第四十八話「化け物」
貧者の目は発動していない。
あの騎士はまだ俺に気づいていないようだ。
あれが目標だとすると……、お姫様はあの洞窟の中か?
俺は洞窟の中を覗こうと、目を凝らすと同時に無意識に短剣に手をかける。
「ウっ……」
やばい。化け物。
騎士から溢れ出る雨雲を覆いつくすような『何か』が見えた瞬間に、俺は姿を隠すのを止め、なりふり構わず来た道を全力で戻った。
あれは絶対に戦ってはいけない。
捕らえるのも無理だ。
とにかく報告しなければ。
「動くな」
俺の左手がイヤホンに触れると同時に、大きな手で腕を強く掴まれる。
俺はすかさず右手を短剣にかけるが、既に騎士は俺と十分に離れた位置に移動していた。
そして、その手には通信機が握られている。
逃げ道は塞がれたか……
俺は着ていたレインコートを素早く脱ぎ捨て、ゆっくりと足に体重をかけて状態を把握する。
騎士は少し考えている素振りをしながら通信機を地面に放り、カチャカチャと音を鳴らしながら踏みつけた。
これは後で怒られるな。
生きて帰れただけど……
「ふっ……」
俺は鼻笑いを飛ばすと同時に、黒騎士に背を向けて逃走を試みる。
しかし、走り出したと同時に身体が強い脱力感が襲われ、気づいた時には黒騎士の手が背後に迫っていた。
俺はその手を慣れた動きで避けると、戸惑った様子の黒騎士を横目に再び距離を取った。
なるほど……、やっぱりか。
あの黒騎士は<黒騎士>だ。
<一騎打ち>があるかぎり、何もなしでは俺はあの黒騎士から逃げられない。
相手は格上。
ノアよりも数段強い。
現状を把握しようとすればするほど、背筋が冷たくなり、膝から力が抜けていく。
身体に酸素が足りていないからか、息が段々と浅くなっていく。
なにを間違えて俺はここにいるんだ。
いつもの俺なら絶対にここにはいなかったはずだ。
完全に浮かれていた。
黒騎士は距離を取ったまま、じっとこちらを見ている。
幸運なことに、あっちは、まだこちらの実力を把握できていないようだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……、クソッ」
俺は乱れる息をぐっと咬み殺し、黒騎士から目を逸らさずに短剣を鞘ごとホルスターからゆっくりと外し、身体の正面で刀身を抜くと、左手で短剣を右手で鞘を構える。
黒騎士は俺の気を察したのか、灰色に染まった何もない空中から、質素な飾りのついた卵型の大盾を発現させた。
だが俺の目に映る黒騎士の敵意は、まだ形を成していない。
「ふぅーーー……」
先程の数秒で俺の足は限界を迎えている。
まるで、千℃まで熱せられた太い錐が足の甲を貫通しているようだ。
もう一歩も動けないが、そういうわけにもいかない。
回避は最小限に。
一秒でも隙を作ってここから逃げる……
無理は承知だがとにかくやるしかない。
身体に触れる雨の冷たさが俺の頭をいつもより冷静にする。
覚悟はできた……
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