chapter.4

21.豪邸

「わぁー!!」


「すっげ…………」


 言葉が出ない、というのはまさにこのことだろう。


 瑠壱るい優姫ひめは今、目の間に広がっている、日常離れし過ぎた光景に圧倒されていた。


 広すぎるエントランス。高すぎる天井、一般のご家庭にはあるはずもないシャンデリアに照らされた室内は、ところどころに金の装飾がなされていることもあって、相当明るく感じられる。


 奥の方に意味ありげに置かれた壺や、これまた二階の当たりに意味ありげに飾られた絵も、恐らくは著名な作者による、目玉が飛び出るような価格のする美術品なのだろう。


 流石に壺はガラスケースでおおわれたうえに、しっかりと台に固定されているが、もしただ、置いてあるだけだったら、その周囲は常に抜き足差し足であるくことになってしまいそうだ。割った瞬間巨額の借金は確実な気がする。


「どう?どう?凄いでしょ?流石冷泉れいせん本家だよねー」


夏織かおり……あまり自慢するもんじゃないぞ」


「えー、いいじゃない。良いものは自慢しなくっちゃ損だよ?壺なんてただ置いてあるだけだったらその辺の皿と何も変わらないもん。見てもらって初めて芸術品なんです」


「はぁ…………好きにしてくれ」


 西園寺さいおんじ兄妹と同等か、下手したらそれ以上に盛り上がる夏織と、それを半ばあきらめるようにして眺める千秋ちあき


 一体全体どうしてこんなことになってしまったのか。


 話はほんの一時間前にさかのぼる。



              ◇



「あの、なんかすみません。乗せてもらっちゃって」


 結局、瑠壱は千秋たちの乗っていたリムジンに載せてもらうこととなった。


 ただ、何分、車が車である。びしょ濡れの状態で乗っていいものには到底思えない。そう考え、最初は丁重に断っていたのだが、


「別にいいさ。この車は濡れネズミが一人乗ったくらいでどうこうなるものではないからな」


 聞いたところによるとこのリムジンは冷泉本家のもので、普段は千秋も使うことはないようなのだが、この日は生徒会副会長でもある花咲夏織が、他人に聞かれる心配のない場所で相談をしたかったということで、あえてこの車を選んだのだという。


 家に帰りつくまでの時間ではやや足りないというため、適当に藤ヶ崎学園駅付近をぐるりと走行していたところ、瑠壱を見つけたのだというのだ。


「それにしても、ホントにどしたの?こんなになるまで……」


 そう言いつつもさっきから一生懸命瑠壱を拭いているのは夏織だった。


 先ほど顔を出したのも彼女ならば、道端で息を整えていた瑠壱を見つけて「ねえ、あれうちの生徒だよね?ちょっと止めてみてくれない?」と運転手に依頼したのも彼女だったらしい。なんとも目の利くことだ。


「いや、ちょっと……ほんとに、色々ありまして」


 瑠壱は先ほどと似たような返事をする。


 別にはぐらかしているわけではない。あまりにも色々なことが置き過ぎていて、一言では説明できないだけなのだ。


 だが、そんな答えに千秋は、


「それは佐藤さとう……佐藤智花ともかとか?」


「っ……!」


 息がつまる。


 顔に出るのは、避けられなかった。


 千秋はふっと鼻で息を吐き、


「まったく……また、夏織の予想通りってことか?」


 夏織が口をすぼめて、


「ちょっとー。それ言わないでって言ったでしょー」


 文句を言う。が、千秋はどこ吹く風と言った塩梅で、


「じゃあ、黙っておくか?わざわざこの車を出させたことも、西園寺が佐藤と一緒に校外に出ていったのを知っていることも、それを見てお前がピンときたことも全て伏せておくか?その辺の木偶ならともかく、西園寺相手にそれを隠し通すのは無理だ。この場限りの付き合いならともかく、これから協力関係に当たる人間にそれは誠意が足りないんじゃないのか?」


