第64話 海へ(道中)
馬車の右側面が朝日に照らされていく。
早朝の街道は人気がなく、馬の蹄と轍の音しか聴こえない。
四人掛けの客車は一人では寂しくて、私は御者台に声をかけた。
「シュヴァルツ様、私もそちらに行っていいですか?」
御者台は二人掛け。隣に座ろうと思ったのだけど、
「後ろに居ろ。前にばかり重心がかかると後輪が浮く」
「……はぁい」
普通なら浮かないと思いますが、シュヴァルツ様は規格外。事故になったら大惨事なので、大人しく指示に従います。
彼は手綱をゆるく持って、ゆっくり馬を進めていく。
「二頭立ての馬車を借りたんですね」
王都では乗り合い馬車も自家用馬車も一頭立てが主流だ。何気ない私の感想に、将軍は振り返りもせず、
「俺はデカいからな。一頭に運んでもらうのは気が引ける」
馬にもお優しいのですね。
「シュヴァルツ様は、前線でも馬に乗ってらしたのですよね?」
「ああ。砦で一番大きな馬だった。鞍も特注でな。見た目の割におおらかな性格で、俺とは相性が良かった」
懐かしそうに語るシュヴァルツ様。似たもの同士だったんですね。
「その馬は、今は王都の厩舎に?」
「いや、近くの村の農夫に譲った。戦場では苦労をかけたからな。農耕馬としてゆったり余生を送ってもらいたい」
「そうですか……」
本当に色々なものを置いて、身一つで王都に来たんだ。
「あ、そうだ。朝ご飯にしませんか? サンドイッチ作ってきたんです。どこかに停めて……」
「このまま食える」
空いている左手を差し出されて、私はバスケットを開く。
「具はなんだ?」
「ゆで卵とマヨネーズを混ぜたサラダと、
「完璧だな!」
卵教徒がご満悦です。
片手で手綱を操作しながら、片手でサンドイッチを頬張る。
「この道はいいな」
風に黒い前髪を泳がせながら、シュヴァルツ様がしみじみと呟く。
「広くてしっかり舗装されていて、あまり揺れがない。辺境で馬車に乗ったまま物を食った日には、舌を噛んで大惨事だ」
……そんなに悪路なのですか。
「ここは同じ国と思えないほど平和なのだな」
淡々とした声に、胸の奥が苦しくなる。
「……王都はこの三十年ほど、戦禍にさらされていません」
私が生まれる以前から、この辺りは平和だった。
「それは、シュヴァルツ様や歴代の王国軍の方々が国境を護ってきてくださったからです。私達王国民は、皆様にとても感謝しています」
私の言葉に、彼はふっと息をつき、
「そう言ってもらえると、死んだ者達も報われる」
……生きている方々も、報われて欲しいです。
「む、眩し……」
なだらかな丘を上りきった瞬間、彼は馬車を停めた。
拓けた視界の下に広がるのは、玩具みたいなカラフルな屋根の港街。そしてその奥には……朝日にキラキラ輝く光の絨毯のような海!
「あれが……」
シュヴァルツ様は震える声を飲み込むと、馬に合図を出して馬車を速めた。
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