第58話
「ありがとうございます。こちらです。」
「はい。」
会場に行くと、もうすでにたくさんの人が集まっていた。
一人で来たから前の方に無理やり行こうとしたら行けるのかもしれないけど、こないだと同じ場所に行くことにした。本当はこの空間に、私はいてはいけないはずだから。事故のような偶然が重なって、たまたま私はここにいるだけだから。
「え~?Fall Heartってあの?」
「そうそう。ボーカルの子が亡くなったっていう。」
たまたますれ違った子たちがそんな会話をしているのが耳に入ってきた。このライブハウスで彼らは少し有名な存在だったのかもしれない。
彼らのバンド名は"Fall Heart"。
直訳すると、"秋の心"。つまり"愁"君の、名前だ。
でも多分このバンドの名前を付けた茉穂ちゃんは、"アキの心"って意味も込めたんじゃないかって思う。彼女が大切だと言った、アキ君の心って意味も。
「まじ?解散したのかと思ってた。」
「私も。久々に聞けるの楽しみっ!」
別に自分のバンドが褒められたわけでもないのに、まるで自分が褒められたかのように少し嬉しくなった。楽しみにしてくれてる人がいて本当に良かったねって、まるで親みたいな気持ちにもなった。
「よし。」
私は迷うこともなく、前と同じ場所にたどり着いた。前はここにも数人人が立っていたんだけど、今日は私しかいなかった。
なんだか私だけが外からこのライブを見ているような気持ちになったけど、気持ちになっただけじゃなくて本当にそうなんだからこれでいいと思う。
「すごいね。」
ライブの始まる前のどこかソワソワしたこの空気や、なぜか少し曇って見える空間。忙しそうに動いているスタッフさんや、チラシを見ながら楽しそうに話をしているお客さん達。
もちろん全員がアキ君のバンドを見に来たわけではないけど、ライブに向けて動いている人たちは、お客さんやスタッフさんを含めて全員希望にあふれて見えた。とてもまぶしかった。
このまぶしい人たちの中に、アキ君はいる。闇なんて消してしまいそうなくらいまぶしい光の中で、消えないでしっかり前を向いている。
「すごい。」
それだけで、奇跡だ。素晴らしいことだ。
よく戻ってこられたと思う。よく、頑張ったと思う。
そんな立派なアキ君の姿を、私もしっかり目に焼き付けよう。そしてもし茉穂ちゃんに会ったとしたら、立派にやってるよって教えてあげよう。
半分もう異世界にいるような気持ちの私は、今も楽しそうに話している人たちを客観的人眺めながらそんなことを思った。
「皆さん~!お待たせ致しました~!!」
それから程なくして、今回のライブの代表者だという人がステージに出てきた。その人の愉快なMCで、今までだって盛り上がっていた会場のボルテージは一気に上がった。
「それでは早速参りましょう~!僕も最後に登場するからお楽しみにっ。」
「いらね~っ!」
「はははっ。」
「そんなこと言わないでくださいよ~っ!」
小さめでアットホームなこの箱には、茉穂ちゃんの言う通りすごく暖かい雰囲気が流れている気がした。この空気がもしかして、音楽も暖かくするのかもしれない。茉穂ちゃんは冷めきった心を少しでもあたためたくて、ここによく来ていたのかもしれない。
一人で冷静に眺めていると、それがよく分かった。前来た時は全然暖かくなんかないって思ったはずなのに。
MCの人がおどけてくれたおかげでより温まった会場に、1組目のバンドが登場した。そして彼らは準備が整ってすぐ1音目を鳴らして、今日のライブの本当のスタートを切った。
バンドの音を聞いても胸を刺すような痛みを感じなかったのは、本当に全部割り切れたからだろうか。それともちゃんと、凛にお別れを言えたからだろうか。あんなに苦しかったはずなのに私はとても普通に、むしろ穏やかな気持ちで演奏を聞いていた。
アキ君の登場は、3組目だ。
苦しくなってアキ君の演奏を待たずに外に出たくなったらどうしようと思っていたけど、どうやらもうその心配をする必要もなさそうだ。
だったらそれまでじっくりこの空気と音楽を味わおう。柵に両手を置いてもたれかかりながら、リラックスしてライブを楽しむことにした。
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