 初耳だった。


 初耳すぎて瑠壱は全く反応できなかった。わざわざ車を出させた?智花と一緒に校外に出ていったことを知っていた?どういうことだ。


 それを聞いた夏織はかなり低い声で、


「そんなの、後でもいいじゃん」


 それだけ言って、手元のタオルを瑠壱に持たせ、


「はい。後は自分で拭ける、よね?」


 一瞬で口調が元に戻る。


 なにこれ怖い。


 夏織の素がどっちなのかは最早考えるまでもないだろう。びっくりするほど低い、今瑠壱が聞いた“声”だ。


 恐らく通常はキャラクターを作っているのだろう。それが、今。一瞬だけ剝がれたのだ。


 隠したつもりなのか、それとも「一瞬出てしまったことまでを計算して、今はまだ隠しているフリをしていたほうがいい」と考えただけなのかは分からない。


 ただ、この時点で瑠壱の夏織に対する警戒レベルは最大まで上がった。もしかしなくとも様々な改革をやってのけているのはこちらのほうではないだろうか。


 千秋はあくまで表向きの生徒会長であって、実際の生徒会長としての動きをしているのは、何を隠そう花咲夏織なのではないだろうか。


 と、まあそんな仮説を立てたところで、証明するすべはないに等しい。


 それならば相手の提示した「ストーリー」に乗っかるだけだ。


「あ、はい。ありがとうございます」


「どういたしましてー」


 一瞬だった。


 もう、あの“低い声”は姿を現さなかった。


 まあいい。藪蛇になってはいけない。瑠壱は千秋に、


「それで?今の話はどういうことですか?」


 確認を取る。


 千秋は「あくまで私目線の話になるが」と前置いて、


「夏織がな、車を出させてほしいというんだ。正直最初は「なんで今」と思ったし、反対もした。だが、こいつは引き下がらなかった」


 そう言って千秋は自らの座っている座席を指さして、


「だから、仕方なくこれを出して、二人で乗ることにした。そしたら今度は藤ヶ崎学園の街をぐるぐる走ってくれっていうんだ。私も流石に不思議に思ってな。理由を聞いたんだ。そしたら、西園寺と佐藤が連れ立って学校を出ていく姿を見たっていうんだ。正直、それがなんになるのかはその時点では分からなかった。だが、どうしてもというからな。こうして車を走らせていたんだ。そしたら、夏織が「あれ、うちの生徒だよね?」と言い出すから、車を止めてみると、君……西園寺がいた、というわけだ。正直に言うと私もびっくりしているくらいでな。本当のところは多分、」


 夏織に視線を向け、


「──夏織しか分からんのだと思う」


 瑠壱はつられるようにして視線を向け、


「どういうことですか?花咲先輩」


 夏織は最初、


「えー?そんなこと言われても、夏織、分かんなーい」


 としらをきろうとしたが、千秋が、


「夏織。もしこのまましらを切るというなら、西園寺の協力は得られない。それでもいいのか?」


 忠告を入れると、


「はぁ~~~~…………」


 運気など蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまいそうな大きなため息をついたのち、


「……カラオケハウス藤ヶ崎学園店の店長、苗字なんていうか知ってる?」


「え?えーっと……」


 瑠壱は決して遠くない記憶を遡り、


「あ」


 夏織は鼻で笑い、


「そ、察しがいいね。あれ、私の父親なの」


 声は、さっき聞いたものより少しだけ“高”かった。


「それでね、昨日話を聞いたのよ。いつもうちに来てくれてる常連が、今日は男を連れてきたって。しかもあの“white memories”を入れてたって。それだけならまあ、大したことは無かった。けど、翌日に西園寺くんが合コンを開催したなんて噂が流れてるじゃない」


 瑠壱は苦笑いしながら、


「…………よく、知ってますね」


 夏織は一切の感情を揺らがせずに、


「まあね。それくらいは。で、話を聞いていくとその噂の発生源が佐藤智花らしいっていうじゃない。しかもこの子、山科やましな沙智さちの連絡先を知ってる人を探してたって話じゃない。んで、とどめみたいに、西園寺くんと佐藤さんが一緒に学校を出ていった。これはもしやと思ってパパ……父に連絡を入れてみたら。二人がカラオケ店に来てるっていうじゃない。しかもその話を山科さんにもしたっていうから、これはもう何か起こるだろうと思って、車を出させたってわけ」


 千秋が感心するように、


「……だから、妙にカラオケ店のあたりを走らせたんだな」


 夏織は軽く頷き、


「そういうこと。こんなに時間がかかるとは思わなかったけどねー」


 と言ってのける。


 つまりはこういうことだ。


 夏織は完全に瑠壱たちの行動を知っていて、その上で「なんらかのいざこざが起こる可能性」を察知して、あらかじめ待機しておいたというわけだ。


 それらの情報源や、野次馬まがいの行為に関しては後日改めて問いただすとして、一つだけ、今、確かめておかなければいけないことがある。


 それは、


「あの、花咲先輩」


「ん?なあに?気軽に夏織ちゃんでいいよー☆」


 既にその声は“高い”ものになっていた。


 しかし、今問題なのはそんなことではない。


 瑠壱は、


「そこまでして待機してたってことは……俺にそれほど重要な意味がある、ってことでいいんですよね?」


 そう。


 話を総合すればそういうことになる。


 いくら行動自体は夏織の独断専行に近い形だったとしても、その話を聞かされた千秋が目立った苦言を呈さないということは、「目的自体には文句がない」ということになる。


 それはつまり、「生徒会会長と副会長が、揃って瑠壱という人間にコンタクトを取りたがっていた」ということになる。


「そうだねー。ね、千秋ちゃん?」


 夏織はそう言って千秋に話を振る。


「だから、千秋ちゃんはやめろ。だが……そうだな。西園寺。指摘の通り、我々は君に……いや、君たちにコンタクトを取ろうとしていたのは事実だ」


「君たち?」


「ああ」


 少し間をおいて、


「西園寺瑠壱、つまりは君と…………西園寺優姫。その妹さんにな」


 あまりにも意外な名前を出した。

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