ていたのか?」


 水を向けられ、私は「はい」と答える。

 近衛騎士団総長は最近毎日朝からガスターギュ家に訪れ、夕刻前に帰っていく。敢えてシュヴァルツ様と会わない時間を選んで来ているのは、婚約者のある身で独身男性宅に入り浸っていると思われない為の用心らしいです。……まあ、事実入り浸っているのですが。


「作業は順調なのか?」


「はい、大分形になってきましたよ。アレックスはベルナティア様に懐いていて、今度剣術を教えてもらうってはしゃいでます。それに、ゼラルドさんはファインバーグ家御用達の茶葉専門店を紹介されて、山程茶葉を買い込んでて……」


 くすくすと思い出し笑いする私をじっと見つめるシュヴァルツ様。その視線に気づいて私は慌てて表情を引き締めた。


「す、すみません。こんな話をして」


 頭を下げる私に、彼は不思議そうに首を傾げる。


「何故謝る?」


「だって、シュヴァルツ様が外でお仕事をしている時に、私ばかり楽しんでしまって」


 恐縮する私に、将軍は益々不思議顔だ。


「俺が仕事をしている時にミシェルが楽しむことの何が悪い? ベルナティア卿の手伝いだってミシェルの仕事だろう? 仕事を楽しく感じるのはいけないことか? 俺は俺がいない場所でもミシェルが楽しく過ごしている方が嬉しいぞ」


「……っ」


 ぎゅっと心臓を掴まれたように苦しくなって、私は俯いてしまう。楽しい気持ちに後ろめたさを感じてしまうのは、『他人が幸せだと自分が損した気分になる』という考えの家族に囲まれて生きてきたから。


「シュヴァルツ様は、今日は何かありましたか?」


「普段通り退屈だった」


 背凭れに身をうずめ、ティーカップを傾ける彼。

 ……シュヴァルツ様は、自分が楽しい時もそうでない時も、私の幸せを喜んでくれる。

 だから私も、いつもシュヴァルツ様には幸せでいて欲しいなって思う。

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