チェイサー ~紬と桜色の夢~

 あれ、目覚ましが鳴らない。

 うっすらと目を開けると、知らない人の部屋。そうだ、昨日ゆづさんの部屋に泊まって……。


 ゆづさんが敷いてくれた布団から起き上がって、充電につなぎっぱなしのスマホに手を伸ばす。寝っ転がったままスマホをいじると、メッセージアプリの通知が数件。よく連絡を取り合う友達に混じって「ある人」の名前を見つけて、思わずあたしは飛び起きた。


 『相変わらず元気そうで何より(笑)』

 日付は昨日の深夜。

 あれ、そいつと最後にやり取りしたのは、二年くらい前の春のはず。

 やばいやばい、なんで? いきなり? おかしいと思いメッセージを遡ると、原因はあたしだった。昨日の夜、酔っぱらってゆづさんと一緒にメッセージを送ったんだ。

 『就職決まった! 今すぐ会いやがれ~』

 久しぶりなのに、なんて脅迫めいたメッセージなんだろう。お酒って怖い。


 共犯者のゆづさんは、静かにベッドの上で寝てる。私はドキドキのあまり、しばらくあたふたして、とりあえず手櫛で髪を整えた。土曜日のちょっと遅い朝。


***


 「ち~だ」

 「何」


 振り向くと、右頬に指先が当たる感触。視線の先には、憎たらしい笑み。

 「ひっかかった~!」

 「もう、まじでうざいんだけど」

 と言いつつ、内心ちょっと嬉しい自分がいる。

 あたしより頭いっこぶんくらい高い背を見上げる。いつもイタズラばっかりしてくるけど、見下ろす目は優しい色をしてる。


 高校三年生の秋。文化祭のふわふわした気分の延長で、仲が良かったそいつと付き合った。「高校生活最後だし思い出作っとくか!」なんて、軽いノリ。

 だから彼氏彼女の関係なのに、いまだにお互い名字で呼び合っている。別に今までと変わらない。ただ二人の関係を表す名前が変わっただけ。


 放課後はいつものようにコンビニに寄り道。何も言わなくても、あたしが食べたい物をわかってて、付き合ってからは時々おごってくれるようになった。

 「ん」

 差し出された肉まんを、「ありがと」と言って受け取る。秋風で冷えた手が温かくなった。公園のベンチに並んで座って、あたしは肉まんを、隣でそいつはから揚げを頬張っている。紙パックのイチゴ牛乳にストローをさそうとしたところで、隣からふ、と笑う声。

 「千田、ハムスターみてえ」

 「ふぁ?!」

 すごい剣幕で振り返ると、ふに、と頬っぺたをつねられた。

 「いひゃいんらけど!!」

 反抗するとさらに笑われる。

 「いや、可愛いって事だよ」

 「は、はあ?」

 大きな手で頭をわしわしされると、あたしは何も言い返せない。

 「これから家来る?」

 行くけどさ……。


 そんなこんなで季節は過ぎ、たまに恋人っぽい事をしたりなんかしていたある日、そいつはあたしを呼び出すなり、深刻な顔で「別れよう」と言った。

 「は? なんで……」当然である。別に喧嘩もしてなければ、変わったことも無かったのに。

 「まあ、友達に戻ろうぜ? 元々ノリだったじゃん。俺ら」

 こっちはもう戻れない所まで好きになってるんだけど。色んな言葉が溢れそうだったけど、我慢して「意味わかんない。嫌い」と言って、その場から逃げた。


 家に帰ってベッドでひとしきり泣いていたら、おにいが、いつまでたってもご飯を食べに来ない私を心配して、部屋の前に晩御飯を置いていった。なんかそれすらもムカついて、ご飯茶碗からラップをはずしてがつがつ食べた。

 友達に散々愚痴った。皆「一回ちゃんと話しなよ」って言ったけど、あんな最低な事を言われたあたしは素直になれなかった。


 そして、冬が過ぎ、とうとう卒業式当日を迎えてしまった。

 一人ずつ名前を呼ばれて、壇上で証書を受け取る。いつもの何倍も真面目な声で返事をして、壇上に上がっていくあいつを、私は思い切り睨みつけていた。

 でも、これでばいばいなのは、ちょっと嫌だな……。いやいや、こっちの言い分を聞いてもらってないだけだし!

