野生の霊能者 新生律香の事件簿

加藤伊織

モザイク掛かった何かが天井から罵ってくる

第1話 霊には気合い

 男は頭から布団を被り、その中で震えていた。


『出てこい臆病者! ちゃんと話を聞け!』


 そんな男に罵声が浴びせられる。――部屋の隅の天井から。

 あり得なかった。この部屋はマンションの最上階であり、上から声がするはずはない。

 そして何よりも、男が声がする方に目を向けると、モザイクが掛かったような塊が蠢いているのだ。


『これでもまだ聞くつもりはないのか! 図太い奴め!』


 老人とも中年ともつかない男の声で、罵声は延々と続く。

 布団を被った男は、映画で覚えた早九字を切った。だが、何も揺らがない。

 仏教系の高校に通っていたときに覚えた般若心経も、幾ばくかの変化ももたらさなかった。


 何に縋ればいいのか、もはやわからない。

 理不尽に降り注ぐ罵声に耐えながら、ただ朝を待つ。


 朝になれば、この怪異はひとまず収まることをこの数日で男は理解していた。


 

* * *


 

「たまにはホラーとかどうですか。実体験たくさん持ってるじゃないですか、ぶんぶん新生姜先生なら」

「西田さん、公共の場でその名前で呼ぶのやめて欲しいです。私にも人並みの羞恥心がありますので。

 というか、メールでは悪役令嬢を推してませんでしたっけ。そのつもりで企画書を持ってきたんですが、何か裏がありません?」


 レトロな喫茶店で革張りのソファに埋もれて男女が向かい合っていた。

 けれどその間には全く甘い雰囲気はない。

 男は笑顔だが、女はこれ以上ないほどの真顔だった。


 長い黒髪をポニーテールにし、朱色の矢絣模様の着物を着た女は時代がかった装飾の店内でも奇妙に目立っていた。

 あわせの着物の中には襦袢ではなく白いブラウスを着ている。いわゆる和洋ミックスという着こなしで、現代的というよりは書生風という言葉が彼女には似合っている。

 黒縁の眼鏡の奥の目は色が薄く、切れ長の目は口調と相まって冷たさすら周囲に纏わせているようだった。


「今日も着物がお似合いですね」


 コーヒーを一口飲んでからスーツを身に纏った男は胡散臭いほどの爽やかさでにこにことしながら女を褒めた。とってつけたような話題の転換に女が顔を顰める。


「洗える着物で1万円のポリエステルですけどね。あと、別に好きで着物を着てるわけじゃありませんから。帯をがっちり締めてると腰が曲がらなくて、腰痛対策になるんですよ。何せ座りっぱなしの仕事ですし」

「切ない理由を聞いてしまった……いい椅子買いましょ。腰は作家の命ですよ」


 西田と呼ばれた男は、今度は本心からの言葉を吐いた。


 女の名前は新生律香しんせいりつか。もうひとつの名をぶんぶん新生姜という。WEB作家であり、何作もの書籍化実績を持っていた。

 本名をもじった適当なペンネームをつけたはいいが予想外に商業デビューしてしまい、ふざけた名前を修正するタイミングを失ったという泣くに泣けない経緯があった。


 そして男は律香の担当編集者である西田にしだ幸村ゆきむら。デビュー作を含め、これまで何度も彼女と仕事をしている間柄である。


 真顔の律香から冷ややかな視線を向けられ、幸村はため息をつくとテーブルの上の企画書を鞄にしまった。

 律香には嘘が通じない。彼女は特異な能力を持っている。西田はそれを知っていた。


 いわゆる霊能力――遠く離れた場所の景色を見ることができ、この世ならざるものを目に映すこともできる。人の自覚していない病気を言い当てるのなど日常茶飯事だ。

 気心の知れた近しいものならば、考えていることがわかることすらある。一度だまし合いのカードゲームをしたことがあったが、ことごとくバレたのには西田も舌を巻くしかなかった。


「実は、今日は打ち合わせじゃなくてですね……いえ、打ち合わせなんですけど、企画書の方はお預かりしますね。友人で霊障らしきものに遭ってるやつがいて、相談させてもらいたいなーと」

「道理で土曜日に! おかしいと思った! 帰ります」

「帰らないでください! 先生しかお願いできる相手がいないんです!」

「霊なんか拳に気合い入れてぶん殴ればだいたいどっか行きますよ!」

「そんなことができるのは先生くらいですって!」

「いえ、霊能力ある人間の間では常識です。かめはめ波で生首爆散させた人もいるんですから。要は気合いです。ぶっ殺すぞという気合い。そのご友人にそう伝えて下さい。それでは」


 非情にも帰ろうとする律香の袖を、必死に幸村は掴んでいた。元から冷淡な上にものを書くこと以外は無精な人間だと知っているので、最終手段を口に出す。

 

「いやいやいや、それができないから相談してるんですよー! 奢りますから! 他人の金で焼き肉食べたいってSNSに書いてたでしょ? 焼き肉奢りますよ!」

「それはテンプレってやつですよ。それはそれとして、馬肉がいいです。馬焼き肉と馬刺し食べ放題で3599円。西新宿にある馬太郎ってお店です。今時レバ刺しが食べられるのは馬肉だけですよ」

「思ったより安い! 俺レバ刺し食べたことありませんよ! それでいいです。解決したら行きましょう」


 幸村の一言で律香はさっとソファに戻った。白くほっそりした指を組んで、金色に見える瞳が幸村を射貫く。


「お話を伺いましょうか。もし可能なら、そのご友人と直接お電話できませんか」

「ありがとうございます! 今電話してみます」


 幸村は素早くスマホを取り出すと最小限の動作で電話を架けた。最近通話したばかりで履歴から呼び出すことができたのだ。


「あ、俺だけど。うん、この前話した例の先生と今一緒なんだ。直接話したいって言うから電話代わっていいかな――うん、うん、わかった。それじゃ代わるから。――先生、俺の大学の同級生で川村といいます。よろしくお願いします」

「わかりました。お電話代わらせていただきました。初めまして、新生律香と申します」


 律香は幸村のスマホで喋り始めた途端、さっと顔色を変えた。そして、「酷いですね」と低い声で呟く。


「お住まいはどちらですか? 都内でしたらこれからお伺いします。ええ、もう電話越しでもビンビンと。なんですかそこ、事故物件ですか? はい、ではこれから西田さんと一緒にそちらへ伺いますので。

 ああ、できれば、四角く切ったアルミホイルの真ん中に塩を置いて、四隅を折って包んだものを4つ用意して、部屋の奥から置いていってください。それで簡易的な結界が張れます。それができたら、部屋の奥から除菌スプレーをガンガン噴霧してください。あれ、都市伝説呼ばわりされてますけど本当に効きますから。あとは私がどうにかします。――では」


 電話を切ると顔を歪めて律香は舌打ちをした。颯爽とした佇まいに似合わない妙に荒っぽい仕草だ。


「西田さん、焼き肉食べ放題以外に飲み放題も付けてください」

「それくらい付けますって! というか、金を出すのは川村ですので遠慮せず!」

「気軽にこんな話持ってこないで欲しいですよ……。私は別に修行した霊能者とかじゃないんですよ? ただ遺伝的にそういう能力を継いじゃって、実戦で撃退方法を身につけていっただけなんですから」


 律香はA4の書類が入る大きさのバッグを開け、筆箱の中身を確認すると「よし」と頷いた。


 野生の霊能者――律香を知る人間の間で、彼女はそんな二つ名を持っていた。

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