いつの日か、音楽がなくなるその日まで

きど みい

episode1

第1話


「…は?」



その日は突然やってきた。

いつも通り家に帰ったはずなのに、目の前に広がっていたのは信じられない光景だった。もっと言うべきことがあるはずだ。それなのに驚きすぎた自分の口からは、ひらがな一文字しか出てこなかった。



「莉緒、おかえり。」

「は?」



次に私の口から出てきたのも、ひらがな一文字だけだった。

絶句している私とは反対にとても落ち着いている様子の彼は、私のベッドの上で裸になって、他の女の穴に自分の棒を突き刺したまま言った。



「俺たちもう、終わらせよう。」

「は?」






彼と出会って、今年でちょうど10年目になった。あの時私は、まだぴちぴちの女子大生だった。JDだった。


あれは確か、私が女子大生になって2年目の春。桜が満開になった頃。そのキレイな桜の木の下で、彼はギターを抱えていた。



カラオケは人並みに好きだし、音楽も聞かないわけではない。でもギターなんて触ったこともないし、さほど興味もない。なのに妙に彼のことが、気になってしまった。



「莉緒、行くよ。」

「あ、うん。」



彼は別に、そこでギターを弾いて歌いだそうとしているわけではなかった。ただ桜の下のベンチで、ギターをケースに入れたまま抱えているだけの人だった。だからなぜか立ち止まってボーっと彼を眺めている私を、友達は不思議そうに呼んだ。



「タイプなの?」



また歩きはじめた頃、麻衣子(まいこ)が聞いた。恋愛に興味がないわけじゃないけど、華の大学1年生はロクに彼氏も作らないまま終わってしまった。それなりに合コンみたいなことをしたこともあったけど、好きになれる人まで出来なかった。


そんな私が足を止めてその人を見ていたのが、麻衣子にとても珍しかったんだと思う。



「別に。むしろ逆。」




彼は人懐っこくて優しい垂れ目をしていた。どこか放っておけなくなるような、犬みたいな顔だと思った。すごくイケメンだとは思ったけど、ゴリゴリのマッチョが好きな私からすれば、真逆のタイプだ。



「でもなんか…。気になって。」



でもなぜか彼のことが気になった。なんでかって聞かれたら分からないけど、なぜだか気になった。だから見ていた。ただそれだけのことだった。




そして私は、次の日もなぜだか同じ場所にいた。そしてまた同じ場所には彼が座っていて、同じようにギターを抱えていた。



――――なに、してんだろう。



ギターをケースから出すこともなく、ただ彼はギターを抱えて桜を見ていた。ギターを持っているから出して弾けとは言わないけど、今にも弾きだしそうな姿勢なのに、ケースから出すそぶりも見せないことがやっぱり気になった。



「…あっ。」



数分間彼を見ていたけど、やっぱり彼はなにをすることもなくただその椅子に座っていた。我に返って自分がバイトに向かっている最中だという事を思い出した私は、急いでバイト先へと向かった。




そしてその帰り、わざわざ遠回りをしてあの桜並木を通ってみた。すると彼はまるで一人だけ時間が止まったみたいに、動かないまま同じ姿勢で座っていた。



散り始めた桜が街灯に照らされて、まるで雪みたいに舞っているのがすごくキレイだった。



やっぱり私は、彼のことを見つめてしまった。すると夜で人通りも少ないせいか彼は私の存在に気が付いて、こちらを見てにっこり笑った。



「座る?」

「え?」



そう言えば思い出した。私が最初に彼に言ったのも、ひらがな一文字だった。まさか話しかけられると思っていなかった私は、動揺してその一文字を何とか口から出した。



彼はあの時も動揺する私は無視して、私に向かって手招きをした。私はその手に吸い込まれるようにして、彼の隣に座った。




「なに、してるんですか?」

「なにも、してないよ。」



「は?」と多分思ったと思う。

やっぱり私が彼に対する言葉は、ひらがな一文字ばかりだった。



「何かしなきゃダメ?」



訳が分からなくてただ呆然としている私に、彼は言った。何もかも予想外すぎて言葉が出せなくなって、とりあえず首を横に振った。



「綺麗だね。」

「は、はい。」



彼はやっぱりなにもしていなかったし、呼んだくせに大した話をすることもなかった。私も彼の横にただ座って散っている桜を見つめて、そしてただ綺麗だって思った。



「おいで。」



しばらく桜を見つめた後、彼は唐突に言った。名前も年齢も知らない、意味もわからない。なのに私はそれにも素直に頷いて、彼の後ろをついて行ってしまった。

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