たまには首筋以外からも
ライブのあと、時刻を見てみるとちょうど昼時に差し掛かろうとしていた。
時間的にも頃合いだろうと、俺とサクラは体育館を出て第二グラウンドで開かれているボランティアの出店へ足を運んだ。
そこではフードコートのように並べられた幾つもの椅子とテーブルを囲む形で、クレープやたこ焼きなど様々な露店がある。
既に多くの人が席について食事を取っていて、うかうかしているとあっという間に埋まりそうだ。
どれしようか話し合った結果、俺は三本セットのフランクフルト、サクラはチョコクレープにした。
せっかくの文化祭だ、一回の食べ物で腹を満たすのは勿体無い。
加えて次のデート相手から昼は一緒に食べたいと前以て約束しているため、ある程度空かしておく必要があった。
向かい合う形で席に座り、さっそく一本目のフランクフルトを頬張る。
パリッとした皮、中から溢れる肉汁、芳醇な肉の味わい、ケチャップソースの風味、それらが口の中で絶妙な旨味として広がっていく。
「ん~旨い」
「クレープも美味しいですよ」
フランクフルトの感想を溢すと、サクラもクレープを美味しそうに食べていた。
なんだか彼女が食べてるとクレープも欲しくなってくる。
そんな食い意地の張った思考が過ったと同時に、不意にサクラからクレープを差し出された。
「伊鞘君も一口どうですか?」
「……心でも読んだ?」
「? 私はフェアリンさんの様に人の心は読めませんよ?」
「だよな、うん。ちょうど食べたいって思ってたとこだったからビックリしただけ。じゃ、いただきます」
内心を当てられた照れ臭さを誤魔化すように、差し出されたクレープを一口貰う。
柔らかな生地に包まれたクリームとチョコ、それぞれの甘味が口の中で至福の味となっていく。
もちろんサクラが口を付けた箇所は避けている。
単に恥ずかしいのもあるが、食べ物での間接キスはマナーの厳しい彼女は感心しないと踏んだからだ。
ましてや人前だと、行儀が悪いと怒られてもおかしくない。
そう思って正しい判断をしたのにどうしてだろうか。
サクラが一瞬だけ寂しそうな顔をしていたのは。
何か予想と違ったのか、彼女はクレープを口に運びながら、不満げに細めた目をそっぽ向ける。
意図が分からず首を傾げそうになっていると、あることに気付いた。
「サクラ、ほっぺにクリームが付いてる」
「え? す、すみません。はしたないですよね」
「文化祭で気が抜けてるのかもな、ほら」
あるいはデートが楽しいのか。
いずれにせよ珍しい仕草に微笑ましさを覚えながら、右手の人差し指で頬に付いていたクリームを拭い取る。
「ん。取れたぞ」
「あ、ありがとうございます……」
淑女らしくない振る舞いをした恥ずかしさから、サクラは顔を赤くして伏せる。
いや違うなこれ、人目のある場所で当たり前みたいに指で取ったからだ。
傍から見れば人前でイチャついてるようにしか見えない。
別に俺とサクラは恋人だから何も問題は無いワケだが。
ともあれ指に付けたクリームを取らないと。
そう思ってポケットに入れてあるハンカチを出そうと思った時だった。
不意にサクラが俺の右手首を握ったかと思うと……。
「し、失礼します」
ぱくっ、とクリームの着いた人差し指を口に含んだ。
「え」
まさかの行動に呆気に取られて茫然している間にも、サクラは舌でクリームを舐めとる。
指先を撫でるヌメりを伴う生暖かくてザラついた感覚に、ぞわぞわと形容できない甘い痺れが背筋を走った。
最初の一舐めでクリームは無くなっている上、恥ずかしさから顔が真っ赤にも関わらず、サクラはまだ足りないとばかりに口から指を離そうとしない。
俺も俺で突然の状況に困惑しつつ心臓がバクバクと大きな鼓動を奏でていて、全神経が指先に集まったかのような錯覚に陥り、舌が這う度に鋭敏になった指の腹から甘い刺激が迫ってくる。
迂闊に指を動かせない中、サクラがどこか高揚した目でこちらを見つめたかと思うと……。
「……
「へ? なんて──っ!」
何を言ったのか聞き返す寸前で、指先にチクッと刺すような痛みが走った。
反射的に指を引きそうになるが、いつの間にかサクラが片手で押さえていたため、人差し指は彼女の口の中に収まったままだ。
「れろ、ちゅっ、はむ……」
そんな俺に構わず、サクラは息継ぎを挟みながら指先にピンクの舌を絡ませていく。
ヌメリとざらつきの合わさった独特な感触に加え、微かな快感に混じってピリッとした痛みに脳が大いに揺さぶられる。
「ん、ちゅる、……ふぁ」
そしてただ舐めるだけじゃない。
時折指先を啜って何かを吸いだしていた。
そこまでされてようやく、さっきの痛みの原因を悟る。
──サクラが俺の指先を牙で切って出血させたのだと。
つまり俺は今、彼女に吸血されているのだ。
大方、指を舐めてる間に吸血欲求が疼いたのだろう。
そのままだと吸血衝動が起き、半吸血鬼のサクラでは理性を失う可能性があった。
