異世界なんていきませんから

筒井

1-1

 堂前明が目覚めて最初に見たのは、浮遊する二つのぬいぐるみだった。明は見間違いかと思い、目をこする。目を再び開けると、やっぱりそこにはぬいぐるみが浮いていた。熊と猫のぬいぐるみだ。

 あたりは薄暗く、明たちがいる場所だけがぼんやりと照らされている。

 「どうですか? 気分のほどは」

 ぬいぐるみの一体が口を開いた。自分の置かれている状況が、あまりに非現実的なため、明は特に驚きは感じなかった。むしろ納得感が強かった。ぬいぐるみが浮いているのだ、喋ってもおかしくない。

 口を聞いたのは、熊のぬいぐるみだった。きらきらとしたハイライトの入った大きな目、両頬にハートの柄、大きく開かれた口。その風貌は、少女漫画のキャラクターを連想する。

 「おんやぁ、驚いて声も出ないようですね」

 何が面白いのか、熊のぬいぐるみは、可愛らしい姿には似つかわしくない下品な笑い声を上げる。明は、小ばかにされている気がして、顔をしかめる。

 「君たちは、一体何?」

 高笑いを遮るように、明は訊ねる。

 「教えてあげましょう。私の名前はアルカス。あなたの住む世界——地球の運命を管理する者です。神に近い存在と考えてもらって構いません」

 アルカスは、得意げに自己紹介を行う。アルカスが神だと自称したことに、明は胡散臭さを感じた。

 「なぜあなたがここにいるか、覚えていますか?」

 今度は、アルカスが明に訊ねる。

 アルカスに言われて、記憶をたどろうとするが、思い出そうとした瞬間に、ひどい頭痛が明を襲う。まるで、思い出すこと自体をとがめられているかのようだ。頭を抱えながら、アルカスを見る。

 「どういう、こと?」

 「何も覚えていないと。……リンクス君ちょっと、どうなってるのさ。記憶ないらしいけど」

 明の苦悶の表情を見て、アルカスは、もう一体の猫のぬいぐるみを呼ぶ。

 明は思い出すことをやめ、リンクスと呼ばれたぬいぐるみを見る。こちらは、アルカスと反対に、顔のパーツが黒丸と横線で表現されている。

 リンクスは、アルカスに答える代わりに、タブレット型の端末を取り出し、なにやら操作を始めた。横からタブレットを覗き込んだアルカスが「こんな初歩的なミスありえないからね」と非難している。対して、リンクスは弁明するでもなく、表情を変えずに黙々と作業を続けている。

 あたりを見渡すと、奥の方の暗闇に、長方形の青白い光がいくつかみえた。暗がりに光るディスプレイだろうか。

 「お待たせしました。どうやら、こちらへお連れする際に、一部の記憶が欠落しまったようです。ただちに記憶修復処理を行います」

 初めてリンクスが声を発した。その声は、抑揚がなく機械のようだ。

 リンクスは、再び端末を操作し始めた。先ほどと同じく、アルカスはリンクスの周りで騒いでいる。

 しばらくして、リンクスは顔を上げた。

 「記憶の復元が完了しました」

 リンクスが言い終わると同時に、明は再び急激な頭痛に襲われた。明の耳に、リンクスの声が響く。

 「堂前明さんは、地球時間4月25日午後17時33分、トラックにはねられ、死亡しました」

 もやがかかったような記憶が、すっきりと晴れていく。明は、自分に何があったか思い出した。

 リンクスの言う通り、明は下校中、交通事故にあった。

 高校に入り、新しい生活にも慣れてきた明だったが、いまだに友人が一人もできていなかった。自宅近くの横断歩道を渡る際、友だちを作るためにはどうすればいいか、と物思いにふけっていた明は、迫ってきたトラックに気づくことができなかった。はっと顔を上げた時点では遅かった。明はそのまま、トラックに跳ね飛ばされてしまった。

 明は自分の死を実感した。

 息苦しさに我に返る。どうやら、いつの間にか息を止めていたらしい。肩で息をする。目の前で、二体のぬいぐるみが、じっとこちらを見ていた。

 明は、自分の体をみる。痛みはどこにも感じない。だが、確かに自分はトラックにはねられたのだ。

 「……俺は、死んだの? じゃあ、今ここにいる俺は? 夢じゃあないんだよね?」

 「残念ながら、すべて現実です」

 リンクスは、首を横にふる。

 「明さんの死亡後、あなたの魂だけを我々の領域にお呼びしました」

 今の明は魂だけの存在だという。だから、明には外傷がないのだとリンクスは補足した。

 「いやー、同情しますよ。本当に可愛そう。でも、安心してください。私たちは、あなたに新しい救いをあげましょう」

 「それって、生き返れるってこと?」

 明は生き返りたかった。まだいっぱいやりたいことはある。特に、高校入学を機に立てた目標はまだ、達成できていない。

 へんてこなぬいぐるみが、目の前にいるのは、明を助けてくれるためなのではないかと思い始めていた。

 「生き返る? そんなくだらない。あなたはこれから別の世界へと、転生することができるんですよ」

 しかしアルカスは、明の希望をくだらない、と切り捨てた。

 「……転生? どういうこと?」

 「そのままの意味ですよ。自らの死に絶望しちゃった可愛そうな明さんのために、特別に、別の世界での新しい人生をプレゼント。単なる赤ん坊からのやり直しではありません。あなたの持つ知識、記憶、性格を保持させたうえで、さらにあなたの望みを叶える素敵な能力も使えるようにしちゃいます」

