45.恋の色

 もう夜も更ける時間だというのに、王城は非常に賑わっている。

 明かりも煌々と焚かれ、朗らかな笑い声が夜気に紛れて聞こえてくるほどだった。


「賑やかだな」

「ええ、有難い事です」


 わたしの部屋のソファーに腰を下ろしたリアム様は、白ワインで満たされたグラスを揺らしながら笑っている。

 皆はまだ戴冠を祝ってくれているのだ。時折聞こえてくる「女王陛下万歳」が涙声になっているのはグラナティスの民のものだろうか。


「改めておめでとう、シェリル」

「ありがとうございます。まさか精霊様もおいでになって下さるとは思いませんでした」

「祝福をしているようだったな。グラナティスの未来も明るいだろう」

「皆が憂いなく暮らせる国を作っていかなくてはなりませんね」

「そうだな。……明日、グラナティスに駐屯する軍の代表者が挨拶に来るのは知っているな?」

「はい、存じております」


 グラナティスに永続的に駐屯してくれる軍があるらしい。グラナティスの者ではない者が軍事を担う事になるからと、グラナティスを裏切らないという誓約紋を入れているとレイチェル様が仰っていた。

 そこまで……とも思うけれど、お互いに信頼を築く為のものだよと言われては、否とは言えない。グラナティスの感情を慮っての事だと思うと有難くさえある。


「正式な挨拶は明日になるが、駐屯する軍は紫龍軍だ。ゆくゆくは籍もグラナティスに移していきたいと思っているが、そこは女王陛下の采配次第になるか」

「……え?」


 いまリアム様は『紫龍軍』と仰っただろうか。

 紫龍軍はリアム様が率いる軍で……籍を移すとも口になさった?


「えぇと……紫龍軍とは、リアム様の軍では?」

「そうだ」


 ぐいとワインを呷ったリアム様は、なんてこともないような口ぶりで頷いて、テーブルへとグラスを置いた。


「……リアム様がグラナティスに居て下さるのですか?」

「女王陛下が許して下さるのなら」

「そんな、言い方……狡いです。でも紫龍軍は皇国にとっても重要な軍では……」

「うち以外にも強い軍は居るから心配はいらない。同盟国を守る事も重要だと陛下も考えておられる」


 嬉しい気持ちがあるのに、戸惑いが強くて考えが上手く纏まらない。

 動揺しているわたしの肩を抱いたリアム様は、逆手でわたしの手を握る。


「農家を営む夫婦がいるんだが、グラナティスの事を知って移住したいと言っている。農地があるなら任せてみないか」

「え、っと……そうですね、農地はあるのですが土壌を整えるところからになってしまうかと。農作業をしてくれる人も少ないので、来て頂けるなら……」

「良かった。それから皇城で文官として働いている者と、地方で役人をしている者もグラナティスで働きたいと──」

「待って下さい。それってもしかして……リアム様のご家族では?」

「そうだ」


 ちょっと待って。考えが追い付かない。

 わたしはゆっくりと深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうとした。そんなわたしを見て、リアム様は可笑しそうに笑うばかりだ。


「俺も家族もグラナティスに移住する。イルゼとグレンも引っ越すそうだから、城でこのまま働かせてやってくれるか。まぁ細かい雇用契約はもう少し落ち着いてからになるだろうが」

「あの、リアム様。……わたしはリアム様や皆さんがグラナティスに来て下さるのはとても嬉しいです。ですが、それはリアム様に我慢を強いる事にはならないのでしょうか。皇国を離れる事でリアム様が……」

「別に皇国を捨てるわけじゃない。移住したとしても故郷は皇国だ。陛下への忠誠も変わらん。ただ、その忠誠心がグラナティスの女王にも向けられる、それだけだ」


 リアム様の声色は変わらない。

 無理をしている様子もなく、苦悶もない。ただいつもと同じように穏やかに、思いを口にして下さっていると伝わってくる。

 リアム様がそこまで言って下さっているのに、それをわたしが否定するのもおかしな話になってしまうだろう。


「……ありがとうございます、リアム様」

「馬鹿だな、礼を言われる事じゃない。それと……お前に確認をしておきたい事があるんだが」

「何でしょう」


 リアム様の肩に頭を寄せながら、どうかしたのかと問いかけた。見上げた先では長い睫毛が、何かを迷うように震えている。

 珍しいその様子にわたしが目を瞬いていると、意を決したようにリアム様が口を開いた。


「……俺は鬼人だ」

「そうですね」

「王家の血に、鬼人の血を入れるのはまずいのだろうか」

「……血」


 たぶん、かなり遠回りな言い方をしている。そう思ったわたしは、リアム様の言わんとしている事を考えて、考えて考えて……顔に一気に血が上った。


「え、と……いえ、あの……問題があるわけではないかと……」

「それならよかった。お前は女王で、次代の女王となる娘を産む必要があるだろう。血を繋いでいく事が王家では求められるし、この国に宝石を実らせる事を思えば、お前も子どもを産まなければならんからな」