かといって首筋から吸おうにもここでは人目がある上、移動する時間すら惜しいことも考慮した結果、手遅れなる前に対処しようと指先から吸うことにしたのだ。
これなら何も知らない人が見ても、単にイチャついてるようにしか見えないだろう。
なるほど、確かに事情は把握できたのだが……。
「じゅる……、ん、れぅ」
「っ、……く」
「ちゅっ、あむ……」
「ぉ……っと」
今現在、二点ほど無視できない問題が発生してしまっている。
一つ目は俺がさっきから曝されている、小さな快感の波が依然として続いていること。
首筋じゃないのと牙を刺されていないため、普段よりはマシだが焦らされてるようで座りが悪い。
リリスの遅延吸精と比べるとこちらの方が刺激は少ないが、女の子に指を舐められる光景は男子高校生的には凄まじい毒である。
簡潔に言うとめちゃくちゃエロくて変な扉が開きそう。
そして肝心の二つ目……サクラが吸血に集中するあまり周りが見えなくなってることだ。
紅色の目がトロンと惚けたよう細められているので、先日お嬢から聞いた吸血時の興奮状態になっているのだろう。
それだけなら大して問題は無いのだが、俺達が今いる場所は文化祭真っ只中のグラウンドだ。
「見て、あれ……」
「うわ~凄いバカップルだ」
「ママ~。あのお姉ちゃん、おしゃぶりしてる~」
「シッ! あれは大人用のおしゃぶりよ」
美少女が彼氏と思わしき男子の指を一心不乱に咥える様子は、通りかかった人達を揃って赤面させるほど大胆な図になっている。
ヘタをするとそういうプレイの最中だとさえ邪推されてそうで非常に落ち着かない。
俺も平静を装ってるだけで浅い前戯を食らい続けてる状況なので、なんとも否定しきれない居たたまれなさに苛まれる。
このまま好奇の目に晒されるのは敵わない。
事態を打破するために、今も頬を上気させて指先を舐めているサクラの肩を軽く叩く。
「さ、サクラ。周りの人達に見られてる」
「んちゅ……ペロ」
「あの、サクラさん?」
「はむ……いはやふんのひ、おいひいれふ……」
ダメだ、この子まるで聞いちゃいない。
どんだけ俺の血が好きなの。
いくら吸血鬼でもそんなに執心されると、自分の身体のことなのに不気味に思えて来るわ。
一抹の不安を抱きつつも、ひとまずサクラに正気を取り戻させよう。
そう思考を切り替え、断腸の思いで彼女の口から指を引き抜いた。
おっとぉ……十数分近く舐められ続けた指先がテッカテカのフニャッフニャになってら。
傷口も真っ白で見つけるのに一瞬戸惑った。
もはや治ってない?
いや誇張しすぎたわ、遅れて血がチョロっと出てきた。
とりあえずハンカチを巻いておこう。
その傍らサクラの様子を窺う。
「んぁあ……どぉして指を抜いちゃうんですか? 伊鞘君、いじわるです……」
「うぐ……」
まだ残っているお菓子を取り上げられた子供みたいな物欲しげな表情に、つい再開させてしまいそうなほど胸が打たれる。
くっそ、そういえば吸血直後は甘えん坊になるんだった。
壮絶な可愛さに悶えながらも、咳払いをして平静を保つ。
「……サクラ。落ち着いて周りを見てくれ」
「やです。どーせ私の見た目にしか興味の無い男の人達がいるに決まってます。そんな人達より伊鞘君だけ見ていたいです」
「今すぐ抱き締めたいくらい可愛いのは助かるけど、とりあえず言うとおりにしてくれないと吸血はお預けだからな」
「むぅ……わかりました」
非常に心痛むが吸血を出しにして言うことを聞かせる。
それでも渋々といった調子だが、サクラはキョロキョロと周囲に目を向けていく。
昼時が近付いているのもあって、俺達が席に着いた頃より人集りは増えている。
言い換えればそれだけ多くの人に先ほどの行為が目撃されているワケで……。
徐々に理解が及んでいくにつれ、惚けていたサクラの顔付きが戻っていき……否、元通りどころか羞恥で真っ赤に染め上がっていった。
「──あ。ぁぁ……~~~~っっ!!」
わなわなと全身を震わせ、声にならない悲鳴を押し殺しながらテーブルに突っ伏した。
まぁこうなるよな、と俺の中ではある種の納得感しかない。
「ごめん、もっと早く止めておけば良かったな」
「い、いえ……魔が差した挙げ句にとんでもなく破廉恥な行為に出た私が全般的に悪いんです」
「く、首筋からじゃないだけマシだったと思うぞ?」
「それでも指先から吸うのはあまりにもはしたないですし……へ、変態だと罵られてもおかしくありません」
「そこまで責めなくても良いだろうに……」
確実に黒歴史として扱うほど落ち込むサクラには、どうフォローしても逆効果にしかならなさそうだ。
この落ち込み様……まさかとは思うけど、指先からの吸血にも何か意味があるのだろうか。
それもかなり恥ずかしい方向で。
気になりはするが、今聞いたら確実に彼女にトドメを刺すことになりかねない。
結局、サクラが持ち直すまで背中を擦ることしかできなかったのだった……。
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