 本音をあいつへの怒りで隠した。


 仲が良い友達と写真撮影会をした後、友達が向こうを指さしてあたしの肩を叩いた。背が高いから、すぐに見つけられる。あいつだ。

 ぐんぐん近づくと、私の前でぴたっと止まった。

 「え、何」

 「千田、ちょっと来て」

 「やだ」手を掴まれる。久しぶりに感じるそいつの体温に、ちょっと泣きそうになる。

 「最後のお願い」

 真剣な表情で真っすぐ見つめられる。

 気が付けば周りで見ていた友達も、気づけばあたしの背を押していた。


 文化祭の片づけの時「俺たち、付き合うか」と何気なく言われた自転車置き場。三年で大分年季が入ったそいつのチャリの後ろ側に「座って」と促される。

 カラカラ、ゆっくり車輪が回転し始める。


 「え、どこ行くの」

 「送ってく。家まで」

 勝手すぎる。何で今更? もう彼氏じゃないじゃん……。黙って後ろに座っていたら、よく二人で寄り道した公園についた。

 でかいリュックをがさごそして、「はい」と手渡されたのは、いちご牛乳。二人でいる時、よく飲んでいたあたしの好物。久しぶりに飲んだら、びっくりするくらい甘かった。


 「ごめん」

 「いや、今更なんだけど」

 やっと本音が出た。まだ言いたい事、ぶつけたい言葉がいっぱいある。

 そいつは炭酸水のペットボトルを開けると、ぐい、と飲んだ。炭酸がしみたのか、鼻をおさえて目をつぶっている。


 「俺の言い方が悪かった。本当は別れたくなかった、千田と」

 「じゃあ、なんで」

 「不安だったから……」

 あたしとそいつは別々の進路を歩むことが決まっていた。あたしは地元の短大、そいつは地元を出て就職。ちょっと遠距離になるけど、まあ電車でいける範囲だし、いいかと思っていた。でもそいつは違ったみたいだ。

 「卒業して遠距離になったら、寂しい思いさせんじゃねえか、とか。進学した先で良い人見つかったら、とか」

 「……」

 寂しいのはともかく、良い人なんて見つかるわけないじゃん。隣で俯く横顔に苛立って、私はその顔を両手で掴んでこっちに向けた。


 「馬鹿」

 「?!」

 自分でもびっくりした。そのまま顔を引き寄せて、勢いよく唇がぶつかる。そいつの乾燥した唇が熱かったのは、きっと噛み締めてたからかな。

 「寂しいけど、別れるのは違うよ……!」

 「え」

 「そういうのはさ、もっと前にあたしに相談する事でしょ。彼女なんだから」

 「ごめん……」


 わざとらしく溜息をつく。言いたい事言ったら、なんだか気持ちが晴れてきた。

 「あたし、短大で頑張って就職活動して、地元出たらあんたの所に行くから」

 なんでそっちが泣きそうな顔してんのさ。つられてあたしもぼろぼろ涙がこぼれた。

 「だからっ……、もしその時あんたに彼女いなかったら、またあたしと付き合ってよね」

 そして「最後のお願い」と付け足す。

 「彼女なんて作るわけないだろ……!」

 二人、公園で号泣して恥ずかしい。でも、いいんだ。

 「そしたら、今のキスのお返し、あんたからしてよ」

 

 そいつはちゃんとあたしの家まで送ってくれた。

 ぴょい、と降りると「紬」と声をかけられる。初めて名前で呼ばれた。


 「今更だけど、本当は文化祭の前から、ずっと好きだった」

 「うん。あたしも」


 桜吹雪が舞う。別れの言葉は言わなかった。


***


 「忘れ物ない?」

 「あ、はい、お願いします!!」


 あれから二人でばたばた準備をして、今あたしは自転車の後ろじゃなくて、ゆづさんの車の助手席にいる。

 あのメッセージが来てから、急きょあいつに会う事になったのだ。


 「ね、あたし大丈夫ですか? メイクとか」

 「大丈夫、超かわいい。最高にかわいいから自信もちなよ」


 ゆづさんは手慣れたハンドルさばきで車を目的地に走らせる。

 そういえば、最後に会った日、あたしは彼の名前を呼んでいなかったな。

 心の中で、名前を呼ぶ練習をする。その度にドキドキしているのは、久しぶりに会うからだろうか。それとも……。


 窓越しに街はどんどん通り過ぎていく。あたしは目を閉じて、あの日の桜を思い出していた。

 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る