8.優しい場所

 赤みの強い砂岩の壁に、紺色の屋根。

 二階建ての大きなお屋敷はよく手入れされているのが分かる。扉前のポーチには美しい装飾の灯りが吊るされていて、足元を明るく照らしていた。

 城にいたはずなのに、一瞬で場所が変わった。そうか、これは転移の魔法なのだとようやくわたしは理解した。


「ここは……」

「俺の屋敷だ。今日からお前にはここで暮らして貰う」

「行く宛もない身ですから、有り難いお話ではあるのですが……宜しいのですか?」

「お前は客人だと、艦でも言っただろう」


 客人として扱われるなんて思っていなかったわたしは、眉を下げて笑う事しかできなかった。やっぱりこの人には、わたしの正体がばれてしまっているのではないだろうかと、そんな事を考えながら。


「ありがとうございます」

「礼を言われる事ではない。グラナティスを隠す霧の呪いが解ければ、お前にもグラナティスに同行して貰う事になるだろうからな」

「わたしもグラナティスに行けるのですか?」

「グラナティスからしたら、俺達は侵略者に見えるだろう。中に残る者や王女と話をつけるのもお前の仕事だ」

「それは喜んで承りますが……」

「その為にはお前の呪いも解かねばならん」

「わたしの……」

「太陽が出ている間は進軍出来ない、など厄介だからな」


 ぶっきらぼうな言い方ながらも、その言葉には隠せない気遣いが溢れている。この人は優しい人なのだと、わたしは改めて思うばかりだ。


 感謝の言葉を口にしようとした瞬間、扉が開いた。

 中から扉を開けたのは、黒い執事服を身に纏った壮年の男性。その後ろにはお仕着せ姿の若い女性が立っている。


「お話は中でされると宜しいかと」

「ああ」


 わたしの背を押しながらフェルザー将軍がエントランスへ足を踏み入れる。押されるままにわたしも足を動かして中に入ると、背後で静かに扉が閉まった。


「お帰りなさいませ、リアム様。そちらの女性はいかがなされましたか?」

「シェリルだ。しばらく面倒を見てやってくれ」

「かしこまりました」


 執事服の男性はわたしへ体を向け直すと、胸に手を当てて深く腰を折った。その隣でお仕着せ姿の女性も腰を折る。


「ようこそいらっしゃいました、シェリル様。私はこの屋敷の管理をしております、執事のグレンと申します」

「私はメイドのイルゼと申します」


 二人から向けられる視線に嫌悪はなく、受け入れてくれているのが伝わってくる。それに内心で安堵の息をついたわたしは、腹部に手を揃えながらゆっくりと頭を下げた。


「シェリルと申します。どうぞ宜しくお願い致します」


 微笑むグレンさんの頭にはフェルザー将軍と同じ黒い角が生えているから、きっと鬼人なのだろう。短い灰色の髪を後ろに撫で付けるようにして整えていて、ぴんと背筋を伸ばした姿に片眼鏡がよく似合っている。

 イルゼさんの頭には丸みを帯びた耳。耳の縁は黒く、中は白い……獣人のようだ。黒い髪をうなじの近くで丸く纏めている。長身のグレンさんの隣に居るから小柄に見えるが、わたしと同じくらいの背丈のようだ。にこにこと笑みを浮かべる姿は可愛らしく、好感が持てた。


「イルゼ、シェリルに部屋を用意してくれ。北側がいい」

「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」


 フェルザー将軍の言葉に頷いたイルゼさんは、わたしを振り返りながら足を進める。わたしは彼に軽く会釈をしてから、イルゼさんの後を追った。



 廊下に敷かれた煉瓦色の絨毯は毛足が短く、歩きやすい。

 小さな鎧戸が閉められた窓は可愛らしいアーチ状で、きっと朝になれば、この窓からも暖かな陽射しが降り注ぐのだろう。その光景を想像するだけで胸が弾むのに、その光景の中にわたしはいない。ちくりと胸が痛むのを隠して、わたしは失礼にならない程度に周囲へ目を向けていた。


 イルゼさんが足を止めたのは、二階の北端にある一室だった。

 扉を開いたイルゼさんに促されるままに入室すると、そこは客間だったようで、寝台をはじめとした家具が整っていた。


 青系統の様々な色で織られた美しいラグが敷かれ、白いテーブルの足はくるりと丸まっていて可愛らしい。ソファーは柔らかな檸檬色。部屋を見渡せば家具は全て白で、ファブリックは檸檬色と青色で揃えられているようだった。


