俺の血は流れている

小柳とかげ

鉄塔の下で

ああ、もう世界は俺のものじゃないんだな。

鉄塔の下で俺は立っている。黒になる前の紫色の空は異様であった。風は冷たくなって、俺の皮膚を包む。

あの鉄塔はまだ熱いはずだ。今日は梅雨が明けたかのような青空で夏が来てしまったと確信したのだから、鉄塔はその太陽に焼かれたはずだ。こんな日が来るなんて思ってなかったに違いない。

雲にはピンク色が存在した。

鉄の塊の前に俺はきっと無力なのだろう。そもそも、俺はずっと無力だったんだ。いつの間にか自分に自信があっただけで。

教室の中央でげらげら笑いながらご飯を食べていた。

文化祭では俺らがやりたいことをクラス巻き込んでやった。

体育祭も俺とあいつでキャーキャー言われながら走った。

告白されても断れる身分で、バレンタインデーのことなんか気にしたことがなかった。

俺の隣ではいつもお前が笑っていた。

土が濡れている気がした。雨が染み渡った土は表面だけしか乾いていなかったのか。ジージーと鳴く虫はどこにいるのかもわからないけど、うるさくてたまらなかった。歯を、脳を揺らすようなその音、耳を塞いでも意味がないらしい。もうやめてくれ、どっかにいてくれ。なんて口が裂けても言えなかった。彼らの領域に踏み込んだのは俺のほうだ。だから、俺は泣くことが出来なかった。きっと虫たちにうるさいと思われてしまう。

もう全部投げ捨ててしまおうか。

俺はただ、お前の笑顔が好きだっただけなんだよ。

草をちぎって投げ捨てる。指にこびりついた緑の液体は、俺の血だろうか。異星人だからお前は俺を拒絶するのだろうか。それならいい、もう交わらなければいい。

快の家でゲームをしていた。二人でバカ騒ぎしながら持ってきたポテチとコーラをつまんだ。まだ夏じゃないからエアコンはつけずに窓を開けて過ごしていた。たまに入ってくる風は俺らの間を通り抜けていく。涼しいな、とつぶやいた快を見て「好きだ」と言ってしまった。「俺も好きだぞ」とゲラゲラ笑った快は窓の外の空を見上げていた。

奥歯が痛む。噛みしめたせいで口の中を切ったらしい、血の味がする。いま口から吐き出してそれが緑色だったら俺は諦めることが出来るのだろうか。

あの時、俺も笑ってゲームを再開したらよかったんだろうか。まだわらっていられただろうか。快に真剣な顔をさせないで済んだだろうか。

色んなifを考えてはぐちゃぐちゃになる。沈み切る前の闇に俺は溶け込みたかった。何も言わずに部屋を逃げ出してここに来たのは、何故か分からなかった。きっと、街中の電信はここに繋がっていると思ったから。離れたけど、まだ快と繋がっていたいと思ったなんて傲慢な人間であることが露見された。誰も気づかないだろうからいいんだけど、自分のことが嫌いになっただけだ。

言わないつもりだった。

永遠に隣にいてほしかっただけだった。

もうきっと一緒にいることは出来ない。

雨でも降れば感傷に浸れたのに、夕焼けが綺麗だなんて俺の心に寄り添ってくれるものなんてなんもないのだと思う。自分のこういう感情が嫌いで仕方がない。本当はうじうじしていて馬鹿なくせにカッコつける。それでも一緒にいてくれたのは、快だけだったのにそれすら自分の感情を抑えられなかっただけで失うのか。

「祐一、なんで逃げたんだよ」

ハッと前を向く。なんでお前はここにいるんだよ。喉からこみあげてくる痛みが俺を揺らす。

「お前は俺が好きなのか?」

快の声はまっすぐと俺に届く。

「大好きだよ、お前と笑ってるの大好きで……」

「今までも男好きになってたのか?なんで言ってくれないんだよ」

「そうじゃないんだよ……。男だから好きなんじゃねえんだよ」

山は大きな闇となり俺たちを包んだ。でも、快の顔はしっかりと見える。髪はさらさらと流れていて、真っ黒だった。俺の背にある鉄塔は俺の味方だろうか。そもそも、快は俺の敵なんかじゃなかった。

「ならよかった、お前がずっと言えずに苦しんでたなら嫌だったんだよ」

そういって、快は笑った。なんでお前はどこまでも優しいんだ。笑みはこぼれるものだな。

「付き合いたいとかわかんねえけど、わかんないんだけど、これからも、一緒にいてもいいか?」

声が震えているのがわかる。視界は真っ暗だ。俺は何て我儘なんだろう。こんなに欲にまみれた人間だったか。虫は消えてしまったのかな、もう何の音もしない。いっそすべてをかき消すぐらい鳴いてくれたらいいのに。あの嫌な音でもこの無音に耐えるよりはマシだ。足が震えている。つま先が冷たい。喉が痛くて仕方がない。走り去ることを許してくれ、神様、もうすべての記憶を消し去ってくれたら、命を失ってもいい。快を悲しませるのは辛いけど、親友として俺のことを覚えていてくれたら、それが一番の幸せじゃないか。

「当たり前だろ、逃がさねえよ?」

風が吹いた。今日一番の強い風が僕らの間を吹き抜け、山の木々が大きく揺れ、虫が一斉に鳴き始めた。世界は生きていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の血は流れている 小柳とかげ @coyanagi_tokage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