それぞれの人生
今日は大学時代の友人である中谷とマナー講座を受けに来た。
社会人も5年目になると一通りのことは身につけているが、改めてキチンとしたビジネスマナーを習得しておきたいという、いわゆる意識高い系の彼の誘いに乗った形だ。
挨拶や名刺交換の所作を徹底的に叩き込まれた。
所作には比較的自信を持っていたが、講師の方の所作は、見ていてタメ息が出るほどの圧倒的な美しさだった。まさに目からウロコで、僕は何とかマスターしたいと必死に取り組んだ。
120分の授業が終わる頃には十分に見れるレベルに到達していた。
その代償として全身筋肉痛にはなってしまったが……。
レッスンの後、居酒屋に入るには時間が早すぎるということで、僕らは喫茶店でお茶していた。
「ふーん、それでその子と仲良くなったんだ? で、もう口説いたの?」
「バーカ。そんな対象じゃないって。16歳だぜ、まだまだ可愛いお子ちゃまだよ」
「まぁ、そうだな。女子高生は何人かでツルんで、常にキャーキャー騒いでるイメージだもんな。そもそも色気も無いし」
「そうそう。でも彼女は可愛いよ。初めて会った時は泣いてて、この前会った時は拗ねて笑って、怒って笑って」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ俺も一度会ってみたいな、その羽月ちゃんて子に」
「うーん、それは無理だな。彼女でもないから、俺でさえ会う必然性が無いし……。そもそも、会ったところで何をするわけでもないだろうし、何をしたらいいかもわからないし。10歳差ってそんなもんだろ」
僕は自嘲気味に笑って、ブラックのアイスコーヒーを喉に流し込んだ。
その味は何故かいつもより苦く感じた。
「ところで中谷はどうなんだよ? 奥さんとうまくやってんの? 」
彼は昨年、同期入社の子と結婚している。内定者集合の時に、彼が一目惚れしたのがきっかけだそうだ。
「あぁ、実は先週わかったんだけど、妊娠3ヶ月なんだ」
「マジで? おめでとう! そうか、お前がパパになるのかー」
「早く子供欲しかったからさ。嫁さんには感謝だよ。彼女そっくりな可愛い女の子がいいなぁ」
「はいはい。そこでノロケを持ち込まないでくれよ」
「いやぁ、ゴメンゴメン。俺、嫁さんのこと愛してるからさ」
何の躊躇もなくそんなことが言える彼をちょっと羨ましく思った。
「今井もさ、いい加減彼女作ったら? そりゃあ、まぁ、お前からしたら、いろいろ大変なのかもしれないけどさ……」
「……うん、……そうだな。ありがとう」
僕のことを気遣ってくれる彼の思いやりに感謝した。
駅からの帰り道、西の空に浮かぶ細い月を見ながら歩いた。
地球照が綺麗だ。
――あいつが父親になるのか……それに比べて俺は……。
自分が嫌になった。
これ以上ないくらいに深く息を吸い込んで、大きくタメ息をついてみる。
少しだけ気持ちが軽くなった。
するとマナーモードにしていたスマホが、ポケットの中でブルブルと振動した。
――ん? LINKか。 おっ、羽月ちゃんからだ。なになに?
『お母さんが、今井さんにお礼をしたいから連れて来なさいって!!(///ω///)♪』
「えーーーーっ!?」
夕暮れの街に僕の叫び声が響いた。
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