「お着替えなどは後程お持ち致します。シェリル様のお好きなものも順次揃えられるかと思いますので、遠慮なさらずにおっしゃって下さいね」


 部屋のカーテンを閉めながら、優しい声でイルゼさんが声を掛けてくれる。

 そんな温かな言葉が嬉しくて、それだけで胸が詰まってしまうようだった。


「用意して頂けるだけでありがたいのですから、わたしは何でも。どうぞ、様付けなどせずに言葉も崩してください」

「そうはいきません、旦那様のお客様ですもの。ふふ、こういった事は初めてで私も浮かれているのかもしれませんね」


 言葉通りイルゼさんの声は弾んでいる。その声にわたしも表情を綻ばせていると、ソファーを手で示された。ありがたく腰を下ろしてイルゼさんの動きを目で追いかけた。

 イルゼさんは頭の耳をぴょこぴょこと動かしながら、部屋にある扉を開いて何かを確認しているようだ。どうやらそこは浴室になっているらしい。


「あの……イルゼさんは獣人なのですか?」

「ええ、そうですよ。私は虎の獣人です」


 居室に戻ってきたイルゼさんに問いかけると、イルゼさんは丸みを帯びた耳を指先で摘まみながら可愛らしく動かして見せた。


「シェリル様は人種ですか?」

「ええ。わたしの居た国には人種しかいなくて、その……もしかしたら何か失礼な事を知らずにしてしまうかもしれません。その時は教えて下さいね」

「シェリル様は真面目な方ですね。この皇国以外は人種ばかりですもの、知らない事も多くありましょう。でもそれもお互い様だと思うのです。私がシェリル様に失礼な事をしていたら、すぐに教えて下さいませ」


 にっこりと笑うイルゼさんに、わたしはありがとうと告げた。

 イルゼさんは華奢な指先を顎に当てると、周囲を見渡して小さく息をついた。


「夕食の準備をして参ります。暇潰しを出来るものもまだ用意出来ていないのですが……」

「わたしの事ならお気になさらず。今日は雲が掛かっていないようですから、空を眺めていようかと」

「それでしたらどうぞこちらから。このお屋敷は高台にありますし、こちらの方角からでしたら皇都が良く見えますよ」


 イルゼさんは肘置きのついた大きな椅子をひょいと持ち上げると、大きな窓の側へと用意してくれた。ソファーから立ち上がったわたしが窓辺へ歩み寄ると、カーテンがそっと開かれる。そこから見える景色は──光の奔流。

 暖かな色の灯りが等間隔に見える他、様々な色の灯りが煌めいている。その不思議な光景に目を瞬くと、イルゼさんがくすりと笑みを零した。


「賑やかでしょう。皇城はあの方向です」


 指が示す方向へ目を向けると、光を当てられ浮かび上がるような城が目に入る。

 そういえばつい先程まであの場所に居たのに、一瞬でこの距離を転移したのか。グラナティスにはそれだけの魔法技術はなかったし、ルダ=レンツィオ王国もそうだったはずだ。


「では準備ができましたらお呼びしますので、少々お待ちくださいね」


 腰を追って頭を下げたイルゼさんは、そう言って部屋を後にした。

 残されたわたしはまた、眼下に広がる光の洪水に目を奪われる。


 朝には死ぬつもりでいたのに、まさか夜にはエムデアルグ皇国にいるだなんて想像も出来なかった。

 グラナティスの解放が確約されたわけではないが、前進したといってもいいだろう。なんだか……とても疲れた一日だった。


 わたしは窓枠に両腕を重ねるとそこに顎を乗せた。

 グラナティスの皆はどうしているだろうか。

 ルダ=レンツィオの王族がグラナティスにいるというわたしの憶測は、あながち間違いでもないと思っている。きっとグラナティスにある全ての宝石をかき集めているのだろう。


 それならばわたしは……宝石を実らせ続けなければならない。

 宝石は、残る民をきっと守ってくれるだろうから。


 わたしが生きて祈りを捧げ続ける限り、宝石は実り続ける。それはわたしが生きているという事をグラナティスの民に知らせる事が出来る。

 しかしいまの状況ではルダ=レンツィオの王族……ピアニー様にも知らせる事になるだろうが、それでもいいと思った。わたしは民の為に宝石を実らせ続けるだけだ。


 わたしの意識はゆっくりと沈んでいく。目を閉じると瞼の裏で光が優しく踊り続けるようだった。

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