第133話 山へ(6)

「そういえばさ」


 アレックスは栗を選別する手を緩めず口も動かす。


「この山には熊よりも怖い伝説のイノシシが棲んでるって噂なんだよ」


「伝説のイノシシ?」


 聞き返す私に、彼女はいたずらっぽく白い歯を見せる。


「熊よりも大きくて獰猛で、三本の角と二本の牙が生えてて、毛皮が鋼のように硬いんだって。その名も三角鎧大牙猪ミツヅノヨロイオオキバイノシシ!」


「全部乗せな名称ですな」


 得意げに発表するアレックスに、身も蓋もない批評をするゼラルドさん。

 ……個人的な意見としては、普通のイノシシも熊と同列で怖いのですが。


「イノシシって、角生えるの?」


 首を傾げる私を、


「まっさかぁ! ただの伝説だってば。もし本当に居るなら見てみたいよ!」


 アレックスはケラケラ笑い飛ばすが、


「その前フリは危険だよ、アレックスちゃん」


 じとりと目を据わらせたトーマス様に嗜める。


「古今東西どの物語でもお芝居でも、怪物の話をすれば御本人登場はお約束だよ。ましてやここは人里離れた山の中。……ほら、今も自分の噂を聞きつけて、音もなく忍び寄って来ているかもしれない」


 わざと低くおどろおどろしい声を出す補佐官に、庭師少女はごくりと唾を飲む。


「な、なんだよ。そんな脅しにビビらねーぞ、ミシェルじゃあるまいし!」


 酷いです。


「脅しなんかじゃないよ。ほら……」


 トーマス様はすいっと目を糸のように細めて――


「そこに!!」


 ――ビシッとアレックスの背後を指差した。

 すると、タイミングよく低木の茂みから黒い影が飛び出した!


「うわあああぁぁ!!」


 盛大な悲鳴を上げて私に抱きつくアレックス。私も驚きのあまり動けない。……が、


「……あれ?」


 すぐに気づいて脱力する。茂みから出てきたのは、まだ冬毛に変わりきっていない野ウサギだった。


「へ? うさ、ぎ?」


 呆然とする少女に、大人気ない青年がお腹を抱えて笑っている。アレックスはみるみる真っ赤になって、火ばさみを掲げてトーマス様に突進した。

うぎー! とか、ぴきー! とか謎の奇声を発して火ばさみを振り回す少女を、青年は笑いながらのらりくらりと躱していく。


「あの……シュヴァルツ様?」


 止めた方がいいのかな? と伺うと、


「放っておけ」


 興味なさげな答えが返ってきました。

 ……まあ、実害がなさそうだから、いいっか。

 二人の追いかけっこを尻目に、私は栗拾いを再開する。


「シュヴァルツ様は、居ると思いますか? ミツヅノヨロイオオキバイノシシ」


 試しに訊いてみると、彼は「さあな」と息をつく。


「俺は見た物しか信じない。ただ、噂や伝説には、真実もあれば警告の意味が籠められていることもある。立ち入られたくない場所に『怪物が出る』と噂を流して人を遠ざけるとかな」


「注意喚起や情報操作ですな」


 傍らのゼラルドさんも同意する。


 ……では、このイノシシの伝説は何かの暗喩なの……?


 急に吹き抜けた木枯らしに、私はぶるりと身を震わせた。

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