俺は私で私は俺で。二人で一人の男女の、奇妙な生活。
馬汁
双子
誰だお前、と俺は思った。
日常というものは、何時だって普遍だと感じる物だ。
母が作ってくれる朝食は、レパートリーが少ない故に食べ慣れた物ばかりで、登校するときにすれ違う人々も見覚えのある顔ばかり。
夏休みを跨いだ後も、似たような顔ぶれだと思える程に、見慣れた光景だ。
昨日は無かった筈の工事現場、道路を駆け渡る見慣れない野良猫。それらもきっと、日常の一部として吸収されるか、あるいは消えていくのだろう。
通う学校までの距離が縮まってくると、同級生の誰かと、違う学年の誰かを多く見るようになる。顔に見覚えはあっても、その人が何年何組かさえ知らない様な関係が殆ど。
実際に顔と名前を覚えている人は少ない。一年目の三学期に入った時期、未だにクラスの6割の顔と名前を一致させることが出来ていない。
人間関係に関しては興味をあまり持てず、加えて記憶能力が人並み未満に留まるのが理由だろう。
この見慣れた入り口で、履き慣れた上履きを履く。
さあ、新学期の始まりだ。
「その席じゃないよ」
俺にしては珍しく気合を入れたというのに、横槍を入れられた。聞けば知った声。見れば知った顔。しかし名前だけは浮かんでこないクラスメイトの言葉に、俺は首を傾げた。
「……?」
教室に入って、小慣れた動きで机や人を避けつつ席に着いた時の事だ。
すぐに返事の言葉を出せなかったのは、俺の記録ではここが正しい席となっていると、脳内のパラドックスにより一時停止していたから。……肝心なのが、記憶ではなく記録、という点だ。
学期を跨ぐ際に移り変わって行く席順は、どうしても学期間にある長期の休みで忘れてしまう。その策として簡潔なメモを取っていた。
『15番席 3、3』
メモ代わりのレシートがポケットから出される。夏休み前に購入された昼飯の品目と、その空きスペースに席の場所を示す情報が記されている。
顔を上げて、また数えてみる。1、2、3。1、2、3。その位置は正しくこの場所だ。
「いや……あれ?」
「それメモ? 15番席……あー、メモも間違えてる」
どうやら呆れられたらしい。間違いの指摘に加えて、この席に座るべきだった人の名前が上がるが……どの顔に該当する名前なのか、俺の脳内検索に引っかかる事は無かった。名前自体は聞き覚えがあるのだが。
「ねー、
彼が大声を張り上げると、窓際の方で手が上がった。
先の彼と同じく顔と名前の一致しない
……はあ、珍しくメモと言う行為に手を出したと言うのに、これではメモ損である。
・
・
・
それにしても。メモ損と言うと、クリーンアップやデフラグを掛けてやれば直りそうな響きだな。
ホームルーム中に馬鹿げた事を思っているのは、一般陰キャ高校生の俺。
残念ながら、入学から約半年を経ても友人という関係を作らずに過ごした俺は、自宅からの出発よりホームルームの点呼まで、ほぼ無言でいた。
……いや、さっき席を教えてくれたときに礼は言ったな。つまり席に着くまで無言だったということか。ほとんど変わらないな。
「玉川明一」
「はい」
よしきた。机に両肘をついてリラックスする。一度呼ばれれば、点呼を聞き逃し、寝ているのだと勘違いされることはない。
ホームルームの終わりまで楽にしようと、一息つこうとする。……が、
「
「……は?」
「……はい?」
リラックスするつもりだった吐息は、惚けた声として発された。
いやいや、聞き違いだろうか。俺の名前の読みは「メイイチ」であって、間違っても「アカリ」では無いし、そうすると「イチ」の字はどこに消えたと言う話になるし、そもそもさっき点呼で呼ばれたよな?
俺とは違って、クラスメイトどころか、同学年の全員の名前と顔を覚えている我らが担任は、同じ人の名前を2度点呼するというミスはしない筈だ。名前を呼び間違えるのも、同様に。
人間誰しもミスはある。意識が散漫としていればそう言うこともあるだろう。
だが……。ああ、これはミスでは無いのだろう。
2人を除いて、動揺する者はいない。点呼ミスを指摘する者もいない。当然のように、担任の声とクラスメイトの声が交互する行為が続けられる。
その中で、俺たちはお互いの目線を向き合わせていた。
「……」
「……」
俺と同じく惚けたような調子の声だったが、一応は応答として成立した返事を返した誰か。
見覚えはないと言うのに、馴染みのある顔。聞き覚えがないと言うのに、似通った名前の誰か。
俺たちは、存在しない筈の俺たちを、初めて認識した。
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