 アルカスは、通販番組のタレントのように、単語ごとを大げさに、特徴づけて話す。

 どうやら、アルカスの言う救いとは、明を別世界へ転生させることであって、明の求めるものとは違うようだ。

 「剣と魔法の力で魔王と戦うヒーローや、沢山の女性から好かれるモテモテ美青年になりたいと思いませんか」

 明も、漫画の主人公のように、ヒーローになりたいと考えたことはある。それこそ、漫画『レッドアライズ』に登場する孤高のヒーロー、ブラックに憧れを持ち、彼を目指して生きてきた。

 だが、それでも明は、自分が転生したいとは思えなかった。未練があるのはもちろんだが、アルカスの言葉が恩着せがましく、怪しく思えたからだ。それならば、やはり自分の願いを叶えるために生き返りたかった。

 「拒否したらどうなるのさ」

 おそるおそる明は、訊ねる。

 「残念ですけど、そのまま死んでしまうことになりますね。短い付き合いですが、あなたに会えなくなるのは涙が止まらなくなりますよ」

 アルカスは言葉と裏腹に、愉快そうに告げる。全く涙はでていない。

 「もう、元の世界には帰れないの?」

 「いいじゃないですか、元の世界なんて。きれいさっぱり忘れて、バラ色の人生を歩みましょう」

 「お願い。生き返らせて」

 「転生したほうがあなたのためですって」

 明は必死の思いで頭を下げる。

 一方で、アルカスも明に転生を促す姿勢は変わらないようだ。

 「お願いだ。やり残したことがあるんだ」

 それでも、明は、自分の思いを変えるつもりはなかった。

 「意固地な人だな。せっかくのチャンスを棒に振っちゃうんですか? このままだとあなた、消えちゃいますよ」

 生き返りたい明と、転生させたいアルカスの意見は、お互いに平行線で、どちらも譲らない。

 「明さんのやり残したことってなんですか?」

 明たちのやりとりを見ていたリンクスが、疑問を投じた。リンクスの黒い目が、こちらをじっと見据えている。

 「俺は、青春がしたいんだ」

 「え」

 明の返答が想定外のものだったのか、アルカスの声が漏れる。

 「友だち100人つくって、青春をする。俺でも友だちを作れるんだって証明したいんだ。友だちがいっぱいいる人間は、悔しいがステータスなる。誰からも憧れる、人気の人間だ」

 明は、手に力を入れて、熱く語る。

 「青春がしたいなら、転生ですよ。誰もがあなたを敬い、称賛してくれる人生。簡単に手に入りますよ」

 「いいや、だめなんだ」

 明は、アルカスの提案を、即座に否定する。

 「転生じゃだめなんだ。友だちがいない俺を笑ったやつを見返すために、元の世界に返らなきゃ駄目なんだ。友だちをつくって、みせつけてやるんだ。俺が誰からもちやほやされる人間であることを」

 明の声は、今まで自分の中にたまっていた思いを叫んでいた。

 アルカスの顔から、いつの間にか、笑顔が消えている。

 「ちょっと、先輩……」

 リンクスがアルカスを呼んだ。明に聞かれないように、ひそひそと話している。意固地になった明に、首を縦に降らせる相談でもしているのかもしれない。

 だが、どのような手を使われようとも、考えを変えるつもりはなかった。『レッドライズ』のブラックは、どんな時でも、自分の信念を曲げることはない。明もそうだ。

 そのうえ、全く勝算がないわけでもない。ここまでのやりとりから、もしかしたら、アルカスたちは明を死なせるつもりはないのではないか、と明は考えていた。

 アルカスが時折、リンクスを非難するような叫び声が聞こえたが、次第に声は聞こえなくなった。

 話が終わったのか、アルカスたちが明の方を見る。アルカスは満面の笑みを浮かべている。

 「いいでしょう。あなたの条件を飲みましょう」

 アルカスが言った。明は、自分の願いが否定されると思っていたので、拍子抜けした。リンクスが説得してくれたのだろうか。

 「ただし、条件があります。明さんが再び死亡した場合、今度こそ転生すると約束してください」

 リンクスが、明に条件を提示した。

 「念のために聞くけど、君たちが生き返った俺を殺すなんてことしないよね」

 明は、条件をのむ気でいたが、どうしても聞かずにはいられなかった。蘇生してすぐに殺されたのでは意味がない。

 「もちろんです。では、そちらも条件に加えておきましょう。私たち——アルカスとリンクスが、蘇生した明さんを殺害することはありません」

 明は、リンクスの言葉を信じることにした。アルカスの態度が急変したことは気になったが、明はいたずらに議論を長引かせるよりも、早く生き返る方を選んだ。

 「わかった。君たちの条件を飲もう」

 明の言葉を聞いて、アルカスが明に手を差し出す。明は、ためらいを感じながらも、アルカスの手を握った。

 「それじゃあ、リンクス君」

 アルカスがリンクスを呼ぶと、リンクスは端末をいじり始めた。同時に、何かの機械が動いているのか、鈍く低い音が響く。

 「それでは、堂前明さんの蘇生処理を行います。目を閉じてください」

 次第に周囲が眩しくなってきたので、リンクスのいう通り、明は目を閉じた。

 目を閉じる前に、アルカスの声が聞こえた。

 「また会う日を楽しみにしてますよ」

 最後に見えたのは、アルカスが怪しい笑顔だった。

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