魔笛

東北本線

終わりの始まり

 慟哭どうこくしていた。


 ふと気が付いたら妹の目の前で泣きじゃくっていた。

 理由もなにも分からない。ただ、胸にやまない熱がこみあげて、それを抑えることができなかった。


民生たみおお兄ちゃん、大丈夫?」


 そう天音あまねに言われて、やっと僕は恥ずかしさと、自分が彼女の兄であることを思い出した。情けないところを見せてしまった。僕は彼女の『お兄ちゃん』なのだから、しっかりしないと。


「ご、ごめんごめん!ちょっと学校でしんどい思いをしてさ。……もう大丈夫。は、恥ずかしいから、お父さんとお母さんには内緒だぞ?」


 うん、と返事が返ってきたけど、僕は続きを聞かないうちにリビングを飛び出して、音をたてて二階へと駆け上がる。自分の部屋のドアを開けて、中から鍵をかけた。

 学校で辛いことなんてひとつもなかった。大事な妹に嘘をついてしまった。そんな罪悪感が心の半分。それと、なぜ泣いてしまったのか分からない混乱が半分。


「……どうかしてる」


 まるで自分がおかしくなってしまったかのような感覚。独り言なんて生まれて初めてだ。

 遮光カーテンから夕暮れの西日が漏れていた。薄暗い部屋の奥。ベッドの隣の机の上で、僕のパソコンだけが液晶画面から光を発している。僕はそちらへ歩み寄った。二次元の美麗な彼女の壁紙が、ディスプレイの中から僕に微笑みかけている。


 僕の最近の推しはバーチャル配信アイドルのパミナちゃんだ。ネットアイドルグループ『Queen of night』に所属している。

 底抜けに明るい性格で、ゲームや雑談、グループ内コラボの生配信では、同時接続数が数万人を超える。中学校に入ってから彼女の配信を観るようになって、もう一年が経とうとしていた。勉強の合間なんかに彼女の配信を観て、お母さんに怒られたりすることも多い。それでも、あとで公開される動画じゃなくリアルタイムで生配信を観たいから、ベッドの中でスマホを使って夜中まで観たりしてる。生まれて初めて配信にコメントを送ったのも彼女だし、こないだなんてお父さんのスマホから勝手に投げ銭した。あれはまだバレてない、はず。


「え?」


 イスに腰掛けると、パソコンに通知が入った。彼女の配信予定は完璧に把握しているつもりだったけど、これから生配信が始まるという。そんな予告はなかったはずだが、急な予定の変更でもあったのだろうか。乱暴にマウスを動かして、配信サイトのアプリを起動する。いつもの画面に、彼女の姿が現れた。接続数は……


「ひと……り?」


 僕だけだった。なにかの間違いだろうか。


「あ、きたきた。ハロパミナー♪碓氷うすい民生たみおくん、聞いてるー?聞こえたら返事してー♪」


 がしゃんっ、とイスが倒れる音がフローリングの床に響いた。僕が思わず勢いよく立ち上がったせいだ。そのままドサリ、と僕は尻もちをついてしまった。


「ね、ねえ。そんなにびっくりしなくてもいいじゃない。パミナ、ちょっとショック……」


 画面内の3Dモデルが表情を変えてリアクションまでとった。そして僕に、この僕に声をかけてきた。

 どういうことだ?これは夢かなにかか?推しのアイドルが、僕だけに配信して、そして声を掛けてくるなんてことあるか?この動画サイトって、そんな、そんな夢みたいなシステムあったか?


 ないよ、そんなの。あるわけない。


 じゃあ、今のこの状況は、いったいなんだっていうんだ?


 混乱半分、嬉しさ半分。混乱のなかには、ちょっと恐怖が混ざっている。なんなんだ、この怪奇現象は。


「あのぅ……、そろそろお返事か、もしくは声を出すだけでもいいので何か言っていただけるとありがたいんですがー……」


 身体が震えている。返事をして大丈夫なのだろうか。そりゃあ、大好きな推しが僕に向かってだけ話しかけてきてくれているんだ。返事はしたい。でももし返事をしたら、ディスプレイから腕と長い髪の毛が出てきて僕が呪い殺されちゃう、みたいな、先週くらいに妹と一緒に観た昔のホラー映画みたいなことになったりしないだろうか。いや、パミナちゃんは金髪のツインテールだけれども。


「ねえ。ねえーってばー。私、泣いちゃうよ?あと5秒くらいで。5、4、3……」


 なにやらカウントダウンが始まってしまったので、僕は慌てて、


「は、はい!……はいっ!」


 と、座ったまま手をあげた。声が裏返ってしまった。手をグーにして目の下にあてていたパミナちゃんのそれが降ろされる。


「よくできましたー♪えらいねぇー♪」


 表情が変わって、底抜けに朗らかな笑顔の彼女が褒めてくれる。動画投稿サイトの配信者のなにがすごいって、こういうところだと思う。観ているとこっちが元気になる。なにか感情的なパワー、生きる活力を与えてくれる。

 つまり、僕は彼女に褒められて気持ちが舞い上がった。


「ど、どうも……」


 勢いよく上げた手で、頭の後ろをかく。口角が勝手に上がって、僕の口が勝手にニヤニヤし始める。え?さっきまで泣いてたんじゃなかったかって?推しのアイドルが僕なんかに。僕にだけに話しかけてきてくれてるんだよ?忘れちまったよ、そんなことは。


「良かったぁ♪お仕事できなくなるかと思ったぁ。あのね、民生くん。私って実はプロ…………」


 パミナちゃんがしゃべっている途中だというのに、下の階から、妹の声がした。僕は鍵のかかったドアへ視線を送る。


 それはただの声ではなかった。


 音と声が一体となり、いつの間にかリズムが生まれる。声には強弱と抑揚と緩急が踊り、旋律は波紋のように広がっていく。息継ぎでさえ魅力的で、耳を傾けずにはいられない。


 『これ』だ

 思い出した。どうして分からなかったのだろう。

 僕は妹の『これ』を聞いて涙したんだった。

 なんというのだろう、『これ』は。

 さすがに僕は二回目ということもあって、泣くことはなかったけれど。それでも聴いていると、心の底から『これ』に合わせて身体を動かしたくなるような強い衝動に駆られる。


「これは…………『歌』…………?」


 デスクトップから声が響く。僕はパミナちゃんへ視線を戻した。


 彼女は泣いていた。3Dモデルだというのに、パミナちゃんが目から涙を流している。いままで観たどんな配信でも、そんな表情は見たことがなかった。泣いてる彼女も、どこまでも可愛い。


 可愛かったのに。

 それが、ゆっくりと。

 だんだんと。

 苦悶の表情に変わっていく。


「ああ、いけない。……バグっちゃう」


 ブツリ、と音をたてて、パソコンの画面が真っ暗になった。


「え?ちょ、ちょっと待ってパミナちゃん……っ!」


 それっきりだった。

 画面が真っ黒になったパソコンは、電源ボタンを何度おしても、元には戻らなかった。

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