第二十四話「頭痛」

 ガラガラガラ


 俺はヒナコのアパートの引き戸をゆっくりと開ける。


 もう少し遠くまで回り道したかったが、迷子になるのが怖くて中途半端に引き返して帰ってきてしまった。



「おかえり!」

「いっぱい買ったんだね!」

「運ぶの手伝おうか?」


 ヒナコがダイニングから出てきて出迎えてくれる。


「ああ、うん、大丈夫」



 俺は重い足取りで階段を上り、部屋に戻った。


 ……部屋にケイはいない。



 既に散らかっている机の上に持っている紙袋を置き、スーツを脱ぎ捨てる。

 そして紙袋から先程買った水を取り出して冷蔵庫に入れると部屋を後にした。



 一階に降り、ダイニングに行くとヒナコは皿洗いをしていた。


 ……ここにもケイの姿は無い。



「ケイは?」


 俺は大きめの声でキッチンに呼びかける。

 すると、水の流れる音がピタリと止まった。


「お風呂行ったよ」


 洗い物が終わったのか、ヒナコがキッチンから出てきた。


「そっか」


 ヒナコが椅子に座ったので、俺は自然と対面に座った。


 時計は7時30分を指している。


「お金って残りどのくらいあるの?」


 ヒナコが机に肘をつきながら俺に質問する。


「3000ギニーとちょっとぐらいかな」


 ドーナツの入っている紙袋を手元に引き寄せ中を確認すると、1つだけドーナツが入っていた。


「明日は何時にレゼンタックに行くの?」


 ヒナコはエプロンを脱ぎ、椅子に掛けるとイチゴをつまみ始める。


「9時半だから、9時にはここを出るよ」


 椅子に座ってから頭痛とめまいが段々と押し寄せてくる。


 俺はヒナコに悟られないようになるべく平然を装う。


「……そしたら、8時頃に朝ごはん用意しておくね?」


 ヒナコの声のトーンが少し変わった。

 少し違和感を感じているようだ。


 1秒を過ぎるたびに耳鳴りと吐き気まで押し寄せてきて、顔を上げられない。


「ぅん、ありがとう」


 俺は大きく息を吸い込んでから早口で答えた。


「明日……何時……るの?」


 ヒナコの声が頭の中で反響して上手く聞こえない。


「ふぅ……ん?」


 俺は息を吐くのと同時に無理やり顔を上げ聞き返した。


「明日は何時終わり?」


「あぁ、12時前に終わるって言われたよ」


 俺は再び大きく息を吸ってから早口で答えた。


「あー、そう」

「……なにかあった?顔が真っ青だよ?」


 ヒナコは俺の手に自分の手を被せる。


 今はこの手で身体の全体重を支えているので触らないでほしい。

 ただ、その手は少し冷たい水で湿っていて気持ちいい。


「なんでもな……い訳じゃないけど」

「うん……」


 自分の目が乾いていくにと同時に、涙が貯まってくるのを感じる。 


 ……情けない。



「どうしたの?」


「はぁ……」

「もしもだけどさ……」

「もしも、俺がケイをここに置いてどこかに行くって言ったらどうする?」


 俺は顔を上げてヒナコの顔を見ることは出来ず、うつむくことしか出来なかった。

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