「リアム様……」

「なんだ」

「……照れていますか」


 いつもよりもリアム様の言葉が早口なのは、気のせいではないと思う。見上げた先の金瞳が不機嫌そうに眇められたけれど、それもきっと照れ隠しだ。そう気付いたわたしは何だか嬉しくなって、笑みを零してしまった。


「何が可笑しい」


 不機嫌そうな声色で、リアム様が両腕をわたしに回してきついくらいに抱き締めてくる。まだ笑いが止まらないわたしは、両手を広い背中に縋らせて抱き着いた。


「嬉しいのです」

「……これでも悩んでいたんだ。俺は、お前以外を娶るつもりはない。だが王家に鬼人の血を入れるわけにいかないのなら、お前は別の男を迎えて番うだろう? それを見守るだけの度量なんて無いが、お前の側を離れたくもない。お前の隣に別の男が居るのを考えただけで吐き気がした」

「他の方なんて考えていませんでした。でも、そうですね……わたしは血を繋いでいかなければなりません。だからリアム様がそう言って下さって、本当に嬉しいのです。……好きな人と一緒になれるなんて」

「……お前が受け入れてくれて良かったよ」

「わたしは国を建て直す事で精いっぱいでしたが、リアム様はその先の未来も考えて下さっていたのですね」

「ここで終わり、というわけではないからな」


 わたしを抱き締める腕が少し緩む。リアム様の唇が額に触れて、擽ったさに身を捩った。


「リアム様はわたしの願いをまた叶えて下さるのですね」


 心が、想いが重なっても、未来が重なる事はないと思っていた。

 皇国を離れて、わたしの傍にいてほしいだなんて、恋に溺れたわたしの我儘だって分かっていたから。

 わたしは女王で、民を守り導く使命があって……いつかは子を成さなくてはならなくて。そこにリアム様はいないと、未来を考える事から逃げていたのに。


 リアム様はそういうものを全て飛び越えてきてしまう。


「言っただろう。お前は俺のものだと」

「ふふ、そうでした」


 この涙は何だろうか。安堵や、幸せ、ときめきに疼き、色んな感情がい交ぜになってわたしの頬を濡らしていく。リアム様は唇を寄せて、そんな涙を拭ってくれた。


「庭にはペンタスを植えよう。その花を見る度に、お前は俺の誓いを思い出してくれるだろう?」

「忘れる事なんてありません。ねぇリアム様……わたしの言葉を覚えていますか? いつかリアム様の願いを叶えられるようになる、と。あの時リアム様は、いつか叶えて貰うと言っていました。……リアム様のお願い事は何ですか?」

「俺の願いは……」


 リアム様の金瞳が色を濃くしていく。恋慕に濡れるその瞳に溺れそうになりながらも、目を離す事なんて出来なかった。


「お前と未来も共に在る事。お前の心だけじゃなくて、全てを俺のものにしたい」


 熱を帯びた低音に心が震えた。胸の奥が疼く、その甘さに吐息が漏れる。


「……首を差し出した時から、わたしはリアム様のものです。これからもずっと、わたしの全てをリアム様に」


 低く笑ったリアム様が顔を寄せ、片手が後頭部に回る。飾ったままの蝶に指先が触れたのか、羽音のような音がした。


 重なる唇は今日も熱い。

 呼吸さえも奪われて、絡む熱に頭がくらくらしてしまう。それでも離れたくなくて、両腕をリアム様の首に絡めて引き寄せた。


 触れる場所から伝わる鼓動がどちらのものなのかも、もう分からない。

 離れた唇が繋いだ銀をリアム様が親指でそっと拭って、また笑った。つられるようにわたしも笑ってしまったのは、泣きたくなるくらいに幸せだったから。


 唇に残る熱は恋の色。

 未来を紡ぐ赤い色。


 窓の向こうは月映えの夜。精霊が舞った後のような金の光が夜空にちりばめられていた。

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