14杯目 恋花火はラムネに溶けて
14-1
薄桃色のリップを塗り、軽く上下の唇をこすり合わせる。窓から差し込む光で、ほんのり色づいた口元が瑞々しいかがやきを放った。
鏡に映る自分は、きりと眉を上げて準備万端。大事な仕事の日とは違う甘酸っぱい緊張で、胸がとくとく鼓動を刻んでいる。
白い綿のTシャツには、人魚の尾のようなシルエットが特徴的な、レース地のスカートを合わせた。夏らしいカゴバッグの持ち手を彩るのは、きらめく海を思わせるスカーフ。ポーチにはユリのハンドクリームを忍ばせていた。
石本、先生、雪子。大切な人達からもらったプレゼントに背中を押されたような気持ちで、玲は新しいサンダルに足を通した。
待ち合わせの時間まで、あとすこし。額にじわじわ浮かぶ汗を拭きながら、手でぱたぱたとあおいでいると、
「玲さん」
雑踏に紛れてこちらに駆け寄る足音、低いけれどはっきり通る声。
名前を呼ばれただけで、心の奥から嬉しい気持ちがあふれ出す。
「山崎さん! 急がなくても大丈夫ですよ」
「ごめん、遅くなって……」
肩で息をする山崎の頭からつま先までを目で追った後、玲は口をぽかんと開けたままかたまる。
「……もしかして、お仕事でした?」
糊のきいた真っ白なシャツに黒いスラックス。よく見ると仕事で着ているものよりも上質に見える。スーツ姿の山崎は、やっと今気が付いたように自分の姿を見下ろして、困ったように眉を寄せてひとり言をこぼす。
「先輩の結婚式行ったあと、そのままだったわ……」
「け、結婚式?! 大丈夫だったんですか、今日……」
走ってきたのか、ワックスでまとめた髪から前髪がまばらに垂れていた。落ちてくる髪をわずらわしそうに荒くかきあげた後、山崎は真っすぐなまなざしで玲に向き合った。
「大丈夫。行こうか」
そして付け足すように「花火大会に、こんな格好で良ければ……」と、申し訳なさそうにこぼす。
迷いなく、「はい!」と笑顔を返す玲に、山崎はほっとしたような柔らかい笑みを浮かべた。
ポスターにうつっていた神社の中。人混みをなんとかくぐりぬけて行くと、境内には屋台がずらっと並んでいる。あちこちから漂う香ばしい匂いが食欲を刺激した。
「お祭りらしいものが食べたいですね~」
「例えば?」
「う~ん、定番のお好み焼き、焼きそば、チョコバナナ……。迷いますね」
カラフルな屋台を見回して、玲はうきうきと目を輝かせて山崎を見上げる。
「とりあえず一周してみるか」
流石に人混みで並んで歩くわけにもいかず、山崎が先導する形で玲は後ろをついて歩いた。
宙ぶらりんな右手を、伸ばしかけて下す。人混みとはいえ、相手は飲み友達であって恋人ではないから。
「へえ、最近は流行りに乗ってタピオカとか色々あるんだな」
「……? あ、本当ですね~」
玲の表情が見えない山崎は、あちこちの屋台が新鮮らしく興味津々だ。
「大丈夫か? 具合悪くなったか」
「あ、いえいえ! ……あ、せっかくですし、お参りしませんか?」
声のトーンが曇った事に気が付いた山崎に、手を振ってなんでもないと伝える。こういう変化に聡い所が、余計に好きな気持ちを加速させた。二人の間にできた微妙な間を払うように、奥を指さす。
さい銭箱にお金を入れて、二人並ぶ。神社のお参りなんて、地元に帰った時に家族と行くくらいだ。
家族でも、恋人でもない。でも自分だけが特別に思っている人と、並んでお参りしている。なんだか不思議な気持ちになる。
玲は山崎よりも長い時間、ぎゅっと目をつぶって祈り続けた。
今日、きっと二人の関係は変わってしまう。それがせめて、少しでも良い方向に転びますように。
合わせた手がおでこにくっつきそうなくらい真剣に祈る玲を、山崎は優しいまなざしで見つめていた。
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